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第158話 「少しだけ」が増える

「隣にいてほしい」

 昨日の言い換えは、確かに“まし”だった。

 ましなのに――そのせいで、朝から私の心臓が忙しい。

 優しくなった分だけ、逃げ道が減る。最悪。


 医務室の前。

 黒板は今日もある。もう諦めた。

 フィンがにやにやしながら寄ってくる。

「先生! 昨日、陛下、“いろ”じゃなくなったね!」

「言わないで!」

「優しい言い方!」

「だから言わないで!」


 ローガンが咳払いで笑いを隠す。

「先生、言い換え成功じゃねぇか」

「成功って言わないでください!」

 マルタが腕を組んで淡々と言った。

「成功。先生、顔が落ち着いてる」

「落ち着いてません!」


 そこへ静かな足音。

 カイゼルが来る。腕章『先生係』は相変わらず。

 そして、今日は札も紙もない。珍しい。

 ……その代わり、目が静かに言ってくる。

(少しだけ)


「おはよう」

「おはようございます」

 私は先に言う。

「今日は普通に」

「分かった」

 即答。素直。怖い。


 診察開始。

「ここ。吐こう。長く」

 息が戻る。肩が落ちる。

 患者も静か。皇帝も静か。

 よし、今日は平和――と思ったら。


 帰り際の騎士が、ぽつりと言った。

「先生、俺も……“少しだけ休みたい”って言っていいですか」

 私は手を止めた。

 冗談じゃない。これは良い変化だ。


「言っていい」

 私は白いリボンを揺らす。

「“少しだけ”って言えるの、上手い」

 騎士が目を丸くして、ゆっくり頷く。

 肩が少し落ちて、呼吸が深くなる。戻った。


 フィンが小声で感動している。

「先生、言葉ってすごい」

「すごいけど騒がない!」

 ローガンの咳払いが珍しく静かだった。

 マルタが淡々と頷いた。

「回復」


 昼休み。

 私は水を飲みに廊下へ出た。

 隣に並ぶ影。歩幅が合う。悔しい。


「陛下」

「ここだ」

「昨日の言い方、砦に広がらないでください」

「広がる」

「広げないでください!」

「良い言葉は広がる」

「良いけど、私が困ります!」

「困るのか」

「困ります!」

 カイゼルが少しだけ声を落とした。

「……なら、少しだけにする」

「少しだけ、って何を」

「言う回数」

「回数とか言わないでください!」

「……控える」


 午後。

 私は棚の前で薬草を整理していた。

 手が滑って、小さな瓶が転がる。

 床に落ち――ない。

 カイゼルの手が、音もなく受け止めた。

 “頼んだときだけ”を守るはずが、反射で動いてしまったらしい。


「陛下」

「……すまない」

「謝らなくていいです。助かりました」

 私が言うと、カイゼルが一拍置いて目を細める。

 反則の顔。

「少しだけ、褒めてくれ」

「褒めるのは危険語です!」

「少しだけ」

「少しだけって、便利すぎます!」

「便利だ」

「便利にしないでください!」


 私は息を吐いて、折れた。

 長く。戻る。

「……助かりました。よく守りました」

 言った瞬間、フィンが扉の向こうで「うわぁ…」と声にならない声を出した気がする。

 ローガンの咳払いが爆発し、マルタが天井を見る。

「先生、配布」


「配布じゃありません!」

 私は真っ赤になって叫んだ。

 でもカイゼルは、何も言わずに目で一回だけ「はい」をして、瓶を棚に戻した。

 そして低く、控えめに。


「……少しだけ、嬉しい」


 最悪。

 “少しだけ”が増えると、胸の奥の忙しさも増える。

 でも、砦の騎士たちが「少しだけ休みたい」と言えるようになるなら。

 この言葉の増殖は――悪いことばかりじゃない。

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