第104話 皇帝、壁になる
作戦会議の成果は、すぐに出た。
診察室の外、窓の近く。カイゼルは本当に“見えにくい位置”に立った。……立ったまではいい。
問題は、そこからだった。
患者が入ってくるたびに、扉の外で「気配」が強い。
見えないのに、背筋が伸びる感じ。怖いというより、変に真面目になる。
最初の騎士が椅子に座って、私の手元を見て、ちらっと扉を見て、また私を見る。
「……先生」
「うん。吐こう。長く」
私は白いリボンを揺らし、窓を少し開けた。
騎士が息を吐き、肩が落ちる。
……と同時に、扉の外で「コツン」と音がした。
壁を叩く音。
返事だ。――“ここだ”の代わりの、控えめな合図。
騎士が目を丸くする。
「今の……」
「気にしないで」
私は必死に真面目な顔を作る。
「ここは医務室。落ち着く場所」
次の患者。
また息を吐く。
また「コツン」。
次の患者。
また「コツン」。
……え、何。これ、リズム?
控えめすぎるのに、存在感が増している。逆に気になる。
廊下でローガンが口を押さえて震えているのが見えた。
マルタは腕を組んで天井を見ている。
フィンは顔が赤すぎて、もう危険。
昼前、ついに私は扉を開けた。
カイゼルが窓際に立っている。真顔で。
私が指をさす前に、彼が低く言った。
「壁だ」
「壁って……叩かないでください!」
「叩いていない」
「叩いてます!」
「……返事だ」
真顔で言う。真顔で。
私は息を吐いて、額を押さえた。
「返事は、指で絡めるやつでいいです」
「診察室の中では控える約束だ」
「じゃあ、返事しないでください!」
「できない」
「なんで!」
「お前が中にいる」
淡々と言って、外套の内側の黒い布の結び目を見せる。
「迎えに行ける合図が、ここにある。……返事も、ここにある」
……ずるい。
私は負けて、顔が熱くなるのを誤魔化すように咳払いをした。
「じゃあ、壁を叩くのはやめて。……代わりに」
「代わりに」
「……窓の外を見ててください。返事は、目で」
言ってから、もっと恥ずかしくなった。皇帝に「目で返事して」って何。
カイゼルは一拍置いて、即答した。
「分かった」
午後。
診察室の中で患者が息を吐く。
扉の外は静かだ。
ふと窓の方を見ると、外の光に照らされたカイゼルの影が、ほんの少し頷いているのが見えた。
……目で返事してる。
真面目に、律儀に、目で返事してる。
患者が帰ったあと、ローガンが廊下で腹を抱えて笑いそうになっていた。
「先生、皇帝、壁やめたぞ」
「代わりに目で返事してます」
「もっとまずいな」
「まずいって言うな!」
その日の最後の診察が終わったころ。
私は扉を開けて、廊下の影にいるカイゼルを見る。
「陛下、今日の控え方……合格です」
「当然だ」
いつもの即答。
でも、声を落として付け足す。
「お前が望むなら、何にでもなる」
「壁?」
「壁でも、椅子でも」
「椅子はやめてください!」
「……では、迎え」
私はもう、負けて笑った。
命がけじゃないのに、心臓が忙しい。




