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第141話 “いい日”の使い道

 医務室の扉に貼った紙は、朝から働きすぎていた。


『“いい日”は一日一回まで(先生の気分による)』


 通る騎士が全員、それを読んで一回だけ瞬きをする。

 返事じゃない。抗議みたい。やめて。


「先生、あの紙、効いてる?」

 フィンが小声で聞く。

「効いてます」

「ほんと?」

「……半分くらい」


 ローガンが咳払いで笑いを隠す。

「先生、半分なら十分だろ」

 マルタが腕を組んで淡々と言った。

「十分。残り半分は皇帝」

「皇帝のせいにしないで!」


 そして、その皇帝が静かに入ってくる。

 腕章『先生係』は今日もぴしっ。

 目は昨日からずっと同じことを言っている気がする。

(“いい日”、まだだ)


「おはよう」

「おはようございます」

 私は先に言った。

「陛下、その顔やめてください」

「どの顔だ」

「待つ顔です」

「待つ」

「待たないでください!」

「待つ」


 ……だめだ。会話がループする。


 診察開始。

「ここ。吐こう。長く」

 騎士が息を吐いて、肩が落ちる。

 帰り際、騎士が紙をちらっと見て、勇気を出した顔で言う。


「先生、今日……」

「言わなくていい!」

 私は即座に止めた。

「それは、診察の言葉じゃありません」

「……はい」

 騎士がしゅんとする。かわいそう。

 かわいそうだけど、ここで配布したら終わる。


 窓の近くから低い声。

「良い判断だ」

「褒めないでください!」

「褒める」

「やめて!」


 昼休み。

 私は紙を貼った場所の前で腕を組んだ。

 これで落ち着くはず。

 ……なのに、背後の気配が近い。近すぎる。


「先生」

 フィンが小声で言う。

「陛下、今、“いい日”の使い道考えてる顔」

「考えないで!」


 ローガンが咳払いで追い打ちする。

「先生、陛下、絶対“自分に使え”って言うぞ」

「言わないでください!」

「言う」

 背後から低い声。

 予言やめて。


 私は振り返る前に息を吐いた。

 長く。戻る。

 そして振り返ったら、やっぱりカイゼルがいた。


「……陛下」

「ここだ」

「一日一回の“いい日”、どうしてそんなに欲しいんですか」

 私が聞くと、カイゼルは少しだけ間を置いた。


「お前が言うと、砦が静かになる」

「静かになってません!」

「一瞬、なる」

「一瞬だけ!」

「その一瞬で、戻る」


 真面目な声で言うのがずるい。

 私は頬が熱くなって、紙を見た。

 “先生の気分による”。逃げ道。


「……じゃあ、使い道を決めましょう」

 私が言うと、カイゼルの目が少しだけ強くなる。

「聞く」


 私は指を一本立てた。

「“いい日”は、患者さんが本当に戻れたときに使います」

「私は患者だ」

「患者じゃありません!」

「患者だ」

「どこが!」

「お前がいないと落ち着かない」

「それは病気じゃないです!」

「病気だ」

「認定しないでください!」


 ローガンの咳払いが笑い声になり、フィンが肩を震わせ、マルタが淡々と締めた。

「先生、皇帝は重症」


 私は頭を抱えた。

 でも――ここで終わらせない。

 私は医師。治療計画を立てる。


「陛下」

「ここだ」

「じゃあ、陛下は“今日の仕事が終わったら”です」

「仕事が終わったら?」

「砦の仕事が終わって、私も戻れたら」

「……そのとき、言うのか」

「……言います」

 言ってしまった。自分で言質を取った。最悪。


 カイゼルの口元が、反則みたいに緩む。

 声は出さない。頷きもしない。

 でも目が、確かに言っていた。

(決まった)


 その夜。

 私は仕事を終え、医務室の扉を閉めた。

 廊下には、皇帝。待つ顔。待つ姿勢。待つ呼吸。


「……陛下」

「ここだ」

 近い。逃げられない。


 私は長く息を吐いてから、小さく言った。

「……今日、いい日です」


 言った瞬間、胸の奥がほどけた。

 そしてカイゼルが、珍しく少しだけ息を吐いた。

 長く。

 私の真似みたいに。


「そうだな」

 低い声。

「お前が戻った」


 ……結局。

 “いい日”の使い道は、私の帰り道になったらしい。

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