第108話 皇帝、結び目に嫉妬する
砦のあちこちに、小さな結び目が増え始めた。
剣の柄、外套の内側、鍵束の端、机の引き出し。触れたら息を吐く、戻る合図。
私は医務室の掲示板を見上げて、思わず笑った。
白いリボンの隣に、誰かが勝手に小さな結び目をいくつも並べている。きちんと整列。真面目すぎる。
「……誰の仕業」
私が呟くと、フィンが胸を張った。
「俺。整列させた。戻りやすい」
「整列は関係ないでしょ」
「関係ある!」
その会話の途中で、扉が静かに開いた。
カイゼルが入ってくる。いつもの顔。いつもの足音。
でも、掲示板の結び目を見た瞬間、眉がほんの少しだけ動いた。
「増えたな」
「はい。みんな、自分で作りたくて」
「……ふむ」
その“ふむ”が、妙に引っかかった。
私は首もとの印に触れ、息を吐く。
診察が始まる。
今日は結び目講習の影響か、騎士たちの顔が少し明るい。
入ってきた騎士が、指の結び目を見せびらかす。
「先生、できた」
「うん、上手」
私が頷くと、騎士は照れたように息を吐いた。
……いい流れ。かわいい。
かわいい。
と言った瞬間、背中がひやりとした。
窓の外で、カイゼルが一度だけ頷いた。
……頷きが硬い。いつもより短い。
まるで「そこまでだ」と言うみたいに。
昼休み、私は廊下でカイゼルを捕まえた。
「陛下」
「ここだ」
返事は即座。
でも、目が少しだけ鋭い。
「……何か、機嫌悪いですか」
「悪くない」
即答。
こういうとき、大体悪い。
私は息を吐いて、外套の内側の結び目に触れた。
「じゃあ、何ですか。その顔」
「結び目が増えた」
「いいことです」
「……分かっている」
分かっているのに、納得してない声。
私は首を傾げた。
「もしかして」
言いかけた瞬間、カイゼルが先に言った。
「お前の指が、他の者の結び目を褒めていた」
淡々。真顔。
なのに、内容が甘すぎる。
私は固まった。
「……それ、嫉妬ですか」
「嫉妬ではない」
「嫉妬ですね」
「違う」
「じゃあ何ですか」
カイゼルは少しだけ間を置いて、低く言った。
「独占だ」
私は息を詰めて、すぐ吐いた。
冗談みたいなのに、目が真面目すぎる。
「陛下、結び目にまで」
「お前が作ったものだ」
「みんなのために作ったんです」
「知っている」
即答。
そして、声を落とす。
「だから、誇らしい。……だが、触れられるのは嫌だ」
ずるい。
誇らしいって言われたら怒れない。
嫌だって言われたら、胸が熱くなる。
私は喉に手を当てて、息を吐いた。
「じゃあ、こうしましょう」
「言え」
「結び目を褒めるのは、手じゃなくて目にします」
「目で?」
「はい。目で『上手』って」
「……それなら、まだ耐えられる」
耐えられるって何。
私は笑いそうになって、また息を吐いた。
「陛下は?」
「私は」
カイゼルは外套の内側の結び目に指先を当て、静かに言った。
「お前の結び目だけを見る」
「結び目って言わないでください、変な感じします」
「言う」
「言わないで!」
「言う」
廊下の向こうで、ローガンが盛大に咳払いをした。
「……先生、早く仕事戻れ。陛下、ほどほどにしろ」
「ほどほどにしない」
カイゼルが即答した。
私はもう、負けて笑った。
結び目は、戻るための合図。
なのに今日は、胸が忙しくて戻り道が足りない。
……いや、隣の返事があるから、大丈夫。




