第11話 「怖い」の正体
「今夜から、お前は私のそばにいろ」
皇帝カイゼルの言葉は、命令じゃなく、お願いの形をしていた。
私は少しだけ黙ってから、頷いた。
「分かりました。でも条件があります」
「条件?」
「陛下も、ちゃんと休むこと。怖いならなおさら、眠らないと心が折れます」
皇帝は一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を逸らした。
「……分かった」
セイルは毛布を肩にかけられ、まだ震えていた。ローガンが言う。
「こいつ、神殿に戻すのは危ねぇ。しばらくこっちで預かる」
「うん。責めないであげて。……セイル、少しだけ話せる?」
私が尋ねると、セイルはこくりと頷いた。
「黒い札をくれた人……顔は見えなかった。でもね、変な匂いがした。甘い花みたいな……それと、鈴。歩くたびに小さく鳴ってた」
「鈴?」
「うん。ちりん、って」
皇帝の眉がわずかに動く。
「……宮廷の礼拝堂に、鈴をつけた神官がいる」
ローガンの目が鋭くなる。
「神殿が宮廷の中に入り込んでるってことか」
私は息を吸って、ゆっくり吐いた。焦ったら負けだ。
「セイル、よく思い出してくれてありがとう。もう大丈夫。今日は温かいもの飲んで、眠ろう」
その夜、私は皇帝の居室の手前の小部屋に通された。扉一枚、すぐ隣。
「近すぎません?」
「近い方が安心だ」
「安心のためなら、陛下が先に寝てください」
「……お前もだ」
皇帝は渋々といった顔で椅子に座り、私の指示で深呼吸をする。鼻で吸って、口で吐く。肩の力が落ちるたび、氷みたいな人が少しだけ“人間”に戻る。
「怖いって、何がですか」
私は小声で聞いた。
皇帝はしばらく黙って、それからぽつりと言った。
「……私が倒れたら、国が揺れる。そう思うと、眠れない」
「陛下は一人で抱えすぎです」
「皇帝はそういうものだ」
私は皇帝の手元に、温かい飲み物を置いた。
「じゃあ、今日だけは“皇帝”じゃなくて、患者でいてください」
皇帝は一瞬だけ目を細める。
「……命令か」
「お願いです」
そのとき、廊下の奥で――ちりん。
小さな鈴の音がした。
ローガンの足音が近づく。扉が少しだけ開いて、低い声。
「陛下。礼拝堂の前に、黒い札が落ちてた」
皇帝の空気が、一気に冷える。
私は立ち上がり、皇帝の前に出た。
「行きます。でも、走らない。息を乱すと判断が鈍ります」
皇帝が短く頷く。
「……お前の言う通りにする」
礼拝堂の扉の前に、黒い札が一枚。そこには短い文字。
『医者を黙らせるのは難しい。なら――眠らせるな』
背筋が冷たくなる。
皇帝が私の横で、低く言った。
「次は、睡眠を奪いに来る」
鈴の音が、もう一度だけ――ちりん、と鳴った。




