表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/168

第112話 線が外れる音

 夕方。最後の診察が終わった瞬間、医務室の空気がふっと軽くなった。

 騎士たちが順番の札を戻し、白いリボンを指先で揺らしながら帰っていく。

「戻った」

「戻れた」

 小さな返事が、廊下に残る。


 私は机に手をついて息を吐いた。長く。

 今日も線は守れた。

 線の外のカイゼルは、頷きすぎないのを最後まで我慢した。――偉い。……褒めたい。


 扉の外。

 あの白いリボンがぴんと張られている。

 線。境目。私が選ぶための線。


 私は立ち上がり、リボンの前に立った。

 向こう側に、カイゼルがいる。

 距離は一歩。なのに線があるだけで、別の世界みたいに見える。


「……陛下」

「ここだ」

 返事がすぐ落ちる。

 それだけで、胸の奥がほどける。


 私は指で結び目をほどく。

 きゅ、と小さな音。

 それは、線が外れる音。


 リボンがふわりと垂れた瞬間、カイゼルが一歩だけ近づいた。

 急がない。押さない。

 でも、逃がさない距離。


「終わった」

 低い声。

「終わりました」

 私が答えると、カイゼルの視線が私の首もとの印へ落ち、次に私の目へ戻る。

 いつもの確認。ここにいる確認。


「……約束」

 カイゼルが言う。

「“いい”と言った分だけ」

 私は頷いた。

「はい。……今日の分は」


 言いかけて、恥ずかしくなる。

 私は喉に手を当てて息を吐いた。

 恥ずかしいのに、嫌じゃない。戻れるから。


「今日の分は?」

 カイゼルが追い打ちしない声で聞く。

 待ってくれる声。

 ずるい。


 私は白いリボンを指先で握り、そっと言った。

「……手を、つないでいいです」

「うん」

 即答。

 カイゼルの指が私の指を絡める。ほどけない返事。

 それだけで、心臓が忙しくなる。


「……それだけ?」

 カイゼルが、声を落とす。

 問い詰めじゃない。確認。選べるための確認。


「それだけ、のはずでした」

 私は正直に言って、目を逸らす。

「でも、顔が近いです」


「近づいた」

 淡々。

「近づいたら、どうなる」

「……困ります」

「困るのは、嫌か」

 まっすぐな目。嫌なら止める目。


 私は息を吐いて、首を振った。

「嫌じゃないです。……ただ、心臓が」

「忙しいか」

「忙しいです」


 カイゼルの口元が、ほんの少しだけ緩む。反則の笑い方。

 そして、私の額に軽く口づけた。短い。逃げ道を残したままの迎え。


「今日も、戻ったな」

「はい」

 私は小さく笑った。

「陛下が、待ってたから」


 そのとき、廊下の奥からローガンの咳払いが聞こえた。

「……先生、線、外したのか」

 フィンの声も重なる。

「お、お疲れさま……」


 私は慌てて一歩下がろうとして、カイゼルの指がほどけない。

 逃げない。隠さない。

 でも――少しだけ、照れる。


「今日の分、もう終わりです!」

 私が小声で言うと、カイゼルは真顔で頷いた。

「分かった」

 ……素直すぎる。


 そして、同じくらい小さな声で付け足した。

「明日の分は、明日」


 私は負けて、白いリボンを握りしめた。

 線が外れる音は、小さかった。

 でもその音は、私の一日をきれいに“戻す”合図になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