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第140話 返事が増えた日の落とし穴

 「今日は、いい日だな」

 「……そうですね」


 昨日の私の返事は、思った以上に効いたらしい。

 朝の医務室は、空気がやたら軽い。軽すぎて逆に不安。


 扉を開けると、フィンがすでに待っていた。

「先生! 今日も“うっかり返事”ある?」

「ありません!」

「即否定!」

「からかわないで!」


 ローガンが咳払いで笑いを隠す。

「先生、返事増えたって噂だぞ」

「噂にしないでください!」

 マルタが腕を組んで淡々と言った。

「噂になる。先生の返事は希少」

「希少って言わないで!」


 そこへ静かな足音。

 カイゼルが入ってくる。

 ……腕章『先生係』は相変わらず。だけど胸元の札は消えている。

 昨日の“禁止やめた”効果。少しだけ平和。


「おはよう」

「おはようございます」

 私は白いリボンを整えながら言った。

「今日は、静かにいきましょう」

「分かった」

 即答。素直。怖い。


 診察開始。

「ここ。吐こう。長く」

 騎士が息を吐き、肩が落ちる。

 窓の近くの影が、目で一回だけ「はい」。

 私は止めない。止めないぞ。昨日の私、えらい。


 ……と思った瞬間、落とし穴が来た。


 診察が終わった騎士が、出口で振り返って言った。

「先生、今日“いい日”ですね」


 空気が止まった。

 フィンが「うわ」と口だけで言い、ローガンが咳払いの構え、マルタが天井を見た。

 そして――カイゼルの目が、ぴたりと私を捕まえる。


 私は反射で息を吐いた。長く。

「……そうですね」

 言ってしまった。

 言ってから気づいた。

 “昨日の続きの返事”になってる!


 騎士がぱっと顔を輝かせる。

「やった、先生に返事もらった!」

「返事じゃないです!」

「返事だ」

 窓の近くから低い声。

 やめて。認定しないで。


 フィンが小声で叫ぶ。

「先生、返事の配布が始まった!」

「配布してません!」


 そこから、診察が妙な流れになった。

 患者が息を吐く。肩が落ちる。

 帰り際に言う。


「先生、今日はいい日ですか」

「……えっと」

「先生、いい日って言って」

「先生、お願いします」


 やめて、合言葉みたいにしないで。


 私は机を軽く叩いた。

「いいですか! “いい日”は診察の言葉じゃありません!」

 騎士たちが一斉に息を吐く。

 なぜ息を吐く。条件反射が強い。


 カイゼルが静かに一歩近づいた。

 腕章が見える距離。近い。

 そして低い声で、真面目に言う。


「……お前の返事は、軽く渡すな」

「渡してません!」

「渡した」

「渡してない!」

「渡したから、皆が欲しがる」

「論理が皇帝!」


 マルタが淡々と結論を出す。

「先生、返事を増やすなら、管理が必要」

「管理って言わないでください!」


 私は頭を抱えた。

 禁止をやめたら抜け道は減った。

 でも――返事そのものが“餌”になったら、別の騒ぎが増える。


 昼休み。

 私は医務室の前に紙を貼った。

 でかい字。


『“いい日”は一日一回まで(先生の気分による)』


「……結局、禁止じゃないですか」

 フィンが呟く。

「禁止じゃありません。ほどほどです」

 ローガンが咳払いで笑う。

「先生、またルール作った」

「作ってません!」

 マルタが頷く。

「作った」


 カイゼルが紙を見て、一拍置いてから言った。

「なら、その一回は」

「陛下に渡しません!」

「渡せ」

「命令にしないでください!」

「頼む」

 急に柔らかい。反則。


 私は頬が熱くなって、白いリボンを握りしめた。

 返事が増えた日の落とし穴は、返事が“欲しがられる”こと。

 そして一番欲しがっているのが――たぶん、隣の皇帝だ。

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