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転生したら村の落ちこぼれでしたが、本気で始めたら最強でした  作者: 妙原奇天


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第九話「学院の洗礼」

 アルグラン魔導学院の講堂は、ミナリオ村の広場どころか、村ごと飲み込めそうなほど広かった。

 何本もの大理石の柱が天井を支え、壁一面には魔法陣を模した装飾が刻まれている。高い天井から吊るされた魔導灯が、昼間だというのに眩しいほどの光を放っていた。

 その中央に、新入生たちがずらりと並んでいる。

 金糸をふんだんに使った服、家紋入りのマント、宝石がついた杖。

 見渡す限り、貴族か富裕な商家の子どもばかりだ。

 その中に、旅の埃を落としたばかりの簡素な服の少年がひとり。

 その背中に、青い髪の少女がぴったりくっついている。

「またあの青髪がいるぞ」

「最年少だって話、本当だったんだな」

「魔力量が化け物級って噂の子だろ?」

 視線が刺さる。

 ひそひそ声が波のように広がる。

 リーネは肩をすくめ、完全にルーディアスの背中に隠れた。

「ルー……やっぱり、すごく見られてる……」

「うん、まあ……」

 言い返したいわけじゃないが、これだけ目立てば、さすがに気づかないふりはできない。

 村では、「怖い」「近づくな」と、主に恐怖から避けられていた。

 だが学院は違う。

 好奇心。警戒。嫉妬。

 混ざり合った視線が、講堂中から二人に注がれていた。

「新入生諸君」

 壇上に立った学院長が口を開いた。

 白い髭をたくわえた老人で、杖の先に浮かぶ光球が、彼の声に合わせてゆらゆら揺れる。

「アルグラン魔導学院へようこそ。諸君は今日から、この国の未来を担う若き魔導師の卵だ」

 式は淡々と進んでいく。

 学院の歴史、学ぶことの厳しさ、魔法の責任。

 そういった話が続くが、ルーディアスの頭には、言葉よりも視線の方が強く残っていた。

 それでも、不思議と逃げ出したいとは思わない。

 ――ここで強くなる。

 ――前の世界で逃げた分まで、ちゃんと向き合う。

 そう決めて、この場所に立っている。

 やがて、入学式が終わり、講堂の外に移動した新入生たちは、壁に貼り出された紙の前に集まった。

「クラス分けだって!」

「初等部A組が一番上のクラスらしいぞ」

「貴族家の子は大体そっちに固まるんだろ」

 ざわめきの中、ルーディアスとリーネも掲示を覗き込む。

「ええと……ルーディアス……ルーディアス……」

「あ、ここ」

 リーネの指先が紙の一角をなぞった。

「『初等部A組 ルーディアス・ミナリオ』……それと、『リーネ・アルステリア』」

「同じクラスだ」

 ほっとして、思わず笑みがこぼれる。

 ひとりぼっちの教室という最悪のパターンは避けられた。

 しかし、その喜びはすぐに別の感情に塗り替えられる。

「初等部Aって、最上位クラスだぞ」

「貴族ばっかりじゃないか。あの二人、どうするつもりなんだ?」

「まあ、すぐに現実を知るさ」

 遠くから、そんな声が聞こえてきた。

     ◇

 初等部A組の教室は、他のクラスよりひとまわり広かった。

 窓が大きく、日当たりが良い。床には魔術用の補助陣が刻まれ、壁際には本棚が並んでいる。

 教室というより、小さな研究室に近い。

 教室の中には、すでに何人かの新入生がいた。

