第136話 「頼んだときだけ」は無理
「先生係は、私が頼んだときだけ動く」
昨日、私はそう決めた。
決めた瞬間、勝った気がした。
……朝までは。
医務室の扉を開けると、カイゼルがもういた。
腕章『先生係』ぴしっ。
そして――両手を背中に組んで、動かない。動けない顔。
「おはよう」
「おはようございます。……陛下、どうしたんですか、その姿勢」
「待機だ」
「待機って言わないでください」
「待つ」
「待つのが得意なの、やめて!」
フィンが小声で言う。
「先生、陛下、“頼まれるまで動かない”って決めてる」
「真面目すぎる!」
ローガンが咳払いでぼそっと言った。
「先生、頼まないと何も起きねぇぞ」
「それが狙いです!」
……その狙いは、開始早々に崩れた。
最初の患者が椅子に座ろうとして、椅子が少しガタついた。
ガタ。
その音に、カイゼルの指がぴくっと動く。
動きかけて――止まる。
拳を握り、背中に戻す。
我慢の塊。
患者が固まった。
「……先生、陛下、今……」
「気にしないで」
私は白いリボンを揺らす。
「ここ。吐こう。長く」
患者が息を吐く。
その瞬間、椅子がまたガタ。
カイゼルの肩が震える。
……怖い。真面目すぎて怖い。
私は耐えられず、小声で言った。
「陛下、椅子、直していいです」
カイゼルが即答。
「いいのか」
「今だけです!」
「分かった」
カイゼルは無言で椅子を直した。
手際が良すぎて、患者がなぜか深く息を吐いた。
「……戻った」
「戻ったの種類が違う!」
廊下でローガンが咳払いをしながら言う。
「先生、今のは頼んだ扱いでいいのか」
「いいです!」
マルタが腕を組んで頷く。
「先生、既にルール崩壊」
「崩壊してません!」
午前中、私は何度も言った。
「陛下、椀取ってください」
「陛下、窓少し」
「陛下、薬草の袋」
頼むたびにカイゼルが即座に動く。
動きが正確すぎて、私が逆に忙しい。頼む言葉が増える。
フィンが小声で笑う。
「先生、陛下の操作方法、音声入力になってる」
「やめて!」
昼休み、私は机に突っ伏した。
「……疲れた」
すると隣から低い声。
「休め」
「休みます」
「今」
「今は無理です」
「なら、椅子」
「椅子?」
「座れ」
「座ってます!」
カイゼルは真顔で腕章を指で押さえた。
「頼んでいないのに言うのは、違反か」
「違反です」
「……なら」
カイゼルが少しだけ眉を寄せる。
「頼め」
「そこを頼ませるな!」
私は顔が熱くなって、思わず叫んだ。
廊下の向こうで咳払いが連鎖する。フィンが肩を震わせ、マルタが天井を見る。
カイゼルは淡々と続けた。
「お前の口から聞きたい」
「何をですか」
「頼み」
「頼みって言わないでください!」
「頼め」
……ずるい。
待つのが得意な皇帝に、言わせるのが得意な皇帝が乗ったら終わりだ。
私は長く息を吐いて、観念して言った。
「……陛下、今日は、ほどほどにしてください」
カイゼルが一拍置いて、目だけで笑った。
返事が顔に出てる。
「了解」
「軍隊みたいに返事しないで!」
「了解」
結論。
「頼んだときだけ」は無理。
だって、頼まされる。
しかも――頼ませ方が、甘い。




