第4話「青髪の家庭教師」
その日、空はやけに高く澄んでいた。
「ほら、歩けるな、ルー」
村の外周をぐるりと回る細い土の道を、ガラムが大股で進んでいく。背中にはいつもの大剣ではなく、今日は木剣を二本だけ担いでいた。
「うん。大丈夫」
ルーディアスは父の横を、小さめの歩幅でついていく。四歳の足には少しきつい距離だが、息が上がりそうになっても、顔に出さないようにがんばった。
ここは辺境のミナリオ村。
山と森と崖に囲まれた小さな集落で、王都の地図にもろくに載っていないような場所だ。だが、だからといって完全に平和なわけではない。森からは獣が降りてくるし、たまに街道から外れた盗賊が流れ込んでくることもある。
村の男たちは順番に外周の見回りをし、異変がないか確かめるのが日課だ。今日はガラムの番で、そのついでにルーディアスを連れてきたのだった。
「はい、これを持て」
ガラムが肩から木剣を一本下ろし、ルーディアスに差し出した。
「振るだけでもいい。重さを身体で覚えろ。剣ってのはな、まず『慣れる』ところからだ」
「うん」
ルーディアスは両手で柄を受け取る。
木でできているとはいえ、四歳児にはなかなかの重みだ。腕が少し震える。
「重いか?」
「……ちょっと。でも、持てる」
「なら上出来だ。最初からひょいひょい振れたら俺の面目丸つぶれだ」
ガラムは豪快に笑い、腰のあたりに手を当てた。
その横で、ルーディアスはぎゅっと木剣を握る。
たとえうまく振れなくても、前に進むための努力ができている。
それだけで、胸の奥がじんわりとうれしくなった。
前世では、努力する前に諦めてきた。
挑戦する前に「どうせ無理だ」と決めつけて、部屋の隅に引きこもった。
今は違う。父と一緒に外を歩き、剣を握っている。それが、たまらなく誇らしかった。
「獣の足跡ってのはな、こうして地面を見ればすぐ……お?」
ガラムが途中で言葉を切った。
少し先、村の外れにある古い倉庫の影が視界に入ったのだ。
そこに、妙な色があった。
「……青?」
ルーディアスは瞬きをした。
村には赤銅色や茶色の髪を持つ人が多い。父も赤銅色、母は銀。だが、そこにあったのは、村では一度も見たことのない「青」だった。
倉庫の壁に沿うように、ひとかたまりの青が地面に散らばっている。
風に揺れるたび、陽光を反射してきらりと光る。
近づいて、ようやくそれが髪だと分かった。
「ガラム……あれ、人?」
倒れていたのは、小柄な少女だった。
年齢はルーディアスより少し上か、同じくらいか。薄い色のローブをまとい、肌は透けるように白い。頬はこけ、唇は乾き、息は浅い。
そして何より、彼女の身体からは、微弱な魔力の乱れが漏れ出していた。
「下がってろ、ルー」
ガラムが咄嗟にルーディアスの前に出て、木剣を抜く。
普段は穏やかな彼の目が、警戒の色を帯びる。
「魔物か? いや、子ども……?」
少女の周囲の空気は、どこか不安定だった。
空気が揺れ、見えない波が震えているような感覚。
ルーディアスには、それが魔力の暴走の余波だとすぐに分かった。
体内の魔力が枯れかけ、その名残だけが外に漏れている状態。
前に自分が暴発を起こしたときとは逆の、空っぽになる直前のような危うさ。
危険な気配はある。
だがそれは「攻撃してくる何か」ではなく、「今にも壊れそうな何か」だった。
ルーディアスは直感で悟った。
この子は、危険じゃない。
むしろ、助けを必要としている。
「お父さん、待って」
ルーディアスはガラムの横からするりと抜け、少女のそばへ駆け寄った。
「おい、ルー!」
制止の声も聞こえたが、足は止まらなかった。
「だめだ、近づくな。魔物の擬態かもしれん」
「違うよ。だって……」
ルーディアスは少女の顔を覗き込んだ。
青い髪の隙間からのぞく瞼が、小刻みに震える。
かすかに開いた瞳は深い海のような青で、こちらを見ているのに、焦点が合っていない。
まるで世界そのものを怖がっている小動物のようだった。
「……っ」
小さな喉から、聞き取れないほどの声が漏れる。
震える唇が何かを言おうとして、すぐに諦めたように閉じられた。