「ヴァイス様、こちらのお席はいかがでしょう」

「ふん、窓際はうるさい。前列中央を取る。教師の言葉を一番に聞ける場所だからな」

「さすがです!」

 ひときわ目立つ金髪の少年が、取り巻きに囲まれて座っている。

 整った顔立ちに、宝石のような金の瞳。

 制服の上から羽織った白いマントには、銀色の紋章が光っていた。

 レオンハルト・ヴァイス。

 この国でも指折りの大貴族、ヴァイス家の直系だという。

 その周囲にも、似たような雰囲気の子どもたちが固まっていた。

 家の力と血統を誇る「貴族派」。

 視線や話し方が、自然とその優越感を滲ませている。

 教室の後ろの方には、質素な服装の新入生たちが集まっていた。

「おい、ここの教科書、めちゃくちゃ高かったよな……」

「でも、これで家族を楽させられるかもしれないんだ。必死で食らいつくしかねえ」

 彼らは互いに背中を叩き合いながら、不安と期待を紛らわせている。「平民派」とでも呼ぶべき小さな輪だ。

 そして、そのどちらにも入らず、窓際や教室の隅で一人静かに本を開いている者たちがいる。

 群れず、媚びず、好きなように動く「独立派」。

 ルーディアスたちは、そのどこにも属していなかった。

「席、どうする?」

「いちばん後ろの隅がいい」

 リーネが即答する。

「目立たないところ」

「でも、先生の声が聞こえにくいんじゃ……」

「魔力で聞こえるから大丈夫」

 よく分からない理屈だが、リーネにとって「人が少ない場所」が何より優先らしい。

 二人が教室の後ろ側に向かおうとした、そのときだった。

「おい」

 低い声が、ルーディアスの足を止めさせた。

 振り返ると、金髪の少年が立っていた。

 レオンハルト・ヴァイスが、護衛でも従者でもない、自身の足で近づいてきたのだ。

 教室の空気が、一瞬で張り詰める。

「お前が……最年少の新入生か?」

 レオンハルトは、ルーディアスを上から下までじろりと眺めた。

 その目は、好奇心と侮蔑が半々だ。

「ルーディアス・ミナリオです」

 ルーディアスは視線を逸らさずに名乗った。

 前世で、睨まれるたびに目を逸らし続けていた自分とは違う。

「魔力量が化け物級だと聞いたが……」

 レオンハルトは、口の端を持ち上げる。

「本当に子どもじゃないか」

「年齢は、魔力と関係ありません」

 ルーディアスは淡々と返した。

 周囲から、小さなどよめきが起こる。

「言ったぞ……」

「あいつ、ヴァイス家の坊ちゃんに……」

 レオンハルトの瞳が、ほんのわずかに細くなった。

「確かに、魔力は年齢じゃない。だが――」

 彼はわざとらしく肩をすくめる。

「弱い者が調子に乗ると、そこで終わるぞ」

 その言葉には、軽い脅しと見下しが混ざっていた。

 リーネの手が、ルーディアスの袖をぎゅっと掴む。

 彼女の青い顔色を見て、胸の奥に冷たい感覚がよぎった。

 ――学校でのいじめ。

 前の世界の記憶が、喉元までせり上がる。

 机を蹴られた音。背中に飛んできた消しゴム。

 誰も助けてくれなかった教室。

 あの頃の自分は、何も言えなかった。

 言い返すことも、立ち向かうこともできず、ただ俯いていた。

 けれど、今は――

「レオンハルト・ヴァイス」

 澄んだ声が、空気を切り裂いた。

「やめろ。学院は戦場じゃない」

 教室の前方、窓際の席から立ち上がったのは、銀髪の少女だった。

 腰まで届く銀色の髪を一つにまとめ、無駄のない動きでこちらへ歩いてくる。

