第139話 禁止をやめたら増えた
「禁止令は増えるほど抜け道が増える」
マルタの言葉が、昨日から頭に刺さっていた。
刺さったまま、抜けない。正しいから。
だから私は決めた。
今日は、禁止をやめる。
……自分の心臓が持つ範囲で。
朝、医務室の扉を開けると、カイゼルが立っていた。
腕章『先生係』。胸元『ほどほど』。そして小札『黙る:努力中』。
増えてる。増えてるけど、今日は突っ込まない。禁止しない。私は大人。
「おはよう」
「おはようございます」
私は深く息を吐いて、言った。
「今日から、禁止しません」
カイゼルが一拍置いて瞬きをした。
「……許すのか」
「許すって言い方はやめてください。私が疲れたんです」
「疲れたなら、休め」
「その言い方がもう甘い!」
フィンが口を押さえて震える。
「先生、開始五秒で顔赤い」
「赤くない!」
ローガンが咳払いで笑いを隠す。
「赤い」
マルタが淡々と頷いた。
「赤い」
私は白いリボンを揺らして、話を打ち切った。
「はい、診察します!」
患者が入ってくる。
「ここ。吐こう。長く」
息を吐く。肩が落ちる。
窓の近くの影――カイゼルが、今日は紙も札も出さず、ただ目で「はい」をする。
私は、止めない。
止めない代わりに、息を吐く。
顔が熱くなっても、仕事に戻る。
これが私の“ほどほど”。
……ところが。
禁止しないと、逆に増えた。
患者が帰るとき、カイゼルが小さく言った。
「よく戻った」
声、出てる。
でも私は止めない。止めないぞ。
次の患者。
カイゼルは何も言わず、私の椀を手元に寄せる。
次の患者。
外套の内側の結び目に指先を当てて、ほんの少しだけ口元を緩める。
次の患者。
私の机の端に、薬草の袋をそっと置く。
全部、控えめ。
なのに、全部、刺さる。
禁止してないから余計に刺さる。
「先生」
フィンが小声で囁いた。
「禁止ないと、陛下、遠慮して優しくなる」
「遠慮してこれなんですか!」
ローガンが咳払いで言う。
「普段はもっとだろ」
「やめてください!」
昼休み、私は椀を持って廊下へ出た。
カイゼルが当然みたいに隣へ来る。歩幅が合う。息の速度も合う。悔しい。
「……陛下」
「ここだ」
「今日は、ほどほどに、って札」
「必要だ」
「いらないです」
「いる」
「いりません!」
「なら外す」
カイゼルが腕を上げて札に触れ――ない。止まる。
「……やめろと言うか?」
「言いません」
「本当に?」
「本当に」
「……なら外す」
札が外れた。
小札『黙る:努力中』も外れた。
胸元が少しだけすっきりする。
私の胸元は、すっきりしないけど。
その瞬間、フィンが駆け込んできた。
「先生! 大変!」
「怪我?」
「違う! 陛下が札外した!」
「緊急の種類が違う!」
ローガンが咳払いで笑う。
「先生、砦のニュース担当がいるな」
マルタが淡々と締めた。
「先生、禁止やめたら、増えたのは“騒ぎ”だ」
私は息を吐いて、白いリボンを揺らした。
禁止はやめた。
抜け道も減った。
でも――甘さは減ってない。むしろ、ちゃんと届く分だけ増えた気がした。
カイゼルが私を見て、低く言う。
「今日は、いい日だな」
「……そうですね」
言ってしまってから、頬が熱くなる。
禁止をやめたら、返事が増えた。
そして私の“うっかり返事”も、増えてしまった。




