第14話 夢の中の鈴
『眠りを守るなら、夢の中から奪う』
黒い札を握ったまま、私はしばらく動けなかった。
匂いで眠れなくするなら分かる。でも“夢の中”は、目に見えない。
「陛下。今夜は、私がここにいます」
そう言うと、皇帝カイゼルは小さく息を吐いた。強がりの殻が、ほんの少しだけ薄くなる。
「……眠れ」
「はい。陛下も」
灯りを落とし、窓を少し開けて空気を入れ替える。甘い匂いはもうしない。温かい飲み物を一口ずつ。深呼吸を十回。
それでも、私は油断しなかった。見えない敵は、静かに来る。
夜半。
隣室から、息を詰めるような音がした。
次の瞬間、低い声。
「……っ、やめろ」
私はすぐ扉を開けた。皇帝は寝台の上で眉を寄せ、冷や汗をかいている。目は閉じているのに、どこかと戦っている顔だった。
「陛下、聞こえますか。ここです。今です」
私は声を落として呼びかけ、手をそっと握った。冷たい。指先が強張っている。
皇帝がうわ言のように言う。
「……鈴……ちりん……」
やっぱり。夢の中にも、あの音が来ている。
「陛下、起きましょう。鼻で吸って、口で吐いて」
私は一緒に呼吸をする。ゆっくり、ゆっくり。
皇帝の喉が動き、息が少しだけ深くなる。
「目を開けたら、ここにあるものを言ってください。五つ」
「……壁。机。灯り。お前。……私の手」
「よし。今の匂いは?」
「……ない」
「音は?」
皇帝が耳を澄ませ、かすかに首を振った。
「……ない」
私はもう一度、手を握り直す。
「ここは現実です。夢じゃない。陛下は一人じゃない」
皇帝がやっと目を開けた。いつもの鋭さが戻りきらず、むしろ困った子みたいな目をしている。
「……また、国が崩れる夢を見た」
「怖かった?」
皇帝は一瞬だけ黙って、悔しそうに言った。
「……ああ」
その素直さに、胸がきゅっとなった。私は笑ってごまかす。
「怖い夢は、悪いことじゃありません。心が“休めてない”って教えてくれてるだけ」
「休めと……?」
「うん。だから今夜は、守り方を変えます」
私は枕元に小さな布袋を置いた。さっき作った、薬草の香りの弱いもの。甘い花じゃない、落ち着く匂いだけ。
「これ、匂いは強くしない。夢に入り込まれたら、現実に戻る“合図”にするため」
皇帝が布袋を見て、ぽつりと言った。
「……お前は、私の夢にまで入るのか」
「入らない。引き戻すだけ」
「……それでも十分だ」
皇帝は少しだけ間を置いて、言い直すみたいに言った。
「……そばにいてくれ」
「はい。ただし、陛下も呼吸を忘れないで」
皇帝の指が、私の手をほんの少し強く握った。
そのとき、遠くで――ちりん。
……いや、今のは外じゃない。私の背筋がぞくりとする。
夢の中だけじゃない。
“現実”にも、まだ近くにいる。
私は灯りを少しだけ強くして、皇帝に言った。
「明日、鈴の正体を探します。夢に入るやり方なんて、普通じゃない」
「私も行く」
「陛下は睡眠を確保してから」
「……分かった。だが、離れるな」
眠り直す皇帝の呼吸が落ち着くのを確かめながら、私は黒い札をポケットの中で握りしめた。
(夢から奪うなら――夢を守る方法も、きっとある)
次に必要なのは、強さじゃない。
“夜に負けないやり方”だ。