 琥珀色の瞳は冷静で、感情を読み取りにくい。

 イリア・フェルスト。

 この学院で既に「天才」と噂されている同級生だと、ルーディアスは昨日の合格者リストで見ていた。

「ここは魔術を学ぶ場所。能力で決めなさい」

 イリアはレオンハルトを真っ直ぐ見た。

「家の名前でも、血筋でもなく――実力で」

「……フェルストの娘か」

 レオンハルトは鼻を鳴らす。

「お前の家も、十分な名家だろうに。平民の肩を持つのか?」

「私は事実の肩を持っているだけ」

 イリアは淡々と言い切る。

「彼の魔力量と制御力は、試験で証明されている。それを認められないなら、試験制度そのものに文句を言うことね」

 教室の空気が、少しずつ動き出す。

「……ちっ」

 レオンハルトは舌打ちし、踵を返した。

「つまらん。今日はこのくらいにしておいてやる」

 そう吐き捨てて、自分の席へ戻っていく。

 取り巻きたちが慌てて後ろをついていく。

 教室中の視線が、今度はイリアとルーディアスに集まった。

「助けてくれて、ありがとう」

 ルーディアスが頭を下げようとすると、イリアは手を上げて制した。

「礼は要らないわ」

 彼女は小さく首を振る。

「ヴァイスは気に食わないけれど、実力は確かよ。あの家の人間は皆、魔力操作のセンスがずば抜けている。敵に回すと厄介」

「でも、さっきは――」

「無意味な牽制は嫌いなの」

 イリアは、ちらりとレオンハルトの方を見る。

「ここでは、能力が全て。少なくとも、私はそう信じている。あなたは伸びる才能を持っている。それが気に入らない人間は、多いでしょうけれど」

 さらりと言ってから、ルーディアスを正面から見つめた。

「気をつけなさい、ミナリオ君。あなたに敵意を抱く者は、今の一件でさらに増えたわ」

「……分かりました」

「フェルスト様は、本当にお優しい……」

 背後でリーネが小さく呟く。

 イリアはリーネの青髪に一瞬視線をやり、表情を変えないまま教室の前方席に戻っていった。

 初めて現れた「味方らしい存在」。

 ルーディアスは小さく息を吐いた。

「すごい人だね……」

「うん。ああいう人が、学院の『天才』って呼ばれるんだろうね」

 彼はリーネの手を取り、今度こそ教室の後ろ側の席へ向かった。

     ◇

 学院初日の授業は、上級魔術理論から始まった。

 教壇に立つのは、白髪まじりの中年男性だ。

 鋭い目つきで教室を見渡し、くるりと黒板に背を向ける。

「我は初等部A組担当、ゴルド・ハーヴィス。魔術理論を教える。以後、気安い態度は取るな。落ちこぼれを救う義務は、私にはない」

 いきなりの宣言に、教室がざわついた。

「な、なんか怖い先生だ……」

「さすがA組担当……噂通り」

 ゴルドはチョークを取り、黒板に複雑な図式を書き始めた。

 円がいくつも重なり、その周囲に矢印や記号が並んでいく。

「ここに描いたのは、初級多重魔術の雛形だ。単一属性を重ね合わせて威力と効果範囲を変化させる。知っている者は?」

 誰も手を挙げない。

 貴族の子息たちですら、眉をひそめている。

「では、これを見ろ」

 ゴルドは、一部の線をわざと歪ませた別の図を描いた。

「この術式の欠陥が分かる者は?」

 沈黙が落ちる。

 貴族派の何人かが顔を見合わせるが、誰も手を挙げようとしない。

 ルーディアスは、黒板を見つめた。

 魔力の流れ方。線の太さ。属性の重なり。

 リーネに教わった座学が、頭の中で組み上がっていく。

 右側の導線が太すぎる。

