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第159話 「少しだけ」の取り扱い注意

「少しだけ、嬉しい」

 昨日のカイゼルの一言は、医務室の空気に残ったままだった。

 残り方が、軽い。軽いのに、じわじわ効く。

 ……危険。


 朝。

 黒板の前でフィンが腕を組んで言った。

「先生、今日のテーマ。“少しだけ”の取り扱い!」

「テーマにするな!」

 ローガンが咳払いで笑う。

「先生、もう授業になってる」

「授業じゃありません!」

 マルタが腕を組んで淡々と言った。

「授業。必要」


 そこへ静かな足音。

 カイゼルが来る。腕章『先生係』はいつも通り。

 そして、今日は珍しく何も言わない。

 言わない代わりに、目が言っている。

(少しだけ)


「……陛下」

「ここだ」

「今日は“少しだけ”禁止」

「禁止という言い方はやめろ」

「じゃあ、控えてください!」

「控える」

 即答。素直。怖い。


 診察開始。

「ここ。吐こう。長く」

 息が戻る。肩が落ちる。

 今日は平和。

 ……と思ったら、患者が帰り際に言った。


「先生、少しだけ……サボっていいですか」


「だめ!」

 私は即答した。

 フィンが「えっ」と声を漏らし、ローガンが咳払いで笑いを噛み殺し、マルタが天井を見る。

「先生、言葉が変質」


 私は深呼吸した。

「いいですか。“少しだけ”は、逃げるためじゃない。戻るための言葉」

 騎士が目を丸くする。

「戻るため?」

「うん。少しだけ休む、少しだけ水を飲む、少しだけ息を吐く。そういうの」

 騎士が真面目に頷く。

「……じゃあ、少しだけ休みたい」

「それなら、いい」

 戻った。よし。


 窓の近くでカイゼルが、声を出さずに頷いた。

 控えてる。偉い。


 昼休み。

 私は廊下で水を飲みながら、カイゼルに小声で言った。

「陛下、“少しだけ”は便利だけど、使い方を間違えると危ないです」

「分かった」

「本当に?」

「本当に」

 即答。素直。怖い。


 午後。

 棚の前で私は薬草の束を抱えていた。

 重い。落としそう。

 隣の気配が動きかけて――止まる。

 控えてる。偉い。

 でもその我慢が、こっちの肩を余計に重くする。


「……陛下」

「頼め」

「命令しないでください」

「……頼む」

 柔らかい。反則。

 私は息を吐いて言った。

「少しだけ、持ってください」

 言ってしまった。

 “少しだけ”を使ってしまった。


 カイゼルが薬草を受け取り、静かに言う。

「少しだけ、ではない。全部持つ」

「全部は恥ずかしい!」

「恥ずかしくない」

「恥ずかしいです!」


 フィンが遠くで肩を震わせ、ローガンの咳払いが笑いになり、マルタが淡々と締める。

「先生、取り扱い注意、本人が違反」


「違反じゃありません!」

 私は真っ赤になって言い返した。

 でもカイゼルは真顔で続ける。


「少しだけ、隣にいてほしい」

「今それ言うんですか!」

「今だ」

「今じゃありません!」

「……では」

 カイゼルが一拍置いて、少しだけ声を落とした。

「あとで」

「あとでなら、いいです」

 言ってから、しまったと思った。

 “あとで”が確定した。


 カイゼルの口元が、ほんの少しだけ緩む。

「了解」

「軍隊みたいに返事しないで!」


 “少しだけ”は、戻るための言葉。

 でも、使い方を間違えると――

 気づかないうちに、約束が増える。

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