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第153話 普通の練習は、普通じゃない

「“隣にいる”を、普通にする練習」

 昨日、私はそう決めた。

 決めたのに、朝から普通じゃない。


 医務室の扉を開けた瞬間、フィンが腕をぶんぶん振って飛び込んできた。

「先生、今日は“普通”の日!」

「普通を宣言しないで!」

 ローガンの咳払いが、もう笑いの合図みたいに聞こえる。

 マルタは腕を組んで淡々と一言。

「普通は騒がない」


 その“騒がない”を実行しているのが、扉の横に立つカイゼルだった。

 腕章『先生係』。姿勢ぴしっ。顔はいつも通り。

 でも目だけが、私の方へ静かに「はい」と言ってくる。

 ……反則。黙ってるのに甘い。


「おはよう」

「おはようございます。今日は本当に普通にいきましょう」

「分かった」


 診察は順調だった。

「ここ。吐こう。長く」

 騎士が息を吐いて、肩が落ちる。

 カイゼルは動かない。必要以上に助けない。偉い。

 ……偉いんだけど、その分だけ“見守り圧”が強い。見守りって圧なんだ。


 午前が終わり、私は記録をまとめて立ち上がった。

「次は……食堂で水を」

 言い終える前に、フィンが手を挙げた。

「先生! 普通の練習ってことは、廊下を並んで歩くやつ?」

「やつって言うな!」

「じゃあ、見学――」

「しない!」

 マルタが冷たく補足する。

「見学するな。邪魔」


 私は深呼吸してから、隣の影に小声で言った。

「陛下、普通です。普通に歩いて、普通に水を飲みます」

「普通に隣だな」

「“隣”を強調しないでください!」


 廊下に出た瞬間、なぜか騎士たちが壁際に散っている。散っているのに目が光っている。

(見ていいのか)

(見たい)

(でも怒られそう)

 目で会話しないで。


 私は早足になりそうになるのをこらえた。

 普通、普通。深呼吸。

 すると隣のカイゼルが、歩幅を私に合わせてくる。ぴたり。

 それが悔しいくらい落ち着くのも悔しい。


 食堂の前で、フィンが後ろから叫びそうになった。

「先生、今の並び、すごく――」

「言わない!」

 私が即座に止めると、フィンは口を押さえて頷いた。

 ローガンは咳払いで笑いを隠し、マルタは天井を見る。

「普通、難しい」


 食堂で水をもらい、私は一息ついた。

 そこで、若い騎士が恐る恐る近づいてきた。

「先生……あの、頼み方、教えてください」

「頼み方?」

「隣の人に“持ってください”って言えるやつ」

 その言葉に、胸が少しだけきゅっとなる。

 冗談じゃない。これは本当に大事なやつだ。


「いいよ」

 私は白いリボンを指先で揺らした。

「まず、息。ここ。吐こう。長く」

 騎士が息を吐いて、肩が落ちる。

「次に、短く言う。『お願い』って」

「……お願い」

「うん。で、具体的に。『持ってください』」


 騎士が真剣に頷いた、その瞬間。

 背後の空気が変わった。

 カイゼルの目が、静かに私へ向く。

 何も言わないのに、言ってる。

(お前は、私には言わないのか)


「……陛下」

「ここだ」

「今、目で圧をかけましたね」

「かけていない」

「かけてます!」


 騎士が慌てて距離を取る。

 フィンが遠くで肩を震わせ、ローガンの咳払いがもう咳じゃない。

 マルタが淡々と締める。

「普通、崩壊」


 私は顔が熱くなるのを必死に誤魔化し、カイゼルに向き直った。

「……練習です」

「何の」

「普通に、頼む練習」

「私にか」

「そうです!」


 言ってしまった。

 言った瞬間、カイゼルの口元がほんの少しだけ緩む。反則。


 私は息を吐いて、覚悟を決めた。

「陛下、お願い」

「ここだ」

「……水、取ってください」

「分かった」


 カイゼルが水差しを取り、私の前に静かに置く。

 それだけ。たったそれだけなのに、周囲の空気がざわっとする。やめて。普通って言った。


 でも、カイゼルは何も言わずに目で一回だけ「はい」をして、私の隣に戻った。

 その“戻り方”が、昨日までより少しだけ自然で――私の心臓が少しだけ落ち着いた。


「……できました」

 私が小さく言うと、カイゼルが低く返す。

「よく」

「短い!」

「短いのがいいと言った」

「言いましたけど!」


 フィンが耐えきれずに小声で叫ぶ。

「先生、普通って、めっちゃ甘い!」

「甘いって言うな!」

 マルタが淡々と頷いた。

「甘い。だが回復に良い」


 私は水を飲んで、熱くなった頬をごまかした。

 普通の練習は、普通じゃない。

 でも――誰かが頼めるようになるなら。

 それに、私も少しずつ上手になれるなら。

 この“普通じゃない普通”は、悪くないのかもしれない。

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