 このまま詠唱すれば、発動時に魔力流が偏って乱れる。

 だから――

「……分かります」

 気づいたら、手が挙がっていた。

 教室中の視線が一斉に向く。

 ゴルドが驚いたように目を細めた。

「ミナリオ君だったな。言ってみろ」

「はい」

 ルーディアスは立ち上がり、黒板を指した。

「魔力導線が右側に偏っています。そのため、発動時に魔力の流れが右に引っ張られて乱れます」

「ふむ」

「対策としては、左側にも補助線を引いて流れを分散させるか、詠唱時に二重詠唱を使って左右のバランスを意識する必要があります」

 教室がざわめいた。

「二重詠唱って……まだ習ってないぞ」

「あれ、上級生が使うやつじゃ……?」

 レオンハルトの眉がぴくりと動く。

「まさか、あの歳で……」

 ゴルドは黒板の図を見て、ルーディアスの方を見て、再び黒板へ視線を戻した。

「……正解だ」

 短く言って、口元をわずかに緩める。

「導線の偏りは術式の安定性に直結する。この図はわざと欠陥を仕込んでおいたが、それを即座に指摘し、さらに改善案まで出すとは。見事だ、ミナリオ君」

 胸の奥が熱くなった。

 前の世界で、こんなふうに褒められたことは、ほとんどなかった。

 テストで良い点を取る前に学校に行けなくなり、誰かに認められる前に逃げ出してしまった。

 今、こうして立っている自分は、あのときの自分とは違うのだと、少しだけ実感できた。

「調子に乗るなよ」

 小さな声が、教室の前から飛んでくる。

 レオンハルトが、つまらなさそうに視線をそらした。

 だが、その目の奥には、確かな敵意が宿っている。

「ふん。理屈をこね回すのが得意なだけかもしれん」

「理屈が分からない者よりは、ましだと思うけれど?」

 イリアが、さらりと返した。

「術式の穴を見抜けるのも立派な才能よ。戦場では、一つの欠陥が命取りになる」

「……」

 レオンハルトは何も言い返さなかったが、その沈黙は決して納得から来るものではない。

 教室の後ろで、リーネが小さくガッツポーズをした。

「ルー、すごい。ちゃんと答えられてた」

「リーネが教えてくれたおかげだよ」

「そ、そうかな」

 恥ずかしそうに視線をそらすリーネの頬が、わずかに赤くなっていた。

 だが、その微笑ましい空気の裏で、別の空気も生まれていた。

「あいつ、先生に気に入られちゃったな」

「初日から目立ちすぎだろ」

「ヴァイス様の機嫌、ますます悪くなるぞ……」

 囁き声が、教室のあちこちで飛び交う。

 ルーディアスは、それが自分にとって何を意味するのか、前の世界の経験から薄々分かっていた。

 目立つ者は、狙われる。

 嫉妬は、時に理屈を簡単に乗り越えてくる。

 それでも――

 今度は、俯かない。

 守りたい人がいるから。

 誇りたいものが、少しずつ増え始めているから。

 ルーディアスは、ぎゅっと拳を握りしめた。

 アルグラン魔導学院の洗礼は、まだ始まったばかりだ。

 彼の前には、歓迎と敵意と試練が、これからいくらでも現れるだろう。

 それでも、彼は前を向いていた。

 初めて「自分の場所」と呼べるかもしれないこの教室で、これから何を得て、何を失っていくのか――それを確かめるために。


 放課後の教室には、まだ魔力の余韻が残っていた。


 窓の外は夕焼けで赤く染まり、さっきまで難解な術式が並んでいた黒板には、ゴルド先生の書いた魔法陣の名残が白く残っている。新入生たちは教科書を鞄にしまいながらも、昼間の授業の話で盛り上がっていた。


