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第101話 皇帝、甘すぎ注意報

 翌朝、医務室の扉を開けた瞬間、空気が妙に軽かった。

 軽い、というより――にやにやしている。


「おはよ、先生」

 フィンが目を合わせた瞬間、ぷいっと逸らした。耳が赤い。

 ローガンは腕を組んだまま、わざと咳払いを大きくする。


「……聞いたぞ」

「何をですか」

「“結婚してくれ”」


 私は湯気の立つ椀を落としそうになって、慌てて机に置いた。

 やめて。朝から心臓が忙しい。


「誰が、どこで、どうして」

 私が噛みつくように言うと、ローガンは肩をすくめる。

「陛下が、ここで、平然とだ」


 マルタが腕を組んで、追い打ちをかけた。

「先生、顔が赤い。診察の前に落ち着け」

「落ち着いてます!」

「落ち着いてない」


 そのとき、扉が静かに開いた。

 カイゼルが入ってくる。いつもと同じ顔。いつもと同じ足音。――なのに、医務室の全員が同時に息を止めた。


「おはよう」

 カイゼルが普通に言う。

 普通に言ってから、普通じゃないことをする。


 私の肩に外套をかける。

 さらに、首もとの印を一度だけ見て、満足そうに頷く。

 そして私の手を取って、指を絡めた。


「……ここだ」

 朝から返事が重い。


「陛下、みんな見てます」

「見せている」

 即答。

 私は喉に手を当てて、息を吐いた。ずるい。


 フィンが耐えきれずに言った。

「陛下、先生、仕事中です」

「知っている」

「じゃあ、離してあげてください」

「離さない」

「なんで!」

「彼女が転ぶ」


 私は思わず言った。

「転びません!」

「昨日、心が転びかけた」

 カイゼルが真顔で言う。

 その言葉のせいで、ローガンが盛大に笑いそうになって咳払いに切り替えた。


「陛下、例えが変です」

「変ではない」

「変です」


 私のツッコミに、カイゼルの口元がほんの少しだけ緩んだ。

 その“ちょっと笑う”が、いちばん破壊力がある。やめてほしい。


 そこへ、診察の騎士が控えめに入ってきた。

 目の下に影、でも今日は足がふらつかない。


「先生……」

 言いかけて、カイゼルと目が合い、騎士が固まる。

 私が慌てて白いリボンを揺らした。


「大丈夫。ここ。吐こう。長く」

 騎士が息を吐き、肩が落ちる。

 その様子を見て、カイゼルが低く言った。


「彼女の声を邪魔するな」

 誰に言ったのか分からないのに、みんな背筋を伸ばす。


 診察が終わり、騎士が去ったあと。

 私はカイゼルの袖を軽く引いた。


「陛下、提案があります」

「聞く」

「“外套をかけるのは、私が寒いと言ったときだけ”」

 カイゼルは一拍おいて、真剣に言った。

「なら、今も寒いと言え」

「言いません!」

「……では、私が寒い」

「またそれ!」


 医務室が、ついに笑いに包まれた。

 笑われても嫌じゃない。これは、怖さの笑いじゃない。戻ってきた笑いだ。


 カイゼルは私の指をほどかないまま、耳元で小さく言う。

「結婚の返事は、急がせない。だが――逃がさない」

「どっちですか」

「両方だ」


 私はもう、負けて息を吐いた。

 恋の話で息が乱れるなんて、医者失格だ。

 ……でも、返事が先に来るなら、きっと大丈夫。

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