怖い。
誰かを、何かを、世界を。
そう訴えているように見えた。
「この子、怖がってる。魔物じゃないよ」
ルーディアスは振り返り、真剣な目でガラムを見る。
「助けてあげよう、お父さん」
ほんの一瞬、ガラムは迷ったかのように眉をひそめた。
だが、すぐにため息をつき、木剣を下ろした。
「……分かった。ミナリスのところへ運ぶぞ。ルー、頭の方を支えろ。首がぐらつくと危ねえ」
「うん!」
ふたりでそっと少女を抱き上げる。
驚くほど軽かった。
抱き上げた腕に、ほとんど重さを感じないほどに。
それでも、確かな体温はあった。
◇
「魔力枯渇症ね」
ミナリスは少女をベッドに寝かせ、額や胸に手を当てながら淡々と言った。
ミナリオ家の小さな寝室は、干したハーブの香りで満たされている。
「長い時間、魔力の暴走を抑え続けたのね。そのせいで、身体の方が限界を迎えてしまったんだわ」
ミナリスは彼女の青髪をやさしく撫で、眉をひそめた。
「この年齢で、ここまで自分の魔力と戦ってきたなんて……」
「助かるのか?」
ガラムが低い声で問う。
ルーディアスはベッドの縁に座り込み、固く握った拳を膝の上に乗せていた。
「命に別状はないと思うわ。少しずつ魔力が回復すれば、意識も戻る。ただ……」
「ただ?」
「この子、きっとこれまでも一人だったんだと思う」
ミナリスの視線が、そっとルーディアスに向けられた。
「暴走しやすい魔力を持つ子は、怖がられやすいから」
「……」
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
ルーディアスは、無意識に青い髪を見つめた。
村では見ない色の髪。その異質さが、人の目を惹きつけ、同時に距離を生む。
自分もまた、普通ではない魔力を持つことで距離を置かれてきた。
「ルー」
ミナリスがそっと微笑む。
「この子は、あなたが見つけてくれた命よ。大事にしましょうね」
「……うん」
その言葉が、胸に深く刻まれた。
◇
少女が目を覚ましたのは、それから丸一日が過ぎた頃だった。
「……っ」
薄暗い部屋の中で、か細い息を吸い込む音がした。
ルーディアスが椅子でうつらうつらしていたところに、ミナリスの声が飛ぶ。
「ルー、起きて。彼女、意識が戻ったわ」
「……っ、あ、はい!」
ルーディアスは慌てて姿勢を正し、ベッドの方を見た。
青髪の少女は、布団の中で身を縮こまらせるようにしていた。
長い前髪の隙間からのぞく瞳が、怯えた小動物のように揺れている。
「ここは……?」
かすれた声。
喉が荒れているのか、一言ずつ絞り出すような声だった。
「大丈夫よ。ここはミナリオ村のミナリオ家。あなたを助けた家よ」
ミナリスが柔らかく微笑む。
「あなたは村の外れで倒れていたの。連れてきたのは、この子。ルーディアス」
ミナリスに促され、ルーディアスは少しだけ前に出た。
「あ、あの、こんにちは。僕はルーディアス。無理に挨拶しなくていいけど……えっと、その……」
緊張で言葉が絡まりそうになる。
普段は村の大人と話すくらいしか人付き合いがないので、同年代に近い子への声のかけ方がよく分からない。
少女はびくりと肩を震わせた。
視線がミナリスとルーディアスの間を忙しなく行き来する。
「わ、わたし……」
喉の奥で言葉が詰まり、涙が滲み始めた。
その様子は、自分の存在そのものを怖がっているように見えた。
「大丈夫、大丈夫よ」
ミナリスがそっと少女の手を握る。
「ここは安全だし、誰もあなたを傷つけたりしないわ」
少女の体から抜けていく力の抜け方が、ルーディアスにはよく分かった。
きっとこれまでずっと、そんな言葉とは反対の場所にいたのだろう。
「名前を聞いてもいいかしら?」
「……リーネ」
少女は、震える声で答えた。
「リーネ・フィオル……です」
「リーネ。素敵な名前ね」
ミナリスは笑みを深くし、そっと髪をなでる。
リーネと名乗った少女は、顔を伏せたまま小さく身をすくめた。
「街道沿いをひとりで歩いてたの?」
