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第133話 点眼係、任命しないで

 翌朝、医務室の扉を開けた瞬間、私は固まった。

 列がある。診察の列……ではない。全員、片目を押さえている。


「先生……目が……」

「先生、乾く……」

「先生、昨日のやつ……」


「待って。どうして一斉に目の話になるの」

 私が呟くと、フィンが胸を張った。

「噂! 陛下が先生に点眼したって!」

「噂にしないで!」


 ローガンが咳払いで笑いを隠す。

「砦のニュース、早いな」

 マルタは腕を組んで淡々と言った。

「先生、責任。目を守れ」

「責任って何!」


 そこへ静かな足音。

 カイゼルが現れた。いつも通りの顔で、いつも通りの声。


「並ぶな」

 列がぴたりと止まる。強い。


「……陛下、止めてくれるのは助かりますけど」

 私が言いかけた瞬間、列の後ろの騎士が恐る恐る口を開いた。

「陛下、俺にも……」

「だめだ」

 即答。

「先生の許可が必要だ」


 必要って何。

 私は頭を抱えたくなった。


「陛下、余計なこと言わないでください!」

「余計ではない。お前の仕事だ」

「私の仕事は診察です! 点眼係じゃない!」


 フィンが小声で言う。

「先生、点眼係って響きかわいい」

「かわいくない!」


 私は白いリボンを揺らし、列へ向き直った。

「いいですか。目は大事。でも、今ここは医務室。落ち着く場所」

 全員が真面目に頷く。真面目すぎる。


「ここ。吐こう。長く」

 息がそろって、少し空気が戻る。

 よし、これで――と思ったのに。


 カイゼルが私の横に立ったまま、低い声で言った。

「必要なら、私は手伝う」

「手伝わないでください!」

「手伝う」

「手伝うな!」


 ローガンの咳払いが、もう笑い声だった。

 マルタは天井を見ている。

「先生、止めるのは無理」

「無理じゃない!」


 私は深く息を吐いて、医師らしく決めた。

「……宣言します。点眼は自分で!」

 列がざわつく。

「でも、どうしても手が震える人は……私がやります」

 列が一瞬で静まった。

 そして、全員の視線が私の横へ滑る。


 カイゼルが真顔で一歩前に出る。

「私も、どうしても手が震える」

「震えてません!」

「震える」

「嘘つかないでください!」

「嘘ではない。お前が見ている」


 ……ずるい。

 私は頬が熱くなって、机の上の箱を押さえた。隠すつもりが、逆に目立つ。


 そのとき、騎士のひとりが言った。

「先生、陛下は“先生専用”ですよね」

「違います!」

 即否定したはずなのに、隣から低い声。


「そうだ」

「そうって言わないで!」


 私が慌てた拍子に、箱がころんと転がった。

 カイゼルの手が反射で掴む。速い。優しい。逃げ場がない優しさ。


「……先生」

 カイゼルが小さく言う。

「目を閉じろ」


「閉じません!」

「頼む」

 柔らかい声。反則。


 私はぎゅっと目を閉じた。

 冷たい雫が落ちて、頬を指先がそっと拭う。

 その瞬間、列のあちこちから「おお……」みたいな息が漏れた。やめて。


「はい、解散!」

 私は目を閉じたまま叫んだ。

「息! 吐こう! 長く!」


 ばらばらだった空気が、また戻っていく。

 目を開けると、カイゼルが真顔で私を見ていた。

 でも、口元が少しだけ緩んでいる。


「……陛下」

「ここだ」

「点眼係、任命しません」

「分かった」

 即答して、付け足す。

「では、先生係にする」


「係にしないでください!」

「する」

「するな!」


 笑いをこらえる咳払いが廊下に広がった。

 私は長く息を吐いて、白いリボンを揺らした。

 目は潤ったのに、頬の熱さだけは――まだ戻らなかった。

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