第117話 返事、増やし方がズレてる
結び目撤去作戦は成功した。
外套の内側に残った結び目は、たった一つ。迷路は消えた。医務室の手も足りる。――はずだった。
翌朝。
医務室に入った瞬間、私は異変に気づいた。
廊下が静かすぎる。
みんな、息をひそめている。
そして全員、私を見て「行け」という顔をしている。
「……何」
私が小声で聞くと、フィンが同じくらい小声で言った。
「先生、陛下が……“返事増やす”って言ったじゃん?」
「言いましたね」
「増やしてる」
「どうやって」
フィンが目を逸らす。
「……声で」
嫌な予感がした。
私は首もとの印に触れ、息を吐いてから扉を開けた。
そこにいたのは、窓の近くの“見えにくい位置”に立つカイゼル。
いつも通り、動かない。頷きすぎない。偉い。
……でも、口だけが動いている。
「ここだ」
小声。
「ここだ」
また小声。
「ここだ」
さらに小声。
私は固まった。
何これ。念仏?
診察に来た騎士が椅子に座る前に、窓の方を見て固まる。
「……陛下、今……」
「気にしないで」
私は必死に真面目な顔を作る。
「風の音です」
「ここだ」
風の音じゃない。
しかも一定間隔で聞こえる。
患者の呼吸と同じリズムで。
私は白いリボンを揺らしながら、心の中で叫んだ。
(増やし方がズレてる!)
診察が終わった瞬間、私は廊下へ飛び出しそうになって――止まった。
走らない。私は医師。息を吐く。
そして扉を開けて、窓の近くへ行く。
「陛下」
「ここだ」
即答。今も即答。
「今のは、やめてください」
「何が」
「“ここだ”を増やすやつです」
「増やした」
「増やしすぎです!」
「足りないと言った」
「言ってません!」
カイゼルが少しだけ眉を動かす。
「……結び目が減った」
「減りました」
「だから返事を増やした」
「論理が変です!」
「変ではない。総量は同じだ」
「総量って言わないで!」
廊下の向こうでローガンが盛大に咳払いした。
「先生、陛下、算数やめろ」
「算数じゃないです!」
「算数だろ」
「算数です」
マルタが冷たく締めた。
私は額を押さえ、息を吐いた。
「分かりました。返事を増やすのはいいです」
「うん」
即答。
「でも、増やし方を変えてください」
「どうする」
「……私が呼んだときだけ、返事」
「それは減る」
「減らしていいです!」
「……嫌だ」
声が低い。珍しく、わがまま。
私は負けかけて、でも踏ん張った。
「嫌でも、患者さんが混乱します」
「……混乱させない」
カイゼルが真顔で頷いた。
「では、目で返す」
「それでお願いします!」
その日の午後。
診察室に患者が入ってきて、息を吐く。
窓の外の影が一度だけ頷く。
静か。完璧。平和。
……と思ったら、廊下からフィンの声が聞こえた。
「先生! 陛下が返事を“目で”増やしすぎてる!」
「増やしすぎって何!」
ローガンがぼそっと言う。
「頷きが多いって意味だろ」
「やめて!」
結び目は減ったのに、忙しさが減らない。
皇帝の返事は、増やし方がちょっとだけズレている。
でも――笑いが増えてるのは、確かだった。




