第129話 瞬きで喧嘩しないで
朝の廊下は、やけに目が忙しかった。
すれ違う騎士たちが、真顔で一回だけ瞬きをしてくる。
返事のつもりらしい。律儀すぎる。
「先生、おはよう」
フィンが瞬き一回。
「おはよう……って、やらなくていい」
「でも、やる」
「やるな!」
ローガンが咳払いで笑いを隠す。
「先生、砦が静かなのに騒がしい」
「的確に言わないでください!」
医務室に入ると、机の上の紙――『目の「はい」:診察中のみ』――が、なぜか増えていた。
同じ紙が三枚。
しかも全部、筆跡が違う。
「……誰が増やした」
私が呟くと、マルタが腕を組んで答えた。
「貼りたい人がいた」
「貼りたいって何!」
「安心するらしい」
「安心の使い方が違う!」
そこへ扉が静かに開いて、カイゼルが入ってくる。
いつもの顔。
でも今日は、入ってすぐ机の紙を見て、眉がほんの少しだけ動いた。
「増えたな」
「増やしたのは私じゃありません」
「……ふむ」
その“ふむ”が嫌な予感だった。
診察が始まる。
私は白いリボンを揺らして言う。
「ここ。吐こう。長く」
騎士が息を吐く。肩が落ちる。
窓の近くの影が、一回だけ瞬きをする。
――完璧。
……のはずが、次の瞬間。
廊下側から、別の“瞬き”が見えた。
ローガンだ。なぜか窓の影に対抗するように、一回だけ瞬きをしている。
真顔で。
「……ローガン?」
私が小声で呼ぶと、ローガンは咳払いをして答えた。
「何だ」
「何だ、じゃなくて……今の何」
「返事だ」
「誰への!」
「先生への」
窓の影――カイゼルの視線が、すっとローガンに向いた。
空気が一段冷える。
怖い冷えじゃない。妙に圧が増す冷え。
マルタが腕を組んで、淡々と言った。
「始まった」
「何が始まったんですか」
「瞬きの喧嘩」
「喧嘩しないでください!」
私は即座に白いリボンを揺らした。
「ここ! 吐こう! 長く!」
騎士が反射で息を吐く。
……患者さんまで巻き込まれてる!
ローガンがぼそっと言う。
「陛下の“目”が独占なら、俺の“目”は公共だ」
「公共って言わないで!」
フィンが口を押さえて肩を震わせている。
「公共の目、やばい」
窓の影から、低い声が落ちた。
「公共ではない」
「いや、俺の目は公共だろ」
「違う」
「どこが」
「先生が困る」
「困ってるのは今だ!」
私は額を押さえた。
何この会話。真面目に瞬きで主張しないで。
そこで、診察の騎士が恐る恐る言った。
「……先生、俺、吐けばいいんですか」
「吐いて! 長く!」
「はい!」
騎士が声で返事した瞬間、カイゼルがぴたりと止まり、ローガンもぴたりと止まった。
……声の「はい」、強い。
私は感動してしまった。違う、感動してる場合じゃない。
「決めます」
私は机を軽く叩いた。
「瞬きは、患者さんが吐けた合図として一回。以上」
ローガンが咳払い。
「先生、俺は禁止か」
「禁止って言わないでください。控えてください」
「控える」
珍しく素直。
カイゼルも、私を見る。
「私も控える」
「お願いします」
私は息を吐いた。
……平和が戻った。
と思った、そのとき。
フィンが小声で言った。
「先生、じゃあ先生の瞬きは?」
「私の瞬き?」
「先生も“はい”できるじゃん」
「しません!」
カイゼルが低く言う。
「するな」
ローガンがぼそり。
「するな、だとよ」
「しませんってば!」
私は白いリボンを握りしめて、長く息を吐いた。
瞬き一回で、こんなに揉めるなんて。
……でも、誰も怒ってない。
ただ、必死に私の隣を取り合っているだけ。
それが可笑しくて、私は少しだけ笑ってしまった。




