第118話 頷き禁止令
「目で返事して」
私がそう言ったせいで、医務室の空気が妙に緊張していた。
原因は単純。
窓の外の影が、頷きを我慢している。
……我慢しすぎて、逆に圧が強い。
「先生、陛下、動かない」
フィンが小声で言う。
「昨日も動かなかったでしょ」
「昨日は“頷きすぎた”。今日は“頷きゼロ”」
「ゼロはやめてって言ってない」
「でもゼロ」
ローガンが腹の底で笑う咳払いをした。
「先生、頷き禁止令出したみたいになってるぞ」
「出してません!」
マルタが腕を組んで冷たく言う。
「先生が言ったのは“目で返事”だ。頷きの回数まで管理してない」
「管理って言わないでください!」
そこへ診察の騎士が入ってくる。
椅子に座る前に、窓の方を見て――固まった。
「……先生」
「うん。ここ。吐こう。長く」
私は白いリボンを揺らす。
騎士が息を吐く。ちらっと窓を見る。影、動かない。
また息を吐く。窓を見る。影、動かない。
「……陛下、石像?」
「石像じゃない!」
私が言いかけて、しまったと思う。患者にツッコミ入れてどうする。
窓の外から、低い声が一度だけ落ちた。
「石像ではない」
騎士が背筋を伸ばした。
「しゃべった!」
「しゃべらないでください!」
私が言うと、廊下の向こうでローガンが咳払いに失敗して笑い声になった。
マルタが天井を見る。
「先生、もう無理だ」
診察の合間。
私は廊下へ出て、窓際へ行った。
カイゼルが立っている。相変わらず動かない。
目だけが、ものすごく真剣。
「陛下」
「ここだ」
返事は即答。でも頷かない。
「頷いていいんです」
「昨日、増やしすぎと言われた」
「増やしすぎじゃなくて、“増やし方がズレてる”です」
「同じだ」
「同じじゃない!」
私は息を吐いて、指で空中に小さく丸を描いた。
「こうしましょう。頷きは“一回だけ”」
言ってから、また自分で言ってることがおかしくて頭が痛い。
「一回」
カイゼルが真面目に確認する。
「はい。患者さんが息を吐けた瞬間に、一回」
「分かった」
……素直。怖いくらい素直。
午後。
患者が入ってくる。
「ここ。吐こう。長く」
息を吐く。
そして、吐けた瞬間――窓の外の影が、ぴしっと一回だけ頷いた。
患者が目を丸くする。
「今の……合図?」
「合図です」
私は真面目に頷いた。
「“戻れた”の合図」
患者がなぜか誇らしげに胸を張った。
「俺、戻れた」
「戻れました」
私も返す。
廊下でフィンが小さく拍手して、マルタに睨まれて止まった。
ローガンがぼそっと言う。
「頷き、儀式みたいになってきたな」
「言わないで!」
夕方、診察が終わると、私は窓際のカイゼルに近づいた。
「陛下、今日の頷き、合格です」
「当然だ」
即答。
そして、声を落として付け足す。
「だが、二人きりのときは一回では足りない」
私は真っ赤になって、白いリボンを握りしめた。
「それは、明日の分です!」
「明日の分は明日」
カイゼルが真面目に返した。
……真面目に返すな。
私は笑いそうになって、息を吐いた。
頷き禁止令なんて出してない。
でも、皇帝の頷きは、今日もきっちり管理されていた。




