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第114話 線を張るのは、私

 その日の夕方。

 診察が終わったあと、私は医務室の前に立って、白いリボンを手に取った。


「……今日は、張る」

 小さく言うと、フィンが目を丸くする。

「先生が言った!」

 ローガンがぶっきらぼうに言う。

「宣言すんな。照れるだろ」

「照れてません!」


 マルタは腕を組んで頷いた。

「自分で張るなら正しい。自分で外すなら、もっと正しい」


 私は息を吐いて、リボンをぴんと張る。

 結び目を作る。ほどけないけど、締めつけない結び目。

 線は、誰かに引かれるものじゃない。私が選ぶための線。


 向こう側に、カイゼルが立っている。

 線を越えない距離。

 でも目は、ずっと私だけを見ている。


「陛下」

「ここだ」

 返事が落ちる。

 その返事だけで、胸の奥が少し落ち着く。


「約束、覚えてますか」

「覚えている」

「診察中は控える」

「控えた」

「終わったら、私が“今日の分”を言う」

「うん」


 私の心臓が忙しくなる。

 自分で決めたのに、自分で恥ずかしくなる。


「今日の分は……」

 言いかけて、喉に手を当てて息を吐いた。

 逃げない。揺れない。選ぶ。


 カイゼルは待つ。

 急かさない。

 ずるい“待つ”。


 私は指先でリボンの結び目を触ってから、言った。

「……手をつないで、帰る」

 言った瞬間、頬が熱くなる。

 でも、ちゃんと選べた気がした。


 カイゼルが頷いた。

「うん」

 それだけ。押しつけない返事。


 私は結び目をほどく。

 きゅ、と小さな音。

 線が外れる音。


 カイゼルが一歩だけ近づき、私の手を取った。指を絡める。ほどけない返事。

 それだけで、足元が少し軽くなる。


 廊下の奥でローガンが盛大に咳払いをした。

「……帰るなら帰れ。先生、明日の診察に響くぞ」

 フィンが慌てて言う。

「先生、俺、門閉めとく!」

 マルタは呆れた顔で言った。

「勝手に閉めるな。……でも早く行け」


 私は笑ってしまった。

 みんなが、私の“選び”を面白がりながら守ってくれている。


 外へ出ると、夕焼けが砦の石を赤く染めていた。

 カイゼルが私の歩幅に合わせる。

 私が息を吐くと、同じ速度で吐く。

 返事は、声より近い。


「陛下」

「ここだ」

「……手、冷たいです」

「なら、温める」

 カイゼルが当然みたいに言い、私の手を両手で包んだ。


「それ、明日の分じゃないですか」

「今日の分だ」

「ずるい」

「お前が許した」


 私は負けて、夕焼けの中で息を吐いた。

 線を張るのは、私。

 でも――線の外でも内でも、迎えはちゃんと隣にいる。

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