ルーディアスが恐る恐る尋ねると、リーネは一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を逸らした。
「……ひとりで、旅をしてました」
「どうして?」
問いかけに、リーネの肩がぴくりと震えた。
「……」
何か言おうとして、やめた。
代わりに、布団の端をぎゅっと握りしめる。
「今は無理に話さなくていいわ」
ミナリスが優しく口を挟んだ。
「身体が回復して、心に余裕ができたらでいいの。今は、ゆっくり休みなさい」
リーネは小さく頷き、もう一度目を閉じる。
長い睫毛の端から、涙が一滴だけ落ちた。
その小さな雫を、ルーディアスは見逃さなかった。
◇
青髪の少女がミナリオ家にいるという噂は、すぐに村中に広まった。
「青い髪の子どもを拾ったらしいぞ」
「また妙な子を家に入れて……ミナリオ家は本当に変わったもんを引き寄せるな」
「壁を爆発させた坊に、今度は青髪の魔女か?」
井戸端でも、畑でも、酒場の隅でも。
リーネの話題は好奇心半分、警戒半分で語られていた。
「また、か」
噂話をこっそり聞きながら、ルーディアスは胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
自分のときと同じだ。いや、ある意味、自分以上にリーネの方が奇異の目で見られている。
青い髪。
辺境ではほとんど見ない色。
その一点だけで、「異質」の烙印を押されるには十分だった。
自分もまた、異様な魔力量でそう見られている。
だからこそ、リーネに向けられている視線の冷たさや、不安や、好奇心の混ざり具合が、手に取るように分かった。
「ルー、気にしなくていいのよ」
ミナリスがそっと肩に手を置く。
「噂っていうのはね、何か新しいものが出てくるたびに生まれるものだから」
「でも……」
「大事なのは、ここで何が起こっているか、でしょ?」
ミナリスの視線の先では、リーネがテーブルの上で一冊の魔術書を広げていた。
まだ本調子ではないが、食事を取れるようになり、起き上がって本を読むくらいには回復している。
相変わらず人前ではおどおどしているが、本を開いているときだけは、少し表情が落ち着くようだった。
「……え?」
ページの上をなぞるリーネの指が止まった。
そして、眉をひそめる。
「ここの術式、繋ぎ方がおかしい……」
ぽつりと漏らした言葉に、ミナリスが首をかしげた。
「繋ぎ方?」
「魔力の流れが逆になってます。このままだと、意図した方向じゃなくて、術者側に跳ね返ります」
リーネは震える指で、紙の上の記号をなぞる。
「ここを……こう。ここの符号を反転させて、側面の式と繋げれば、たぶん安定すると思います」
言いながら、余白に小さな文字で修正案を書き込んでいく。
その手つきは、怯えがちだったさっきまでと打って変わって、驚くほど滑らかだった。
「ちょっと、リーネ、それ……」
ミナリスが思わず身を乗り出した。
「その本を書いた人、王都でも有名な魔法学者なのよ? わたしには難しくて、正直半分も理解できていない本なんだけれど」
「ご、ごめんなさい……勝手に、直したりして……」
リーネは肩をすくめ、今にも本を閉じそうな勢いで縮こまる。
「いえ、責めているんじゃなくて……」
ミナリスは慌てて首を振り、食い入るように本を覗き込んだ。
「本当に、ここがおかしいって分かったの?」
「えっと……」
リーネは視線をさまよわせながらも、小さく頷く。
「うまく説明、できないんですけど……魔力の流れを頭の中で組んでいくと、ここの角度がおかしくて。それで、暴走したときの反応が……」
専門用語がぽろぽろと出てくる。
ルーディアスはそれを聞きながら、心の中で黙って拍手していた。
すごい。
直感だけで術式のバランスを理解している。
自分も魔力制御は得意だが、ここまで理論立てて説明することはできない。
「この子……魔法、ものすごく詳しいわ」
ミナリスが呟いた。
「リーネ、どこでこんなことを学んだの?」
「……少し、だけ。前に……」
リーネはそこまで言うと口をつぐみ、俯いてしまった。
