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第165話 「少しだけ」の回収は静かに

「……今なら。少しだけ」

 昨日の私は、“いいです”を節約したつもりで――別の言葉を増やした。

 “少しだけ”。

 便利で、危険で、そして回収される。


 朝。

 医務室の前でフィンがにやにやしている。

「先生、昨日“少しだけ”出たね」

「出てません!」

「出たよ。陛下が回収するやつ」

「回収って言うな!」


 ローガンが咳払いで笑いを隠す。

「先生、回収係がいるからな」

「係にしないでください!」

 マルタが腕を組んで淡々と言った。

「皇帝、回収が得意」

「得意にしないで!」


 扉を開けると、カイゼルがいる。腕章『先生係』ぴしっ。

 そして、朝イチで低い声。


「確認していいか」

「……何ですか」

「昨日の」

 来た。

「少しだけ」


 私は額を押さえた。

「朝から回収しないでください!」

「回収ではない」

「回収です!」

「……確認だ」

 言い換えた。ずるい。


 私は深呼吸して、条件で返す。

「朝は診察が優先です」

「分かった」

 素直に引く。

 引かれると、なぜか胸がちくっとする。

 ……そのちくっがいちばん危険。


 診察開始。

「ここ。吐こう。長く」

 息が戻る。肩が落ちる。

 私はなるべく“少しだけ”も“いいです”も使わない。

 ……使わない努力をしている時点で、意識しすぎ。


 午前の終わり。

 若い騎士が出口で迷ってから言った。

「先生、今……聞いてもいいですか」

 確認。上手い。

「聞いていい」

 ……言っちゃった。

 “いいです”の親戚が出た。節約失敗。


 フィンが小声で囁く。

「先生、節約って難しいね」

「言うな!」


 昼休み。

 私は廊下に出て、水を飲んだ。

 隣に並ぶ影。歩幅は合わせるだけ。昨日の条件どおり。

 そのはずなのに、カイゼルがふっと声を落とす。


「少しだけ」

「……何ですか」

「隣で、水を飲んでいいか」

「それはもう飲んでます!」

「確認だ」

「確認じゃありません!」


 私は“いいです”と言いそうになって、飲み込んだ。

 代わりに言う。

「……静かに、なら」

「分かった」

 また素直。ずるい。


 午後。

 片付けで私の手が止まった。

 疲れた。言わない。言わないぞ。

 でも隣の気配が、いつもより近い。

 近いのに、触れない距離。ほどほど。

 それが逆に気になる。最悪。


 診察が終わり、夕方。

 廊下に出ると、カイゼルが待っていた。

 待つ顔。待つ姿勢。

 そして、低い声。


「確認していいか」

「……何を」

「昨日の“少しだけ”」

「またそれですか」

「まただ」

「しつこいです」

「必要だ」


 私は息を吐いて、条件を出した。

「……静かにしてください」

「静かにする」

「周りに聞かれないように」

「分かった」

「返事も小さく」

「分かった」

 素直すぎる。怖い。


 医務室の中。灯りは薄い。

 私は机の端に手を置いて、長く息を吐いた。

 カイゼルが一歩だけ近づく。

 そして、声を落として言った。


「少しだけ」

「……はい」

 あ、言った。

 節約してたのに、返事してしまった。


 カイゼルが、それ以上は言わない。

 ただ、隣に立つ。

 肩が触れそうで触れない距離。

 呼吸が同じになるまで、黙って待つ。


 ……これが“回収”。

 言葉じゃなくて、空気で回収してくるのがいちばんずるい。


 私は長く息を吐いて、小さく言った。

「……少しだけ、で十分ですね」

 カイゼルが、もっと小さく返す。

「十分だ」


 回収は静かに。

 そのルールなら、私は――負けても、いい気がしてしまう。

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