「さっきの問題、ミナリオが答えたやつだよな」


「二重詠唱とか、聞いたことはあるけど実際に使ったことないし……」


「ゴルド先生、あんな顔で褒めたの初めて見たぞ」


 ひそひそ、と視線だけがこちらに向く。

 ルーディアスは机の中にノートを押し込みながら、少し肩をすくめた。


 今日一日で、いい意味でも悪い意味でも目立ち過ぎた自覚はある。


 背後ではリーネが、そっと教科書の端を揃えながら小声で話しかけてきた。


「ねえ、ルー。今日の分、寮に戻ったら復習しようか。ゴルド先生の式、少しアレンジしたらもっと効率上がりそうだし」


「うん、そうだね。あの導線の取り方なら、もう一属性くらい混ぜられそうだし」


「だよね。やっぱりそう思った?」


 青い瞳が楽しげに輝く。

 村にいた頃の彼女からは想像できないほど、学院に来てからのリーネは「教える側」の顔をするようになっていた。


 そのときだった。


「おい、ミナリオ」


 教室の空気を裂くような声が飛んだ。


 ざわり、とざわめきが止まる。

 扉の方を向くと、そこには金髪の少年が立っていた。

 レオンハルト・ヴァイス。その背後には、三人の取り巻きが控えている。


 ひとりは痩せた長身の少年。ひとりは筋肉質で体格のいい少年。そして最後のひとりは、いかにも策略家という雰囲気の細目の少年だ。

 どいつもこいつも、レオンハルトの一歩後ろに立ち、周囲を睥睨していた。


 典型的な貴族の“序列ごっこ”。


「授業で威張り散らしてくれたのは、もう十分見せてもらった」


 レオンハルトはゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 周囲の生徒たちが、自然と道を空けた。

 視線が一斉にルーディアスへ集まる。


「威張ってるつもりはないけど」


 ルーディアスは立ち上がり、正面から向き合った。

 膝が、とても少しだけ震える。それでも、逃げる気にはなれない。


「答えられる問題に答えただけだよ」


「その結果が“目立ちたがり”ってことだ」


 レオンハルトの口元が歪む。


「魔力が多いからと言って、頭まで優れているとは限らないからな。……証明してみるか?」


「証明?」


「魔術戦だよ」


 あまりにも自然に言われて、教室が揺れた。


「で、デュエルかよ……」


「入学初日にか?」


「相手、ヴァイス様だぞ……」


 ささやきが渦を巻く。

 ゴルド先生の姿はもう教室になく、教師は誰もいない。

 それでも、この学院には正式な魔術戦の規定があることを、ルーディアスも入学案内で読んでいた。


 ――学生同士の争いは、私闘ではなく、規定に則った魔術戦で解決せよ。


「魔術戦で勝てたら、本物と認めてやるよ」


 レオンハルトは、ふんと鼻で笑う。


「授業中に口を挟む程度の度胸があるなら、そのくらい言えるだろう? それとも、言葉だけの魔術師か?」


「待って」


 ルーディアスが何か言い返す前に、リーネが前へ出た。

 青い髪が小刻みに揺れている。


「ルーは、まだ身体も小さいし……その、実戦経験だってないのに……」


「禁域の小娘が口を挟むな」


 取り巻きのひとりが、冷たい目でリーネを一瞥した。


「お前は試験のときに危うく暴走しかけたんだろう? 危険物は黙っているのが礼儀だ」


「……!」


 リーネの肩が震えた。


「やめろよ」


 ルーディアスは、一歩前に出る。

 リーネを庇うように立ち、レオンハルトを見上げた。


「リーネを侮辱するなら、僕は絶対に引かない」


「へえ」


 レオンハルトの瞳に、かすかな興味の色が混ざる。


「そういう眼だ。戦う前から折れてない眼は、嫌いじゃない」


 彼は顎で窓の外をしゃくった。


