第138話 黙って甘いの禁止令
「私がリボンを触ったら、陛下は黙る」
昨日の新ルールは、完璧だったはずだ。
はずだったのに――朝から嫌な予感がした。
嫌な予感は、いつも当たる。
医務室の扉を開けると、カイゼルがすでに立っていた。
腕章『先生係』。胸元に『ほどほど』。
さらに新しく、小さな札まで増えている。
『黙る:努力中』
「……増えてません?」
「増えていない」
「増えてます!」
「努力だ」
「努力を可視化しないでください!」
フィンが後ろで肩を震わせる。
「先生、陛下、努力がかわいい」
「かわいくない!」
ローガンの咳払いが、もう笑い声の手前。
マルタは腕を組んで淡々と頷いた。
「先生、今日も負ける」
「まだ始まってません!」
診察開始。
私は白いリボンを揺らす。
「ここ。吐こう。長く」
患者が息を吐き、肩が落ちる。
カイゼルは……黙っている。よし。
……よし、の次。
カイゼルが何も言わない代わりに、紙をそっと出した。
そこに、達筆な文字。
『よくできた』
「……陛下」
「黙っている」
「黙ってるのに、言ってます!」
「紙だ」
「紙もだめです!」
患者が目を丸くする。
「先生、陛下、褒めてくれた……」
「褒めてません!」
「褒めた」
カイゼルが小さく頷きそうになって、我慢した。
我慢の顔が誇らしげなの、やめて。
私は反射で、腕章の隣の小さな“合図リボン”に触れた。
――黙れの合図。
カイゼルはぴたりと動きを止め、紙も引っ込めた。偉い。
……と思ったら。
今度は、椀を私の前にすっと寄せた。
そして、その椀の横に、また紙。
『水分』
「黙って甘いの禁止って言いましたよね!」
私が小声で抗議すると、カイゼルは真顔で返す。
「甘くない。医療だ」
「医療に見せかけて優しいのが反則なんです!」
廊下の向こうでローガンが咳払いを爆発させた。
「先生、それはもう諦めろ」
「諦めません!」
フィンが小声で煽る。
「先生、紙は禁止なら、次は視線だよ」
「予言しないで!」
予言は当たった。
午後。
患者が息を吐けた瞬間、カイゼルは何もしない。
紙も出さない。椀も動かさない。
ただ、私を見る。
目だけで、ゆっくり「はい」。
そして――目だけで「好き」。絶対それ。
私は慌ててリボンに触った。
触ったのに、目は止まらない。
目は止められない。
禁止できない。
「陛下、目は止められないんですか!」
カイゼルが淡々と答える。
「止めない」
「止めてください!」
「止めない」
「なんで!」
「お前がいる」
……また反則。
私は顔が熱くなって、思いきり息を吐いた。
長く。戻る。戻れ、私。
そこへマルタが冷たく言った。
「先生、結論。禁止令は増えるほど抜け道が増える」
「ほんとそれです!」
フィンが笑いをこらえながら言う。
「先生、次は何を禁止する?」
「禁止しません!」
「じゃあ何する?」
ローガンが咳払いで締める。
「受け入れるんだろ」
私は白いリボンを握りしめて、顔を伏せた。
黙って甘いの禁止令は、守られない。
なぜなら皇帝は、黙っても、紙でも、目でも、甘いから。
……反則、強すぎる。




