第150話 増えるのは、頼みじゃなくて
「頼んだ日だ」
「増やせ」
昨日のカイゼルの言葉が、朝の廊下でも追いかけてくる。
増やす? 何を?
頼みを? 記念日を?
……心臓の忙しさを?
医務室へ向かう途中、フィンがわざとらしく咳払いをした。
「先生、今日も頼む?」
「頼みません!」
「言い切った!」
「言い切ってません!」
ローガンが咳払いで笑いを隠す。
「先生、言い切りはフラグだぞ」
「言わないでください!」
マルタが腕を組んで淡々と言った。
「今日は頼む日」
「決めないでください!」
扉を開けると、カイゼルがもういる。
腕章『先生係』。今日もぴしっ。
そして、机の上に何もない。紙も札もない。
……珍しい。
私が警戒すると、カイゼルが低く言った。
「今日は、見せない」
「見せないって何を」
「記念日」
「記念日って言わないでください!」
「言わない」
珍しく素直。怖い。
診察開始。
「ここ。吐こう。長く」
息が戻る。肩が落ちる。
今日はいい流れ。
……と思ったら、落とし穴は別の形で来た。
若い騎士が、診察の椅子に座る前にぽつりと言った。
「先生、俺……頼むの苦手で」
私は手を止めた。
冗談じゃない。これは本当に“ここ”だ。
「……苦手でも、いい」
私は白いリボンを揺らす。
「まず、息。吐こう。長く」
騎士が息を吐く。肩が少し落ちる。
「頼むのは、弱いってことじゃない」
私はゆっくり言った。
「抱えすぎる方が、倒れる」
騎士が頷く。目が少し濡れている。
フィンが後ろで静かになった。ローガンの咳払いも止まる。マルタが真面目な顔をする。
窓の近くの影――カイゼルが、何も言わずに目で一回だけ「はい」。
それだけで空気が落ち着く。
……反則なのに、助かる。
診察が終わるころ、騎士が小さく言った。
「先生……ありがとう」
「どういたしまして」
私はいつもの調子で返した。
その返事が、胸の奥に少しだけ温かく残る。
昼休み。
私は水を飲みに廊下へ出た。
当然みたいに隣に並ぶ影。歩幅が合う。悔しい。
「陛下」
「ここだ」
「増えるのは、頼みじゃなくていいです」
「何が増える」
「……こういう、言葉」
私は小さく言った。
「騎士たちが、ちゃんと吐けて、ちゃんと戻れる言葉」
カイゼルが一拍置いて、声を落とした。
「お前が増やした」
「私じゃありません。みんなです」
「違う」
「違いません」
「……お前が言うと、皆が信じる」
真面目に言われると、照れるより先に困る。
私は息を吐いた。長く。戻る。
「じゃあ、陛下も」
私は言ってしまった。
「陛下も、頼んでください」
言った瞬間、廊下の空気が止まった。
後ろにいたフィンが「えっ」と声を漏らし、ローガンが咳払いで誤魔化し、マルタが目を細めた。
……私、何言ってるの。
カイゼルが私を見る。逃げない目。
「何を」
「……休む、とか」
「私は休まない」
「休んでください!」
「お前が命じるなら」
「命じません!」
「なら、頼め」
「逆です!」
カイゼルが少しだけ声を落とした。
「お前が私に頼めるようになった」
「……はい」
「なら、次は私が頼む番だ」
その真面目さが、また反則。
私は頬が熱くなって、でも逃げずに言った。
「じゃあ、聞きます」
「言え」
「……今日、陛下は」
言いかけて、息を吐く。
「少し、疲れてますか」
カイゼルは一拍置いて、目を細めた。
そして低く、短く。
「少し」
……言った。
皇帝が自分から言った。
私は胸の奥がふっと軽くなるのを感じてしまった。
「じゃあ」
私は白いリボンを指先で揺らして、いつもの言い方で言った。
「ここ。吐こう。長く」
カイゼルは、珍しくその場で息を吐いた。
長く。静かに。
そして、私の方を見て、今度は自分から言った。
「……頼む」
低い声。
「今日は、隣にいろ」
増えるのは、頼みじゃなくて。
こういう返事と、こういう弱さと、こういう温度。
私は逃げずに、小さく頷いた。
「……はい」
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