「学院庭園の円形闘技場。あそこなら、教師も好んで見物に来る。……逃げなければの話だが」


 周囲の視線が、ルーディアスの背中を押すように感じられる。

 その中には、心配と、期待と、面白がりが全部混ざっていた。


 前世の教室。

 机の上に置かれた教科書をぐしゃぐしゃにされても、何も言えなかったあの日々。


 あのとき、立ち上がれなかった自分の悔しさが、今の胸の奥で疼く。


「……分かった」


 ルーディアスは息を吸い込んだ。


「僕がやる」


「ルー!」


 リーネの叫びが背中から飛んできた。


「だめ、危ないよ……! あの人たち、本気で――」


「分かってる」


 ルーディアスは振り返り、笑ってみせる。


「でも、ここで逃げたら、きっとずっと後悔する。今度こそ、ちゃんとやり返す」


 それは、自分自身への宣言でもあった。


 リーネは何か言いかけて、ぎゅっと唇を噛む。

 その瞳には、心配と……ほんの少しの信頼が混ざっていた。


「……絶対に無茶はしないで」


「うん。僕は勝ちに行くから」


 その返事を聞いて、レオンハルトは満足そうに頷いた。


「十分後に闘技場だ。遅れたら、それだけで“欠席負け”だからな」


 彼は踵を返し、取り巻きたちとともに教室を出ていった。


 残されたのは、ざわめく新入生たちと、ルーディアスとリーネだけ。


「……行くの?」


「うん」


「……やっぱり、ルーはずるい」


 ぽつりと、リーネが言う。


「そんな顔で“行く”って言われたら、止められるわけない」


 彼女は肩を落とし、すぐに顔を上げた。


「なら、せめて準備をしよう。魔力の循環、乱れてないか確認して。さっきの授業で少し疲れてるはずだから」


「分かった」


 ルーディアスは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


 胸の奥にある魔力の核が、静かに脈打っている。

 少し早くなっていた鼓動を、ゆっくり鎮めていく。


「……大丈夫。まだ余裕はある」


「なら、勝てる」


 リーネは短く言い切った。


「あなたは、暴力だけの相手とは違う。ちゃんと考えて戦える」


「心強い先生だ」


 ルーディアスが笑うと、リーネはわずかに頬を赤くした。


「……じゃあ、行こ」


     ◇


 学院庭園の奥にある円形闘技場は、石造りの小さなコロシアムのようだった。


 中央には窪んだ土のフィールドがあり、その周囲を石段の観客席がぐるりと囲んでいる。

 真上には何もなく、空が高く開けていた。


「おい、もう集まってるぞ」


「初日からデュエルなんて、久しぶりだな」


「あれ、先生じゃない?」


 既に十数人の生徒が石段に座り、その上には数人の教師の姿も見える。

 噂を聞きつけて集まってきたのだろう。


 ルーディアスたちが闘技場の入り口に姿を見せると、ざわめきがさらに大きくなった。


「あれがミナリオか……ちっちゃいな」


「でも魔力の量は本物らしいぞ」


「相手、ヴァイス家だろ? さすがに無茶だって」


 視線が集中する。

 その全てを背中で浴びながら、ルーディアスは円形フィールドの中央へ歩み出た。


 すでに反対側には、レオンハルトが立っていた。

 陽の光を受けた金髪が、風に揺れる。

 自信に満ちた笑みを浮かべ、その姿はまるで舞台の主役だ。


 審判役として、若い教師が一人、フィールドの端に立つ。

 短く切り揃えた髪に、鋭い目。戦闘科を担当していそうな雰囲気だ。


「これより、初等部臨時魔術戦を行う」


 教師の声が響く。


「対戦者は、レオンハルト・ヴァイス、ルーディアス・ミナリオ。双方、規定に従って戦うこと。重傷を与える意図的な攻撃は厳禁。命を落とすような魔法は論外だ。分かったな?」