それ以上自分の過去を語ろうとしない様子に、ミナリスは無理に追及しなかった。
ただ、その能力の高さが本物であることだけは、誰の目にも明らかだった。
◇
夜。
ミナリオ家の食卓に、珍しく「家族会議」という空気が漂っていた。
「みんな、聞いてほしいことがあります」
ミナリスが真剣な顔で口を開く。
ガラムは腕を組み、ルーディアスは緊張した面持ちで座っていた。
「リーネを……ルーの家庭教師として迎えたいと思っているの」
「家庭教師?」
思わず声が出る。
ルーディアスは自分の耳を疑った。
「俺たちの家で、ってことか?」
ガラムが眉をひそめる。
「ええ。もちろん、本人の意思も尊重するつもりよ」
ミナリスは頷き、ゆっくりと言葉を続けた。
「リーネは魔力の扱いに長けているわ。理論も感覚も、村の誰よりも優れている。この子にとっても、ここで安定して暮らしながら、知識を活かす場があるのは救いになるはず」
「だが……」
ガラムはちらりと隣の部屋の方を見る。
そこではリーネが、ミナリスから借りた分厚い毛布にくるまり、眠っているはずだった。
「あいつ、自分のことをほとんど話したがらねえんだろう?」
「それは、過去に何かあったからよ」
ミナリスは静かに言った。
「追い出されたのか、逃げてきたのか、それは分からない。でも、あの子の目を見ると分かるの。ずっとひとりで戦ってきた目だって」
ルーディアスの胸が、どきりと鳴った。
その言葉は、どこか自分にも向けられているように感じた。
「ルーの魔力は、村の中では扱いきれないわ。私だって、基本的な制御は教えられても、上級の術式までは無理がある。ガラムも剣や体術は教えられても、魔法は専門外でしょう?」
「まあ、否定はしねえ」
「だからこそ、ルーにはきちんと教えてくれる存在が必要なの。王都の学舎に行く道もあるけれど、今すぐに送り出すのは難しい。なら、この家の中に『学び場』を作るしかないわ」
ミナリスの視線が、ルーディアスに向けられる。
「リーネは、そのための鍵になると思う」
「鍵、か」
ガラムはしばらく黙っていた。
腕を組み、視線を落としたまま考え込む。
家の中には、静かな緊張が流れていた。
「それにね」
ミナリスはふっと表情を和らげた。
「ルーにとっても、同年代の子が家の中にいるのは、きっと悪くないと思うの」
「……」
「村の子たちとは、どうしても距離ができてしまうでしょう? ルーの力が強すぎて、怖がられてしまうから」
その指摘は、痛いほど正確だった。
広場で輪から外された日のこと。
噂話が背中に突き刺さる感覚。
全部、忘れたくても忘れられない。
「でも、リーネなら。あの子もまた、異質な存在として見られてきたはず。だからこそ、ルーのことを理解してくれるかもしれない」
ルーディアスは、無意識に拳を握りしめていた。
前世では、誰ともつながれなかった。
オンラインの言葉しか知らなかった。
現実で、同年代と本気で向き合ったことなどほとんどなかった。
今度こそ。
変わるチャンスかもしれない。
「……ガラム」
ミナリスが呼びかける。
「決めるのは、最終的にはルーとリーネよ。でも、父親として、あなたの意見も聞きたい」
ガラムは長いため息をひとつ吐き、天井を見上げた。
「ったく。お前と話してると、いつも俺が悪役みてえだな」
「そんなこと、思ったこともないわ」
「ならいい」
ガラムは立ち上がり、眠るリーネの部屋の方へと数歩歩き、じっと戸を見つめた。
少しだけ、声を落として呟く。
「……ルーがいいなら、俺は異論はねえ」
その言葉を聞いた瞬間、ルーディアスの胸が熱くなった。
「お、お父さん……」
「ただし」
ガラムはくるりと振り返る。
「もしあの子がルーを傷つけるような真似をしたら、そのときは俺が全力で止める。その覚悟はしておけ」
「分かってる」
ルーディアスは真剣に頷いた。
ミナリスも微笑みながら頷く。
「もちろんよ。まずは、あの子の心を守ることからね」
◇
翌朝。
柔らかな朝日が差し込む部屋で、リーネは静かに目を開けた。
「おはよう、リーネ」
ベッドの脇にはミナリスが座っており、その横にはルーディアスが緊張した面持ちで立っていた。
