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第132話 目薬は甘くない

 昨日の廊下の出来事は、朝にはもう砦じゅうに広まっていた。

 医務室の前に立った瞬間、視線が刺さる。しかも全員、やけに真面目な顔。


「先生、おはよ」

 フィンがにやにやしながら近づいてきた。

「……その顔、やめて」

「だってさ、先生の“合図”、ついに出たって」

「合図って言うな!」


 ローガンが咳払いで追い打ちする。

「先生、廊下で倒れるかと思ったぞ」

「倒れてません!」

 マルタは腕を組んで淡々と言った。

「先生、顔が赤い。医務室に入る前に戻れ」

「戻ってます!」


 扉が静かに開いた。

 カイゼルが入ってくる。いつも通りの顔、いつも通りの足音。

 なのに目だけが、昨日の返事の続きを持っている。


「おはよう」

「おはようございます……」

 私は先に言う。

「今日は、その話、禁止です」

「禁止という言い方はやめろ」

「じゃあ……控えてください!」

「控える」

 即答。素直。怖い。


 ……その素直さが、逆に怖かった。

 だって、カイゼルは控えたまま、私の机の端に小さな箱を置いたのだ。


「目薬」

「え、何ですかこれ」

「お前の目が忙しい」

「忙しいのは目じゃなくて周りです!」


 フィンが身を乗り出す。

「先生、目薬って、陛下がさしてくれるの?」

「ささなくていい!」

 ローガンが咳払いで笑いを隠す。

「先生、顔がもう拒否してる」

「拒否してます!」


 マルタが冷たく言う。

「先生、目が乾くのは事実」

「事実だけど!」


 そこへ診察の騎士が入ってきて、椅子に座る前に箱を見た。

「……先生、それ」

「医療です」

 私は白いリボンを揺らした。

「ここ。吐こう。長く」


 騎士が息を吐く。いい流れ。

 ……なのに背後の空気が、やけに静か。

 窓の近くの影は頷かない。声も出さない。偉い。

 偉いけど、目が「終わったら」って言ってる。やめて。


 昼休み。私は逃げるように廊下へ出た。

 出た瞬間、ぴたりと隣に影が並ぶ。歩幅が合うのが腹立つ。


「陛下」

「ここだ」

「目薬、いりません」

「いる」

「いりません!」

「お前が言うまで待つ」

「待つのがずるいって、何回……」

「知っている」


 私は息を吐いて、箱を指でつついた。

「じゃあ自分でさします。自分でできます」

「見ている」

「見ないでください!」

「見ないと危ない」

「危なくない!」


 医務室に戻ると、なぜか全員が壁際に整列していた。

 フィンは口を押さえ、ローガンは咳払いの構え、マルタは腕組みで無表情。

 観客みたいな顔、やめて。


「……何してるの」

「医療の見学」

 マルタが即答した。

「見学いらない!」


 私は観念して箱を開け、目薬を持ち上げる。

 その瞬間、カイゼルが私の手首をそっと支えた。軽いのに逃げられない。


「……手、震えてる」

「震えてません!」

「震えてる」

「震えてるのは心臓です!」


 ローガンが咳払いで吹き出しかけ、フィンが肩を震わせ、マルタが小さくため息をついた。

「先生、素直にやれ」

「素直にって何!」


 私は意地で目薬をさそうとして――外した。

 頬をつたう冷たさ。最悪。


「……ほら」

 カイゼルの声が落ちる。

「だから危ない」

「危なくないって言ったのに!」

「危ない」


 カイゼルが目薬を受け取り、低く言った。

「目を閉じろ」

「嫌です」

「閉じろ」

「命令にしないでください!」

「頼む」

 急に柔らかい。ずるい。


 私は息を吐いて、そっと目を閉じた。

 まつ毛の影が揺れる。近い気配。

 冷たい雫が落ちて、次に――指先が頬を拭った。やさしく、当たり前みたいに。


「……終わり」

「終わってません。心が」

「戻せ」

「戻してます!」


 目を開けると、カイゼルが真顔で私を見ていた。

 でも口元が、ほんの少しだけ緩んでいる。返事が顔に出てる。


「陛下、笑いましたね」

「笑っていない」

「笑ってます」

「……漏れた」


 フィンが耐えきれずに叫びそうになって、マルタに口を塞がれた。

 ローガンの咳払いが、もう咳じゃない。


 私は長く息を吐いて、白いリボンを揺らした。

「はい、診察に戻ります!」

 戻るはずなのに、頬だけが熱いままだった。

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