「もちろん」


 レオンハルトは余裕そうに頷いた。


「異議なしです」


 ルーディアスも応じる。


 教師は二人を見比べ、短く息を吐いた。


「勝敗の判定は、戦闘不能か、私が勝負ありと判断した時点で決する。……では、位置につけ」


 レオンハルトとルーディアスは、それぞれ一定距離を取って向き合った。


「ルー……!」


 石段の一角から、リーネの声が届く。

 隣には、腕を組んで座るイリアの姿も見えた。

 銀の髪を揺らしながら、じっとこちらを見ている。


「ミナリオ君」


 イリアの声は届かないが、その視線は「見ている」と告げていた。


 前世で、誰も自分の戦いを見ていなかった教室とは違う。

 今、ここには視線がある。心配してくれる人もいれば、面白がっている人もいる。

 それでも、自分の戦いを「見届ける誰か」がいるという事実が、少しだけ心強かった。


「始め!」


 教師が笛を吹いた瞬間、レオンハルトが笑った。


「先手は貰うぞ」


 彼の足元に、赤い魔法陣が展開される。

 高温の空気が渦を巻き、熱で地面が微かに歪んだ。


「火よ、集え」


 詠唱は短く、洗練されていた。

 さすがは名門ヴァイス家の直系。火属性の適性と練度は、本物だ。


中級火炎魔法フレイム・ランス


 燃え上がる炎が槍の形を取り、ルーディアスへと一直線に放たれた。


 熱風が肌を焼く。

 観客席から悲鳴が上がる。


「ちょっと、本気すぎるんじゃ……!」


「あれ、初日で撃つ魔法かよ!」


 炎の槍は、訓練用とはいえ確かに人を傷つける威力を持っている。

 直撃すれば、子どもの身体では済まないかもしれない。


 しかし、ルーディアスの中には別の感情が芽生えていた。


 ――綺麗だ。


 風の魔法を得意とする彼にとって、火の魔法は「形が見えやすい」。

 燃え上がる炎の揺らぎに、空気の流れがはっきりと現れていた。


 右から吹き上げる上昇気流。

 槍の先端に集中する熱量。

 軌道を支える空気の柱。


 それらが、一瞬で頭の中に描かれる。


「風よ」


 ルーディアスは、地面を蹴って前に出た。

 逃げない。真正面から、魔法に対抗する。


「舞え」


 彼の足元に、淡い緑の魔法陣が広がる。

 風の精霊がささやくように周囲の空気が揺れ、炎の槍に絡みついた。


「《エア・シフト》」


 ルーディアスが紡いだのは、攻撃魔法ではなく「流れをずらす魔法」だった。


 目には見えないが、空気の通り道が、ぐいっと横に押しやられる。

 炎の槍が燃え続けるために必要な酸素の流れが、急激に歪んだ。


 結果――


 レオンハルトの放った火炎の槍は、ルーディアスの手前でふっと曲がり、空中で霧散した。


「なっ……!」


 レオンハルトの目が大きく見開かれる。


 観客席が、一瞬の静寂のあと、大きくざわめいた。


「今の、見えたか?」


「炎が、途中で消えた……?」


「いや、軌道がずれたんだ。ミナリオが風を……」


 ルーディアスは軽く息を吐きながら、レオンハルトを見た。


「火は、空気がないと燃えないから」


 淡々と言う。


「だから、風の流れを少し変えただけだよ」


「ふざけるな……!」


 レオンハルトの顔に、悔しさと怒りが混ざる。


「風で逸らしただと? 炎の槍を、ただの風魔法で止めたっていうのか!」


「ただの、じゃないよ」


 ルーディアスは首を振る。


「あなたの火は強い。でも、強い火ほど、空気の流れに敏感になる。そこを少しだけ変えてあげれば、自分で勝手に形を崩すんだ」


「貴様……っ」


 レオンハルトの足元に、再び魔法陣が展開される。

 先ほどよりもさらに大きな、赤い陣だ。


「やめろ」


 審判の教師が眉をひそめる。


「それ以上の魔力は、規定外だ。これはあくまで初等部の模擬戦だぞ」


「まだ一発しか撃っていない!」


「さきほどの《フレイム・ランス》で十分だ。勝敗は――」


 教師はレオンハルトとルーディアスを見比べ、結論を告げた。


「勝敗は明らかだ。ミナリオ君の勝ちとする」


 その言葉に、観客席から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。


「勝った……?」


「本当にヴァイス様に勝ちやがった……!」


「いや、“勝ち”というか、あれは完全に封じてただろ」


 ルーディアスの膝から、力が抜けそうになる。

 それでも、踏みとどまる。


 胸の奥に、じんわりとした熱が広がっていた。


 ――自分の力で、自分を守れた。


