第152話 隣にいる練習
「……はい。ここにいます」
昨夜、私は言った。
言った瞬間、カイゼルの息が静かに戻ったのが分かった。
……だから余計に困る。効く言葉ほど、周囲が騒ぐ。
翌朝。
医務室へ向かう廊下で、フィンがわざとらしく腕を組んだ。
「先生、今日は“隣にいる練習”?」
「練習って言うな!」
「だってもう慣れてる感じする」
「慣れてません!」
ローガンが遠くで咳払いをした。
「先生、周りが慣れてきたのが問題だな」
「問題にしないでください!」
マルタが淡々と言う。
「問題。周りが楽しんでる」
「楽しむな!」
医務室の扉を開けた瞬間、私は悟った。
今日は周囲が邪魔する日だ、と。
壁際に、椅子が並んでいる。
誰が置いた。誰でもいい。嫌だ。
椅子に座っている騎士たちが、真顔で私を見る。
その目が言っている。
(隣、見学)
「見学しないでください!」
私が叫ぶと、全員が一斉に息を吐いた。
やめて、その反射。
そこへ静かな足音。
カイゼルが入ってくる。腕章『先生係』。今日もぴしっ。
そして椅子の列を見るなり、低い声。
「撤去」
椅子の列が、数秒で消えた。
速い。静か。無駄がない。
……怖い。便利すぎて怖い。
「陛下、ありがとうございます」
「当然だ」
「当然って言わないでください!」
フィンが小声で感動している。
「先生、陛下、椅子消した……」
「感動するな!」
診察開始。
「ここ。吐こう。長く」
患者が息を吐く。肩が落ちる。
今日は平和――と思ったら、患者が帰り際にぼそり。
「先生、隣にいるって、いいですね」
「言わないでください!」
「でも俺も欲しい」
「欲しがらない!」
マルタが淡々と補足する。
「隣は安心」
「安心だけど、言葉にしないで!」
昼休み。
私は廊下で水を飲みながら、カイゼルに小声で言った。
「陛下、周りが邪魔です」
「邪魔させない」
「どうやって」
「近づけない」
「近づけないって、怖いです」
「怖くない」
「怖いです!」
カイゼルが一拍置いて、声を落とす。
「なら、私が邪魔を消す」
「消すって言わないでください!」
「……遠ざける」
「遠ざけるも怖い!」
私は息を吐いて、結論を出した。
「陛下、練習しましょう」
「何の」
「“隣にいる”を、普通にする練習」
「普通に」
「はい。周りが騒いでも、私たちが普通なら、騒ぎは減ります」
「減らない」
「減ります!」
「……分かった」
午後。
私は“普通”を意識した。
診察中は診察。
終わったら片付け。
隣の影は静か。
……静かすぎて逆に意識する。普通って難しい。
片付けの最中、私は薬草の箱を抱えて棚へ向かった。
重い。
隣の気配が動きかける。止まる。
“頼む”の練習も必要。
私は息を吐いて言った。
「陛下、お願い」
「ここだ」
「……持ってください」
「分かった」
箱が軽くなる。
私の心臓は軽くならない。
でも、嫌じゃない。
その瞬間、扉の向こうからフィンの声。
「先生! 今の“お願い”かわいかった!」
「聞いてたの!?」
ローガンの咳払いが爆発し、マルタが天井を見る。
「周囲、邪魔」
私は顔が熱くなって、箱を抱え直した。
練習は順調。
……周囲が邪魔しなければ。
カイゼルが低く言う。
「邪魔だな」
「だから消さないでください!」
「消さない」
「遠ざけるのもだめです!」
「……お前が言うなら、我慢する」
我慢。
その一言が、妙に嬉しくて、私はまた困った。
隣にいる練習は、私の心臓の訓練でもあるらしい。




