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転生したら村の落ちこぼれでしたが、本気で始めたら最強でした  作者: 妙原奇天


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第十四話「世界を書き換える魔法」

 暗い隔離区画を、ルーディアスはただひたすらに走っていた。


 足は鉛みたいに重く、肺は焼けるように痛い。

 先ほど守護獣たちを吹き飛ばしたときの魔力の余韻がまだ身体中を暴れ回っていて、視界もときどき白く瞬く。


 それでも、止まるという選択肢は頭のどこにもなかった。


 さっき扉越しに聞こえた、震える声。


 ――ルー、なの……?


 あの一言が、背中をずっと押し続けている。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


 崩れた通路の隙間を、半ば転ぶようにしてくぐり抜ける。


 途端に、視界が開けた。


 そこは、地下とは思えないほど広い空間だった。


 床一面には、幾重にも重なる魔法陣。

 古い文字と幾何学模様が絡み合い、淡く光を放っている。

 天井近くには、岩盤に直接刻まれた封印術式が光の鎖のように張り巡らされていた。


 その中央に――それはあった。


「……リーネ」


 思わず名前が漏れる。


 部屋の真ん中に浮かぶ、巨大な結界球。

 透明な膜のようなそれは内側から押し広げられ、ぎしぎしと不穏な音を立てていた。


 その中に、青い髪の少女が膝を抱えて座り込んでいる。


 リーネだった。


 髪は淡く光り、一本一本が光の糸のように揺れている。

 肩は小刻みに震え、瞳は虚空を見つめて焦点が合っていない。


 何より――。


「……すご……」


 思わず息を呑む。


 リーネの身体から溢れ出る魔力は、まるで海だった。

 底が見えない、広く深い海。

 それが制御を失って荒れ狂い、波濤となって結界の内側から叩きつけている。


 空気が重い。

 魔力の圧力で肺が押し潰されそうだった。


「リーネ!」


 ルーディアスはよろけながら結界へ走り寄る。


 あと数歩というところで、結界の表面に手を伸ばそうとした瞬間――


「……来ちゃ……だめ……!」


 耳を裂くような悲痛な叫びが響いた。


 結界の中で、リーネが顔を上げていた。

 涙で濡れた青い瞳が、恐怖と絶望でいっぱいに揺れている。


「リーネ!」


「だめ……ルー……。わたしの中の“鍵”が反応してる……。あなたが近づくと、もっと……暴れちゃう……!」


 その言葉と同時に、魔力の波が一段と高くなった。


 結界球の表面がばちばちと音を立てて弾け、床に刻まれた魔法陣が一斉に明滅する。

 天井から砂がざらざらと落ち、大地そのものが唸り声を上げているようだった。


「……っ」


 近づこうとするだけで、皮膚がひりついた。

 体の中の魔力が、リーネの魔力に引きずられるように狂い出す。


 そのとき――。


「ルーディアス!」


 後ろからイリアの声が飛んできた。


 振り向くと、埃まみれの三人が部屋に飛び込んでくるところだった。


「ルーディアス、大丈夫!?」


 真っ先に駆け寄ってきたエランが、耳と尻尾をぴんと立てながら周囲の気配を探る。


「リーネちゃん……苦しそう……」


 カナトは圧力に顔をしかめ、結界と床の魔法陣を見比べた。


「……なんだよこれ。人間ひとりから、こんな魔力量が……」


 イリアは一歩、二歩と前に進み、膝をついて結界周りの装置に手をかざした。


 金属でできた装置には、古い文字と複雑な術式が刻まれている。

 魔力を流し込んで構造を読み取ったイリアは、一瞬で顔色を変えた。


「……最悪ね、これ」