「き、昨日の……」
リーネは身を起こそうとして、すぐに力が抜けるように布団へ倒れ込んだ。
「まだ無理しないで。大丈夫、話だけだから」
ミナリスはやさしく言い、ルーディアスに目配せする。
「ルーから、伝えたいことがあるの」
「え?」
ルーディアスは喉を鳴らし、小さく息を吸い込んだ。
心臓がうるさいくらいに鳴っている。
「えっと……リーネ」
青髪の少女の瞳が、怯えがちにこちらを向く。
「僕……ルーディアス・ミナリオは、その、君に……お願いがあって」
「お、お願い……?」
リーネの肩がこわばる。
拒絶されるのが怖い。
でも、言わなくちゃ何も始まらない。
「うん。あの、さ」
ルーディアスは拳を握りしめ、真っ直ぐにリーネを見た。
「僕の……家庭教師になってほしい」
リーネの瞳が、大きく見開かれた。
「……え」
「君、魔法にすごく詳しいでしょ。お母さんも言ってたけど、村で一番の魔法使いだと思う。僕、強い魔力はあるけど、まだちゃんと使いこなせてないんだ」
言葉が止まらない。
胸の奥から、ずっと押し込めていた気持ちがあふれ出るようだった。
「前の世界……じゃなくて、この世界に来る前の僕は、何もできなくて、逃げてばかりで、誰の役にも立てなかった。だから今度は、ちゃんと学びたい。誰かを守れるくらい、強くなりたい」
そこまで一気に言ってから、慌てて言い直す。
「あ、いや、その……世界がどうとかは忘れて。とにかく、君の知識が必要なんだ。君がよければ、でいい。無理にとは言わないけど……」
リーネは呆然としたようにルーディアスを見つめていた。
その視線が、ゆっくりと揺れる。
「……わたしで、いいの?」
ようやく絞り出した声は、震えていた。
「わたし、怖がられることばっかりで……魔力のせいで迷惑ばかりかけてきて……ここにいて、いいのかどうかだって……」
「いていいよ」
ルーディアスは即答した。
「だって君、僕たちにとって必要な人だもん」
「必要……」
「うん。僕は教えてほしいし、お母さんも君のことを信じてる。お父さんも、君が僕を傷つけないなら、って言ってた」
「ガラムはちょっと言い方が荒いだけで、とても優しい人だから」
ミナリスが苦笑しながら補足する。
「私からもお願いしたいわ。ここで落ち着いて暮らしながら、ルーに魔法を教えてあげてくれないかしら」
リーネは布団の端をぎゅっと握りしめた。
「わ、わたし……」
視線が揺れ、唇が震える。
拒絶する言葉を探しているようにも見えた。
「無理だったら、無理って言っていいよ」
ルーディアスはそっと続ける。
「でも、もし……君が一人でいるのに疲れてたら。ここにいてくれたら、うれしい」
沈黙。
小さな部屋に、心臓の音が響いているような気がした。
やがて、リーネは小さく息を吸い込んだ。
「……わたしで、いいなら」
それは、本当にかすかな声だった。
「ここに、いてもいいなら……わたし、やってみたい」
ほんの少しだけ、リーネの表情がほころんだ。
泣きそうなのに、笑おうとしている顔だった。
ルーディアスの胸が、一気に熱くなる。
「ありがとう!」
思わず声が大きくなり、リーネがびくっと肩を震わせた。
「あ、ごめん、うるさかった?」
「だ、大丈夫……です」
リーネは照れくさそうに目を逸らす。
その頬が、ほんのりと赤く染まっていた。
「じゃあ決まりね」
ミナリスがぱん、と軽く手を叩いた。
「今日からルーの家庭教師はリーネ。ルーは生徒。ふたりとも、よろしくね」
「よろしくお願いします、リーネ先生!」
「せ、先生……」
あわあわとするリーネの姿に、ルーディアスは思わず笑ってしまった。
それにつられるように、ミナリスも笑う。
そんな二人の笑顔を見て、リーネの肩の力が、ほんの少しだけ抜けた。
◇
こうして——
辺境の小さな村で育った天才児ルーディアスと、孤独な青髪の天才少女リーネの、奇妙な師弟関係が始まった。
それはやがて、二人の運命を大きく動かし、世界のどこかにまで届いていく「物語の始まり」でもあったのだと、このときの彼らはまだ知らない。




