第143話 「よく頑張りました」は危険語
昨夜、私はうっかり言ってしまった。
「今日は、よく頑張りました」
言った瞬間、カイゼルの目が少しだけ柔らかくなって、私の心臓が忙しくなった。――そこまでは覚えている。
問題は翌朝だ。
医務室の扉を開けた途端、廊下の空気が妙に整っていた。
整列している。騎士たちが。無言で。真面目な顔で。
「……なに」
私が呟くと、最前列の騎士が胸を張った。
「先生に、言われたい」
「何を」
「“よく頑張りました”」
「言わせないでください!」
私が即ツッコミすると、後ろからフィンが出てきて、にやにやしながら頷く。
「先生、昨日のやつ、刺さった人多い」
「刺さらないで!」
ローガンの咳払いが、もう笑いの準備運動。
マルタは腕を組んで冷たく言った。
「先生、言葉を配るな」
「配ってません!」
そのとき、静かな足音。
カイゼルが来た。腕章『先生係』は相変わらず。
そして、廊下の整列を見て、眉がほんの少しだけ動いた。
「……並ぶな」
騎士たちがぴたりと止まる。強い。
私はほっとした……のに。
カイゼルが私の耳元に声を落とした。
「お前の言葉を、共有するな」
「共有じゃありません、励ましです」
「励ましでもだ」
「なんでですか」
「……私のだ」
後ろでフィンが「うわ」と口だけで言い、ローガンが咳払いに失敗しそうになった。
マルタは天井を見た。
「先生、今日も重症」
私は頬が熱くなって、白いリボンを握りしめた。
「陛下、医務室です」
「知っている」
「知ってて言わないでください」
「言う」
診察が始まる。
私はいつもの声に戻す。
「ここ。吐こう。長く」
騎士が息を吐く。肩が落ちる。
帰り際、騎士が期待の目で私を見る。
「先生、俺……」
「言いません」
私は即答した。
「それは終わってから。今日は、息を吐けた。それで十分」
騎士がしゅんとしながらも、少し誇らしげに頷いて出ていく。
……よし。配布は防いだ。
その昼休み。
私は机に新しい紙を貼った。大きく、はっきり。
『褒め言葉は、必要なときに』
「先生、それ、誰が判断する?」
フィンが聞く。
「私」
「陛下は?」
「陛下は見守るだけです」
私は振り返って言った。
「ね、陛下」
カイゼルは真顔で頷き……そして、私の手元にそっと湯飲みを寄せた。
紙も札も出さない。声も出さない。
ただ、“先生係”が静かに働く。
私は思わず息を吐いてしまう。
「……ありがとうございます」
言った瞬間、カイゼルの口元がわずかに緩む。
そして、低い声が落ちた。
「よく頑張りました」
「今それ言うんですか!」
私は真っ赤になって机を叩きそうになり、ローガンの咳払いが爆発し、フィンが肩を震わせ、マルタが淡々と締めた。
「先生、危険語、本人が使った」
私は長く息を吐いた。
配布を止めたはずなのに。
一番近いところから、また増えてしまった。




