第157話 お願いの内容を変えろ
「内容は変えない」
昨日のカイゼルの真顔が、朝まで私の頭に残っていた。
残ってるのに、腹が立つより先に――困る。
医務室の前。黒板は今日も健在。
フィンが腕をぶんぶん振る。
「先生! 今日の授業、お願いの“言い換え”編だよね!」
「授業って言うな!」
ローガンが咳払いで笑う。
「先生、そろそろ皇帝の反則を削るターンだな」
マルタが腕を組んで頷いた。
「必要。反則は疲れる」
そこへ、静かな足音。
カイゼルが来る。腕章『先生係』は相変わらず。
黒板を見て、短く言う。
「言い換え?」
「そうです!」
私は即答した。
「お願いは、相手が困らない言い方にできます」
「私は困らせていない」
「困らされてます!」
私は白いリボンを握りしめて、黒板に大きく書いた。
『命令じゃなくて、気持ちで言う』
フィンが真面目に復唱する。
「気持ち!」
「声が大きい!」
「たとえば」
私はカイゼルを見上げた。
「“隣にいろ”じゃなくて、“隣にいてほしい”」
廊下が、ぴたりと静まる。
ローガンの咳払いすら止まった。
マルタが天井を見る。
「先生、言った」
カイゼルが一拍置いて言う。
「同じだ」
「違います!」
「意味は同じだ」
「意味じゃなくて、受け取り方が違うんです!」
私は息を吐いた。長く。戻れ私。
「“いてほしい”なら、断る余地がある」
「断られたくない」
「正直すぎる!」
フィンが肩を震わせ、ローガンが咳払いで笑いをこらえ、マルタが淡々と締める。
「皇帝、素直」
私は手を叩いた。
「はい、実演します!」
騎士たちが机に向かって真顔で言う。
「机、隣にいてほしい」
「机は動けません!」
ツッコミが追いつかない。
その横で、カイゼルがゆっくり息を吐いた。
長く。
それから、低い声で言う。
「……隣にいてほしい」
短い。
でも昨日までの“いろ”より、少しだけ柔らかい。
なぜか廊下の空気まで落ち着く。
私は胸がきゅっとして、悔しくて、目を逸らした。
「……それなら、まだ、ましです」
「まだ?」
「まだです!」
カイゼルが一歩だけ近づく。近づきすぎない。ほどほど。
「では、もっとましにする」
「しなくていいです!」
「する」
午後。診察が終わり、私は片付けで手が止まった。
疲れている。自覚した瞬間、負け。
カイゼルが机の前に立ちそうになって、やめた。偉い。成長。
「……先生」
低い声。
「今日は、少しだけ」
言いかけて、息を吐く。長く。
「隣にいてほしい」
私は顔が熱くなって、でも逃げずに息を吐いた。
長く。戻る。
そして、小さく返した。
「……はい。ここにいます」
背後でフィンが叫びそうになってマルタに止められ、ローガンの咳払いが祝砲みたいに響いた。
私は白いリボンを握りしめる。
お願いの内容は変わらない。
でも言い方が変わると、心臓の忙しさは――少しだけ、優しくなる。