「どういうことだ?」


 カナトが問うと、イリアは装置を睨みつけながら言った。


「この結界、“封印連鎖結界”よ。禁域の民用の、特別仕様」


「封印……連鎖?」


 ルーディアスが問い返すと、イリアは悔しそうに唇を噛んだ。


「魔王封印システムの一部。

 古代魔王を封じるために造られた“鍵”の一族――禁域の民を管理するための仕組みよ」


 禁域の民。さっきザガルトが吐き捨てるように言った言葉が蘇る。


「鍵は、世界の大きな異変――魔王の復活の兆候や、異界からの干渉が起きると自動的に反応する。

 そして、封印を維持するために、膨大な魔力を強制的に引き出されるの」


「……つまり」


 ルーディアスは喉を鳴らした。


「リーネは、自分の意思じゃなくて……」


「“世界に”魔力を絞り取られているようなものね」


 イリアの声は冷たく震えていた。


「本人に罪はない。でも、この状態を放っておけば、結界ごと吹き飛んで学院もろとも消える。

 だから隔離された。合理的ではあるわ」


「合理的……」


 その言葉が、胸に突き刺さる。


 合理的。

 確かにそうだ。

 たくさんの人を守るために、一人を封じる。


 だけど。


 結界の中で震えるリーネの姿を見ていると、その“合理”はあまりに冷たく、残酷に思えた。


「ねぇ……ルー」


 リーネのか細い声が、結界の中から届いた。


 うつむいたまま、力なく口を開く。


「わたし……怖いの。

 また誰かを傷つけちゃうこと……。あなたを傷つけることが……」


「傷つけない」


 言葉が、ほとんど反射で口をついた。


 ルーディアスは、結界に手を押し当てる。


 ひりつく痛み。

 でも、それが何だというのだ。


「リーネは、誰も傷つけない。

 もし何かが起きたとしても、それは君のせいじゃない。

 君は……世界に勝手に利用されてるだけだ」


 喉の奥が焼けるように熱い。


「たとえ世界が君を“鍵”だって言っても、僕にとってはリーネはリーネなんだ。

 僕の先生で、仲間で……大事な人だ」


 その一言で、リーネの瞳に一瞬だけ光が宿った。


 だが――。


「……っ!」


 次の瞬間、魔力が爆発した。


 リーネの身体から、さらに膨大な魔力があふれ出す。

 結界球の表面は耐え切れず、蜘蛛の巣状にひびが走った。


「だめ……! もう持たない!」


 イリアが叫ぶ。


「このままだと、結界が破裂して地下区画ごと吹き飛ぶわ!」


「逃げないと……!」


 エランが震えながら後ずさる。


「でも、ここでリーネちゃんを置いてったら……!」


「置いていくなんて無理だ!」


 カナトも叫んだ。


「ルーディアス、どうするつもりだ!?」


 ルーディアスは答えなかった。


 答えの代わりに、もう一度結界へ手を押し当てる。


 熱い。

 皮膚が焦げるように痛い。


 それでも、魔力を流し込んだ。


「おい、何やって――!」


「ルーディアス!」


 イリアの制止の声も、もう遠く感じた。


「この結界、禁域の民を押さえつけるためのものなら……」


 ルーディアスは歯を食いしばる。


「外からだって、押さえつけてやる……!」


 己の魔力を、結界の術式にねじ込む。


 床の魔法陣がぎらりと光った。

 術式と術式がぶつかり合い、火花のように魔力が弾ける。


「ルーディアス! そんな大魔力、あなたの身体じゃ――!」


「耐える!」


 イリアの叫びを遮るように、ルーディアスも叫んだ。


「これくらい……耐えなきゃ、もう二度と前に進めない!」


 胸の奥が焼ける。

 心臓が、外側から握り潰されているみたいに痛い。


 それでも、手は離さない。


 前の世界。

 三十歳まで何も変えられなかった人生。

