第144話 褒め言葉の押し売り禁止
「よく頑張りました」
昨日、カイゼルが私に言ったせいで――医務室の空気がさらにおかしくなった。
朝。
扉を開けた瞬間、私は見た。
机の上に、白い紙。達筆。嫌な予感の達筆。
『本日の方針:褒め言葉は押し売りしない』
「……陛下」
「ここだ」
「それ、誰が書いたんですか」
「私だ」
「自分で反省文を書かないでください!」
フィンが肩を震わせる。
「先生、陛下、反省の方向が真面目」
「真面目すぎます!」
ローガンが咳払いで笑いを隠す。
「先生、押し売りって言葉、覚えたんだな」
「覚えなくていい!」
マルタが腕を組んで淡々と言った。
「先生、押し売り禁止は良い」
「禁止って言わないで……いや、今回は言っていいかも」
診察開始。
私は白いリボンを揺らす。
「ここ。吐こう。長く」
騎士が息を吐く。肩が落ちる。
……帰り際、騎士がちらっと紙を見て、恐る恐る言った。
「先生、俺……頑張りました?」
「聞かないで!」
私は即答した。
「でも聞きたい」
「じゃあ、息を吐けた。それで十分」
「……はい」
騎士が少しだけ胸を張って出ていく。よし。
その横で、カイゼルが黙って見ている。
紙どおり、押し売りしてない。偉い。
……偉いけど、目が言ってる。
(言いたい)
午前が終わるころ、ローガンが咳払い混じりに呟いた。
「先生、陛下、今、喉のあたりで我慢してるぞ」
「見ないでください!」
フィンが小声で言う。
「先生、陛下、褒めたい病」
「病気にしないで!」
昼休み。
私は机の紙を指でとん、と叩いた。
「陛下、方針、守れてます」
「当然だ」
「じゃあ、午後もそのままで」
「分かった」
即答。素直。怖い。
……午後。
事件が起きた。
若い騎士が診察に来て、息を吐こうとして――途中で詰まった。
顔がこわばる。手が震える。
私はすぐ白いリボンを揺らす。
「大丈夫。ここ。吐こう。長く」
騎士がやっと息を吐いて、目に少しだけ涙がにじんだ。
「……先生、俺、できた」
「できた。よく戻った」
その瞬間。
隣の影が、ふっと動いた。
カイゼルが一歩だけ前に出て、低い声で言った。
「よく頑張った」
空気が止まった。
紙の方針も止まった。
フィンが「うわぁ」と口だけで言い、ローガンの咳払いが爆発し、マルタが天井を見た。
「陛下、押し売り禁止!」
私が叫ぶと、カイゼルは真顔で返した。
「押し売りではない」
「どこが!」
「必要なときだ」
「……っ」
言い返せなかった。
確かに“必要なとき”だった。
患者の顔が、少しだけほどけている。
その一言で、戻っている。
騎士が小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
声が震えてる。
でも、呼吸は戻ってる。
私は息を吐いた。
「……陛下。今回は、許します」
言った瞬間、カイゼルの目が少しだけ柔らかくなる。
私の心臓が忙しくなる。
やめて。
「だが」
カイゼルが低く付け足した。
「お前には、毎日言う」
「押し売りです!」
「押し売りではない」
「押し売りです!」
「必要だ」
「誰に!」
「私に」
ローガンが咳払いで締めた。
「先生、褒め言葉の押し売り、無理だな」
マルタが淡々と頷く。
「無理」
私は白いリボンを握りしめて、長く息を吐いた。
褒め言葉は、押し売りしない。
……その方針は正しい。
でも皇帝だけは、正しさの中に“甘さ”を混ぜてくる。
そして私は、それに弱い。