 前の世界で、一度もできなかったこと。

 逃げることしか選べなかった自分が、今は「正面から受け止めて、打ち返せた」。


「ルー……!」


 石段を駆け下りてきたリーネが、息を切らしながら彼の前に立つ。


「すごい……本当に、すごかった……!」


「リーネ。見てた?」


「全部。ちゃんと全部。あの時の風の流し方、あとで解析させて」


「今、そこ?」


「重要なことだから!」


 半分泣きそうで、半分本気の顔。

 その様子に、ルーディアスは思わず笑ってしまった。


「ふん……」


 レオンハルトが、悔しそうに唇を噛んでいる。


 負けたとはいえ、その目にはまだ炎が宿っていた。

 簡単には折れないプライドと実力を持った少年だということは、よく分かる。


「勘違いするなよ、ミナリオ」


 レオンハルトは一歩前へ進み、ルーディアスを睨んだ。


「今日は、教師の判定に免じて引いてやるだけだ。俺は“負け”だとは思っていない」


「そう?」


「だが――」


 彼はそこで言葉を切り、悔しそうに、しかしはっきりと告げた。


「お前がただの“口だけ”ではないということだけは、認めてやる」


 それは、ヴァイス家の直系が他人に向けた言葉としては、かなりの譲歩だった。


「次は、もっと本気を出す。火と風だけじゃない、別の土俵でな」


 そう言い残し、レオンハルトは踵を返して歩き出す。

 取り巻きたちも慌てて後を追った。


「……なんか、素直じゃないね」


 リーネがぽつりと呟く。


「でも、“本物と認めてやるよ”って言葉は、嘘じゃなかったみたい」


 ルーディアスは、さっきのレオンハルトの顔を思い出す。


 そこにあったのは、悔しさと、意地と、そしてほんの少しの――楽しさ。


 負けることを知らない相手には、きっと湧かない感情だ。


「やれやれ。初日から面白いものを見せてもらったわね」


 ゆっくりと石段を降りてきたイリアが、ため息をついた。


「ミナリオ君。あれが、学院の“洗礼”よ」


「洗礼、ですか」


「そう。目立てば、それだけ狙われる。特に、この学院はね」


 イリアはルーディアスをじっと見つめる。


「でも、今日あなたは逃げなかった。……それだけでも、この場所で生きていく資格はあると思う」


「ありがとう」


「礼は要らないわ」


 イリアはくるりと背を向ける。


「ただ、一つだけ助言をしておく」


 振り返らずに言葉を続けた。


「今日の勝利で、あなたを“敵”と認識した生徒はさらに増えた。……それでも前に進むつもりなら、もっと強くなりなさい」


「もちろん。強くなりに来たんだから」


「その言葉、忘れないことね」


 イリアはそれきり歩き去っていった。


 夕暮れの光が、闘技場を赤く染めている。

 石造りの観客席には、まだ数人が残っていて、今日の戦いを興奮した様子で語り合っていた。


「ルー」


 リーネが隣に並ぶ。


「前の世界では、こういうの……あんまり、なかった?」


「なかった。というか、あったけど、全部逃げてた」


 ルーディアスは空を見上げた。


「だから、今日は……少しだけ前の自分に勝てた気がする」


「うん。勝ってた」


 リーネはきっぱりと言った。


「相手はヴァイス家で、しかも火属性のエリート。普通ならそれだけで震え上がるのに」


「少しは震えてたよ」


「でも、逃げなかった」


 青い髪が、風に揺れる。


「ねえ、ルー」


「なに?」


「これからも、危ないことはいっぱいあると思う。学院の中にも外にも」


「うん、だろうね」


「それでも、一緒に行っていい?」


 その問いには、迷う余地なんてなかった。


「もちろん。一緒に行こう」


 ルーディアスは笑った。


「僕ひとりじゃ、たぶん途中で迷子になるし」


「……そこは否定しないんだ」


 リーネは呆れたように笑い、それから少しだけ真面目な顔をした。


「じゃあ、これからもわたしがルーの先生でいてあげる。その代わり……」


「その代わり?」


「困ったときは、ちゃんと頼って」


 そう言って、彼女は手を差し出した。


 ルーディアスは、その手をしっかり握り返す。


「分かった。頼りまくるよ、先生」


「うん。覚悟しとく」


 魔導学院の夕暮れの風が、二人の間を優しく吹き抜けた。


 こうして――

 ルーディアスは初めて「学院の洗礼」を受け、同時に「学院の一員」として一歩を踏み出したのだった。

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