 やり直したいと願いながら、何もできなかった自分。


 その“失敗”が、いま背中を押している。


「……っ、ああああああ!」


 喉が裂けるほど声を張り上げた瞬間。


 結界球が、ぱん、と軽い音を立てて――割れた。


 破片に見えた光は、すぐ霧のように消えた。

 代わりに、リーネの魔力が真っ直ぐ外へ溢れ出す。


 結界という“器”を失った力は、もはやどこにも閉じ込められない。


 暴風だった。


 見えない風が、魔力の圧として全方向に吹き荒れる。

 床の石が砕け、天井の岩盤が軋む。


「うそ……これ、地下区画ごと崩れる……!」


 イリアが青ざめる。


 エランは耳を押さえてしゃがみ込んだ。


「いたい……いたい……! 音になってない音が、頭の中で鳴ってる……!」


 カナトも腕で顔をかばいながら、必死に耐える。


「くそ……これ、人が耐えていい圧じゃないぞ……!」


 暴風の中心にいるリーネは、もう自分で立っていられなかった。

 宙に浮いたまま、青い髪を乱して叫ぶ。


「いや……やだ……止まらない……!

 ルー……逃げてよ……わたしを置いて……!

 わたしのせいで、また誰かが……!」


「置かない!!!」


 返事は、怒鳴り声になった。


 ルーディアスは暴風の中へ飛び込んだ。


 視界が白くなる。

 耳がつんざかれる。

 全身の細胞が引き剝がされるような感覚。


 それでも――。


 リーネの身体に、腕が届いた。


 震える肩を抱き寄せる。


「リーネ!」


 耳元で叫ぶ。


「僕はここにいる! 君を置いて逃げたりしない!」


「どうして……」


 かすれた声が返ってきた。


 リーネの瞳は涙でぼやけている。


「どうしてそこまで……?

 わたし、危ないのに……! 鍵で……道具で……!」


「鍵だからだよ」


 ルーディアスは、震える声で言った。


「世界を閉じ込める鍵じゃなくて――世界を開く鍵になれる。

 そんな君を、誰かの勝手な都合で“道具”に閉じ込めるなんて、許せない」


 その瞬間、二人の魔力が強烈にぶつかり合った。


 リーネの魔力。

 世界に引きずり出された、魔王封印用の暴力的な力。


 ルーディアスの魔力。

 転生後に育ててきた、多属性で形を変え続ける不安定な力。


 本来なら、交われば爆発しかない。


 だが――。


(違う)


 どこかで、そう確信した。


 前世の記憶がよぎる。


 逃げ続けて失敗した日々。

 誰かを助けたくても、何もできなかった自分。

 画面の向こうの悲鳴から目を背けて、布団に潜っていた夜。


 全部、後悔だ。


 全部、やり直したかった場面だ。


 だから――。


「もう二度と……逃げない……!」


 ルーディアスの中で、何かが決壊した。


 風。

 水。

 土。

 雷。


 四つの属性が、一斉に形を失い、ひとつの“流れ”へと変質していく。


 それは、魔力の色をした“文字”だった。


 空間に浮かぶ、見たことのない線と記号。

 世界のルールそのものを書き記す、“文字の波”。


 イリアが、震える声を上げた。


「これ……世界文字波術……?」


 魔術史の本に、ほんの数行だけ載っていた伝説。

 世界の根幹に刻まれた“文字”を書き換える、古代最上級魔術。


「そんなの……絵空事だって、みんな言ってたのに……!」


 カナトは言葉を失い、エランはただ目を見開いて二人を見つめるしかできなかった。


 ルーディアス自身も、その理屈は分かっていない。


 ただ――分かるのはひとつ。


 この力は、代償魔術だということだ。


 世界のルールを書き換える代わりに、等価の代償を支払わされる。

 それが“命”であることも、直感で理解できた。


 それでも。


(構わない)


