非人間的なものに模倣されないための心構え
人間にしか出来ないことがあるとも思わないし、存在したとしてもそこに特別な価値を見出せないと感じているけれど、仮に人間にしか出来ない何かを求めるならばどのような視点で考えるべきだろうか。創作とAIを例に検討してみる。
創作分野でのAI活用に否定的な意見の一つとして、AIは人間が過去に作り出した作品を集積し、その中からオーダーに沿った要素を抽出し、組み合わせて出力しているに過ぎないというものがある。それは単なる模倣であり、クリエイティブではない、創作ではないという問題意識だ。人間が行う創作もそれと似たり寄ったりな場合がほとんどだと思うけれど、それは一旦脇に置こう。
何もない状況から創作をすることは人間にしか出来ないという考え方は正しいだろうか。ネットワークは発達した社会で実現可能性があるかは別として、完全にクローズドな環境にAIを閉じ込め、あらゆる情報からシャットダウンすればAIは何も作り出すことが出来ない。それ故に創作分野ではAIより人間が優位という考え方だ。
しかし、人間だって何かを作り出すときに少なからず外部から情報を取り込んでいる。ネットや本を経由した過去の作品や創作テクニックなどの情報に限らず、日常生活の中で目にしたり耳にしたりする情報を取り込みながら、人は創作を行うのではないだろうか。周囲に溢れる情報を摂取した上で何かを出力する点では人間もAIも差はないのに、AIだけ情報から隔離して人間の優位を主張するのは的を得ていないと思える。
次に考えられるのは、AIが模倣できないようなものを人間が作り出すことができれば、AIより人間が優位だと言えるのではないかということだ。
絵画に音楽、本や映像作品に触れた時、言葉に表現できない魅力を感じたことがないだろうか。具体的にどういったところが気に入ったのか、なぜ良いと思ったのかを言語化出来ない作品である。
それこそが芸術家や作家などの表現者が持っている簡単に模倣できない個性だと考える。分かりやすい決め台詞、意外な展開やオチで勝負するストーリー、特徴的な表現や演技というものは、人に伝えることは簡単だが、それゆえに模倣も容易になる。それらは受けが良いように、印象に残るように計算されて生み出されたものであるから、情報処理能力に優れたAIにとっては格好の材料となる。
全く計算をせずに作品を生み出す表現者はいないだろうけど、計算をしながらもどこか無意識のうちに表現してしまう内容があるように思う。言語化が困難で、それまでの経験や思考によって磨き上げられた感性、美意識、価値観というものには、大なり小なりその人だけの個性が現れるもので、AIが簡単に模倣することが出来ないものだと考える。
表現者だけでなく、創作物の受け手においても、その言語化出来ないものを大切にするような人が増えていけば、人間にしか出来ないことが生まれる可能性は高くなるのではないだろうか。
ただ、昨今流行っている作品や表現者を観察すると、言語化が容易で、分かりやすい特徴を備えているものが求められているように思える。
型にハマった展開の物語が持て囃され、役者ははまり役の演技をいつまでも求められる。アイドルや芸人は消費者が求める姿やサービスを愚直に提供し人気を集め、ネットを含めたメディアには観る者が言って欲しいと思っている意見を述べるだけのコメンテーターが溢れている。こういう状況を見ると、人間というのはむしろ非人間的なものを渇望しているのではないかとさえ考えてしまう。
人間が行なっている創作、表現行為も、膨大なデータベースからケースバイケースで受けが良い組み合わせを探して出力しているものが大半であり、そこにAIとの差異はないと感じる。
別に悪いことではない。ただ、世の中の動きや人間の活動を眺めていると、非人間的なものが優勢だし、今後もそういったものが攻勢を強めていくのではないかなと思うだけである。終わり




