第10話 黒い札の夜
黒い札は、指先に冷たい。
『次は、医者を黙らせる』――その文字を見てから、広間の空気がどこか落ち着かなくなった。
「先生、しばらく一人で歩くな」
ローガンが低い声で言う。周りの騎士たちも、いつもより目が鋭い。
「大げさだよ。脅すだけかもしれない」
「脅しでも、放っとけねぇ」
私は笑ってみせたけれど、内心は同じだった。怖いのは、私じゃない。フィンみたいな子が、また“無理をさせるもの”に引っかかること。
その夜、医務室のランプを落とし、私は湯をひと口飲んだ。
――と、窓の外で、こつ、と小さな音がした。
(風? ……違う)
次の瞬間、窓枠が静かに動く。誰かが、外から開けようとしている。
私は息を吸って、ゆっくり吐いた。焦ったら、判断が鈍る。
「誰?」
声をかけると、動きが止まった。
そして――背後の扉が、音もなく開く。
「動くな」
氷みたいな声。皇帝カイゼルだった。黒い外套をまとい、まっすぐ窓を見ている。
「陛下……どうしてここに」
「守ると言った。……遅かったか」
「遅くないです。まだ、何も起きてない」
窓が、ぎし、とわずかに開いた。細い影がするりと入り込む。
騎士でも盗賊でもない。小柄で、白いローブの裾が揺れた。
「……っ」
その子は皇帝の姿を見て凍りつき、すぐに逃げようとした。だが窓の外にはローガンの影が立ちふさがる。
「逃げんな。怪我すんぞ」
ローガンの声は怖いのに、言ってることは優しい。
小さな侵入者は、膝から崩れた。肩が震えている。
「ご、ごめんなさい……! ぼく、ただ……持ってこいって……」
私はゆっくり近づいて、しゃがんだ。
「名前は?」
「……セイル」
「セイル。今、息が浅い。鼻で吸って、口で吐こう。私と一緒に」
セイルは泣きそうな顔のまま、私の真似をする。少しずつ肩の力が抜けた。
私は温かい湯を渡す。両手で受け取った小さな指が、まだ冷たい。
「何を持ってこいって言われたの?」
セイルは視線を泳がせて、震える声で言った。
「銀色の……眠れなくなる薬。先生のところにあるって……」
皇帝の空気が一段冷える。
「誰に言われた」
「し、知らない……顔は見えなかった。ただ、神殿の裏で……黒い札をくれた人が」
私は札の言葉を思い出す。黙らせる、って、こういうことだ。医務室から薬を奪って、私を悪者にする。あるいは、もっと怖い使い方をする。
皇帝が静かに言った。
「セイルは保護する。怖がらせるな」
ローガンがうなずく。
「分かった。……先生、どうする」
「どうもしない。セイルは悪くない。利用されたんだよ」
セイルが、きゅっと唇を噛んだ。
「でも……怒られる……」
「怒られない。――今夜は、ここで温かいもの飲んで、落ち着いてから話そう」
皇帝は私を見た。視線が鋭いのに、どこか困っている。
「……お前は、敵にも優しい」
「敵じゃないよ。助けを求めてる子だもの」
一瞬だけ、皇帝の表情が柔らかくなる。
けれど次の言葉は低かった。
「黒い札の主は、必ず見つける」
私は頷いた。
「はい。でも、誰かを傷つけるためじゃなくて――もう、同じことを起こさないために」
セイルが小さく顔を上げる。
「……先生、ぼく、全部話す。あの人……“次は皇帝の番だ”って言ってた」
部屋の空気が、すっと冷えた。
皇帝が、私の前に半歩出る。
「リュシア。今夜から、お前は私のそばにいろ」
「……命令ですか」
「いや」
皇帝は一度だけ、言い直した。
「頼む。――怖いんだ」
不器用なその一言が、黒い札よりずっと胸に残った。
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