第137話 頼み方が甘いのは反則
「陛下、今日は、ほどほどにしてください」
昨日の私の“頼み”は、医務室じゅうに響いたらしい。
朝、廊下を歩くだけで、咳払いが増える。やめて。
医務室の扉を開けると、カイゼルが待っていた。
腕章『先生係』。姿勢ぴしっ。
そして今日は――胸元に小さな紙が貼ってある。
『本日の業務:ほどほど』
「……陛下」
「ここだ」
「それ、誰が貼ったんですか」
「私だ」
「なんで貼るんですか!」
「忘れないため」
「忘れないでほしいけど、見せないでください!」
フィンが口を押さえて震える。
「先生、陛下、メモするタイプ」
「しなくていい!」
ローガンが咳払いでぼそっと言った。
「先生係、管理職だな」
「管理職って言わないで!」
マルタが腕を組んで結論を出す。
「先生、今日も無理」
「まだ始まってません!」
診察が始まる。
私は白いリボンを揺らす。
「ここ。吐こう。長く」
患者が息を吐く。肩が落ちる。
カイゼルは……ほどほど。動かない。偉い。
……偉いんだけど、ほどほどの“方向”が違った。
患者が診察を終えて立ち上がるとき、カイゼルが低い声で言った。
「無理をするな」
患者が固まる。
「……はい」
そしてなぜか誇らしげに息を吐いて出ていった。
「陛下!」
私が小声で抗議すると、カイゼルは真顔で返した。
「ほどほどだ」
「患者さんにまで言わないでください!」
「言う。健康のためだ」
「健康のためなら何でも許されません!」
廊下の向こうでローガンの咳払いが爆発しかける。
フィンが肩を震わせ、マルタが天井を見る。
「先生、砦が救われる」
「救われ方が変!」
昼休み。
私は机に突っ伏して息を吐いた。
「……陛下、ほどほどって難しいですね」
「難しい」
カイゼルが即答した。
認めるの、ずるい。
「じゃあ、どうしてそんなに頑張るんですか」
私が聞くと、カイゼルは少しだけ間を置いた。
そして、外套の内側の結び目に指先を当てて言う。
「お前が、戻る場所だからだ」
……ほら、そういうの。
頼み方が甘い。反則。
私は頬が熱くなって、机の端をぎゅっと掴んだ。
「陛下、医務室です」
「知っている」
「知ってて言わないでください」
「言わないと、足りない」
「また足りないって!」
その瞬間、扉が開いてフィンが顔を出した。
「先生! 次の患者!」
私が助かったと思ったのも束の間。
フィンがカイゼルの胸元のメモを見て、真面目に読み上げた。
「本日の業務:ほどほど……」
「読むな!」
「先生、ほどほどって何?」
「今説明しない!」
午後。
私は“頼ませ方”への対抗策を考えた。
言わせる前に、こちらが先に“命令”する。
でも命令は嫌。
じゃあ――合図。
私は白いリボンを一本、机の引き出しから取り出した。
小さく結んで、カイゼルの腕章の隣にちょこんと付ける。
「これ、何だ」
「“ほどほど”の合図です」
「どういう」
「私がそれを触ったら、陛下は……黙る」
「黙る?」
「黙ります。甘いこと言うの禁止」
「禁止という言い方はやめろ」
「控えてください!」
「……控える」
素直。怖い。
そして案の定、その直後に罠が来た。
患者が息を吐けた瞬間、カイゼルが口を開きかける。
私は反射でリボンを触った。
カイゼルがぴたりと黙った。
代わりに、目だけで笑った。
……黙ってるのに、甘い。
「陛下、黙っても甘いんですけど!」
ローガンの咳払いが笑い声になり、フィンが吹き出し、マルタが淡々と締めた。
「先生、詰み」
私は長く息を吐いて、白いリボンを握りしめた。
頼み方が甘いのは反則。
黙って甘いのも反則。
……つまり、皇帝が反則。




