第106話 外套の取り扱い説明書
朝、医務室に入った瞬間、私は見た。
椅子の背に、きちんと畳まれた外套。
しかも、札が添えてある。
『貸与品:先生用 用途:寒さ対策/安心対策』
「……誰が書いたんですか」
私が呟くと、ローガンが咳払いで答えた。
「陛下だ」
フィンが肩を震わせる。
「朝から本気だ」
そこへ本人が来た。
カイゼルはいつもの顔で、いつもの足音で、いつものように私を見て――外套を一度、そっと撫でた。
「おはよう」
「おはようございます」
「今日は、勝手にかけない」
真顔で宣言する。
私は目を丸くした。
「え、できるんですか」
「できる」
即答。
そして、付け足す。
「お前が望むなら」
ずるい。
私は息を吐いて、白いリボンを指先で整えた。
「じゃあ、診察中は勝手にかけないでください」
「分かった」
……やけに素直。
逆に怖い。
その不安は、すぐ当たった。
カイゼルは外套を私に“かけない”。
代わりに、外套を私の椅子の背にずっと掛けておいた。
いつでも取れる距離。いつでも戻れる距離。
マルタが腕を組んで呟く。
「これはこれで、圧がある」
「圧、って言わないでください……」
診察が始まる。
騎士が入ってきて、椅子に座ってから外套を見る。
それから私を見る。
また外套を見る。
「先生……その外套」
「貸与品です」
私は真面目に言った。
「寒さ対策と、……安心対策」
騎士が口を開けたまま固まり、やがて静かに息を吐いた。
「……安心対策、って書く皇帝、すげぇな」
「言わないで。集中して。吐こう。長く」
診察を終えた騎士が出ていくと、廊下でローガンがぼそっと言う。
「先生、外套の“取り扱い説明書”まで作られそうだな」
「やめて!」
昼休み、私はカイゼルを廊下に呼び出した。
「陛下、お願いがあります」
「言え」
「“安心対策”って札、外してください」
カイゼルは一拍置いて言う。
「恥ずかしいのか」
「恥ずかしいです!」
「……分かった」
あっさり。
私はほっとした。
……が。
カイゼルは札を外して、代わりに外套の内側に小さく結び目を作った。
あの黒い布の結び目と同じ形。
言葉じゃなく、合図で「安心」を残す。
「これなら、恥ずかしくない」
低い声。
「……ずるい」
「お前が教えた」
その瞬間、カイゼルの口元が少しだけ緩んだ。
また、反則の笑い方。
私は負けて息を吐いた。
外套は寒さ対策じゃない。
私が戻れる距離にある、迎えの合図だ。




