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人間にしか出来ないことがあるという幻想あるいは願望

 システマティックなもの、最近だとAIの活用を否定的に捉える理由として、人間という存在を特別視する感情があるのではないかということ。あるいはこの烏滸がましさこそが人間の特徴と言えるのかもしれない。もう少し謙虚になった方が良いのではと思ってしまうけれど。

 色々なサービスや手続きがシステム化されて便利になったと思うのだけれど、人間味がないとか、温かみに欠けるといったような声もたまに聞こえてくる。何を持って人間味とか、温かみというのか、その辺りの認識が気になるところだ。

 近頃は多くのお店がセルフレジを導入しているけれど、自動音声で丁寧にやり方を説明してくれるし、レジ打ちを自分なりの速さで進めることが出来て非常に助かっている。従来、店員さんの対応を待っている時間がどうにも苦手だったのだ。

 何より一番のメリットは、人を配置しないことで空間に余裕ができレジの台数が増えたために待ち時間が減ることだ。たまにエラーが起きて、流れが乱れることがあるけれど、トータルでみれば時間の節約になっているのは間違いない。それに、レジに回す人員を他に回すことで労働環境やお店としてのクオリティの改善も期待できる。

 そもそも、エラーを起こすのはレジではなくお客である人間の方だからシステムに文句を言うのは筋違いだろうというのが素直な感想だ。

 私としては、温かみのあるサービスとはこういうことだと思う。役所での各種手続きやお店でのサービスで大切なのは、利用者の目的を適切にそして出来るだけ時間をかけずに達成することにあると考えるからだ。想定より早く自分の用事が済んだ時の嬉しさにこそ、人間的な喜びを感じないだろうか。ちょっと大袈裟な言い方だけど。

 また、芸術を始めとする創作活動にAIを活用することに強い拒否反応を示す層も存在する。この分野での拒否反応の度合いはサービスのシステム化よりも強いと感じる。漫画か何かのコンテストでAIを利用したと疑われる作品が入賞し、物議を醸した案件があった。詳細は覚えていないけれど、AIを利用して楽をするのはけしからんとか、人間では出てこないような不自然な表現があるといった意見が出ていたように思う。

 しかし、技術とは何らかの作業を楽にすること、言ってみればズルをするために発展してきたものなのだから、AIの使用をズルと言うなら、液晶タブレットを使うことやインターネットを活用して役立つ情報を集めることもズルということになる。別にズルが悪いと言っているのではない。技術の一つでしかないAIの活用を特別に忌避するのは変ではないかという感覚だ。

 また、不自然な表現があるという批判は、こと創作物においては当てはまらないとも感じる。ただ不自然なだけで何ら見るべきものがないのなら話は別だが、日常的なやりとりや光景から発生し得ない不自然さというのは作品の強みとなる可能性を秘めている。普段何気なく生きている人間だって、時々不自然な言動を取ることがあり、そこに個性の発露を見出すこともある。不自然さの否定は人間性の否定に繋がりはしないか。もしもAIが不自然さを表現したのだとしたら、それは人間らしさの獲得であると言えるし、AIを非人間的なものであることを理由に否定する立場にとってはむしろ喜ばしいことではないだろうか。AIに人間性を見出すことができるのだから。

 暖房器具など物理的に温かいものと違い、創作物から受け取る人間味とか温かさというものは受け取る側の主観によるところが大きい。作者がどんなに冷酷非道な考えを持った人間であろうと、その作品に感動し涙を流したのなら、受け手にとってその作品は人間味あふれる温かい作品といって差し支えない。

 何が言いたいかというと、芸術などの創作物においては表現されたものが全てで、作り手がどのような存在であるかは問題にならないということ。人間が作ろうと、AIの補助を受けた人間が作ろうと、AIが全て作り上げようと、出来上がったものに価値があるかどうかが問題なのであり、作り手の属性を念頭に置くというのは創作行為への冒涜でさえあると思う。

 それにAIが何でも替わりにやってくれるからと言って、人間の存在価値がなくなるとも思わない。今は過渡期だけれど、いずれ創作方面でもAIが飛躍的な活躍をするかもしれない。とんでもない傑作絵画をAIが描き出す可能性もある。しかし、それを理由に人間が絵を描く筆を折る必要はない。

 そもそもAIが登場する以前から、人間は先達の遺産を参考にしながら文明を築いてきたはずだ。そんな大袈裟な言い方をせずとも、子供がお絵描きを始めたり楽器を鳴らすのも、まずは誰かの見様見真似だ。

 他人が何か面白そうなことをやっているから自分もやってみたいというのが原始的な欲求であり、その欲求の前に腕の良し悪しは関係ない。

 ゴッホやルーベンスの絵を見た子供が、自分よりお絵描きが上手い人がいるという理由でお絵描きを投げ出すなんてことはないはずだ。

 人間にしかできないことがあるからこそ、人間は特別で存在価値があると考えることは、少し間違えれば人間そのものを排除する危険な思想に傾きかねない。

 確かに、競争相手として捉えるとシステムやAIの存在は多くの人間にとって脅威となる。処理速度という点では人間に勝ち目はないからだ。ただ、この勝ち負けという思考も人間特有のもので、別にシステムやAIは人間の優位に立って何か得をしているわけではない。

 これからは実利が絡む分野は人間以外の存在に担ってもらい、人間は時間的な制約、競争から解放される時代が訪れると考えれば、ある意味で理想的な世界が近づいてきていると言えないだろうか。

 とは言ったものの、人間のこれまでの歴史を辿れば嫌な想像はいくらでもできるもので、システムやAIを独占し、その恩恵を限られた人間だけが得られるような方向に社会が進む可能性も大いにある。

 現在は基本無料で利用できる生成AIなどに徐々に制限をかけていき、制限の解除のための課金を要求。その金額をどんどん釣り上げ、最終的にシステムやAIをフル稼働させられるのは一部の富裕層のみとする。その恩恵を受けられる層がさらに競争を有利に進め、発展し、社会を支配するという未来も容易に想像がつく。

 他人を出し抜くこと、相対的な見方でしか幸せを実感できないさもしい心こそ、公平なシステムやAIが理解できず、真似できない人間だけの持ち味と言えるのかもしれない。人間の本性がそんなものだとしたら悲しい限りだけれども。終わり

 

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