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第111話 線引きの天才と、線の外の皇帝

 朝、医務室の扉の前に、白いリボンが一本ぴんと張られていた。

 誰が見ても分かる。「ここから先は、だめ」の線。


「先生」

 マルタが腕を組んで言う。

「線を引けって言った。だから引いた」

「引き方が、物理なんですけど……」


 ローガンが口を押さえて震えている。

 フィンは真面目な顔で頷いた。

「分かりやすい。戻りやすい」


 そこへ、当の本人が来た。

 カイゼルはリボンを見るなり、立ち止まる。――止まれるんだ。偉い。

 でも次の瞬間、目だけが私に来る。甘い。手加減がない。


「これは」

「線です」

 私は先に言った。

「診察の間は、ここまで。控えめの線」


 カイゼルは一拍置いて頷いた。

「分かった」

 そして真顔で続ける。

「私は線の外にいる。だが、返事はする」

「返事は、目で」

「分かった」


 ……素直。怖いくらい素直。


 診察が始まった。

 騎士が入ってきて、リボンを見て、私を見て、廊下の皇帝を見ようとして――見えない。線の外にいるから。


「先生、陛下は?」

「線の外」

 私は白いリボンを揺らした。

「ここ。吐こう。長く」


 騎士が息を吐く。

 私は窓に視線をやる。外の光の中で、カイゼルが一度だけ頷いた。

 頷きすぎない。偉い。……でも、目が「褒めて」と言っている。


 私は目で「上手」と返した。

 カイゼルの口元が、ほんの少しだけ緩む。反則。


「先生、いまの……」

「鳥を見てたの」

「鳥、頷くんですか」

「頷く日もある」


 ローガンの咳払いが廊下で爆発しそうになって、マルタが冷たい目で止めた。


 昼休み、私は線の前まで行く。

 カイゼルは線を越えない。越えないのに、距離が近い。


「陛下、線、守れてます」

「当然だ」

 即答してから、声を落とす。

「お前が望むなら、私はどこにでも立つ」


「じゃあ、質問です」

 私は息を吐いてから聞いた。

「控えめって、どれくらいですか」


 カイゼルが少し考える顔をして、腕を伸ばした。

 線の外のまま、手がぎりぎりリボンに届きそうになる。


「それ以上はだめ!」

 私が咄嗟に言うと、カイゼルはぴたりと止まった。

 止まれてしまうのが、ずるい。


「……ここまで?」

「ここまでです」

「分かった」

 真面目に頷いて、真面目に一歩下がる。

 その素直さに、こっちの心臓が忙しい。


「でも」

 カイゼルが低く言う。

「線の外でも、迎えにはなる」


 私は喉に手を当てて、息を吐いた。

「はい。返事は、目で」

「目で返す」

「……上手」

 私が目で言うと、カイゼルがまた少しだけ笑った。


 その笑い方に負けて、私は思わず口にしてしまう。

「診察が終わったら、線を外します」

「うん」

「そのときは、私が“いい”って言った分だけ」

「うん」

 返事がまっすぐで、逃げ道がちゃんと残っている。


 線引きの天才は、今日も線の外で待っている。

 そして私は知っている。

 線の内側にいる私の息も、線の外側にいる返事も、どちらも“帰り道”だ。


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