 胸の奥にいる“前の自分”が、小さく笑った気がした。


 逃げ続けて何も変えられなかった男。

 その人生を、ようやく上書きできる瞬間が来たのだ。


 ルーディアスは、リーネの身体をしっかりと抱きしめたまま、空間に浮かぶ文字の波へと手を伸ばす。


「世界――」


 声はかすれていた。

 それでも、言葉ははっきりと紡がれる。


「書き換えろ」


 瞬間、暴風が止んだ。


 時間が、止まったかと思うほどだった。


 崩れかけていた天井の岩が、空中でぴたりと止まる。

 飛び散っていた瓦礫が、灰色の花びらのように宙に浮かんでいる。


 床のひび割れが、音もなく閉じていく。

 さっき砕けたはずの石板が、逆再生の映像のように元の位置に戻っていく。


「な、なにこれ……!」


 エランが震えながら辺りを見回した。


「世界が……戻ってる……?」


「空間そのものに書き換えが入ってるのよ……」


 イリアの声は、もはや呆然とした響きしか持っていない。


「リーネの暴走魔力を“なかったことにする”ように……。

 力の流れを、本来あるべき場所に戻している……」


 世界の“文章”に書き足された一文を、書き直す。

 そんな行為に近いのかもしれない。


 ルーディアスの身体からは、すごい勢いで力が抜けていった。


 手足の感覚が薄れ、体温も引いていく。


 でも、不思議と怖くはなかった。


 腕の中にある温もりが、はっきりと感じられたからだ。


「……ルー……」


 リーネの声が、小さく響く。


 さっきまで暴走の中心だった魔力は、嘘みたいに静かになっていた。

 彼女の髪から漏れていた光も、ほとんど消えかけている。


「どうして……ここまで……?」


 涙に濡れた青い瞳が、すぐそばにあった。


「わたし、やっぱり危ないよ……。鍵で……みんなを巻き込む……」


「危なくなんかない」


 ルーディアスは、かろうじて笑顔を作る。


「危ないのは、君を鍵だなんだって決めつけて、閉じ込めようとする大人たちの方だよ。

 君はただ、ちょっとばかり大きな力を持って生まれただけだ」


 息が上がる。

 胸が苦しい。


「その力を、誰のために使うかは……君が決めればいい。

 世界に勝手に決めさせるな。

 僕は……その選ぶ権利を、守りたい」


 リーネの瞳が、大きく揺れた。


「ルー……」


「だからさ」


 視界の端が暗くなっていく。

 天井の光が、遠くなっていく。


 それでも、ルーディアスは腕の中の少女から目を逸らさなかった。


「君が怖いときは、ちゃんと怖いって言って。

 つらいときは、つらいって言っていい。

 そのたびに、僕が隣にいるから」


「どうして……」


 リーネの声は涙で濡れていた。


「どうして、そこまで言ってくれるの……?

 わたし……何も返せないのに……」


「返さなくていいよ」


 かすれた声で笑う。


「僕は……ただ、君と一緒にいたいだけだから」


 それは、恋の告白みたいな甘いものじゃない。

 もっとずっと――人としての、わがままに近い。


 それでも、今のルーディアスには、それが何より正直な言葉だった。


「ルー……」


 リーネの両手が、震えながら彼の服を掴む。


「置いていかないで……。一人にしないで……」


「しないよ」


 瞼が重い。

 世界が、暗く沈んでいく。


「君が嫌だって言う限り……何度でも、迎えに行く」


「ルー!」


 遠くで、誰かの叫び声が聞こえた気がする。

 イリアか、エランか、カナトか。


 もうよく分からない。


 でも、最後に聞こえたのは――。


「ルー!!!」


 泣き叫ぶような、リーネの声だった。


 その声を聞いたまま、ルーディアスの意識はふっと闇に落ちた。


 世界を書き換える魔法が静かに収束し、

 暴風は止み、瓦礫は元に戻り、地下区画はただの静寂だけを残していた。


 その中心で、青髪の少女が少年を抱きかかえ、震える肩を押さえられずにいた。

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