第十三話「逃亡と覚醒」
その夜の学院は、昼間とは別の顔をしていた。
城壁の上には等間隔に魔術灯が灯り、青白い光が夜気を裂く。
いつもなら静かな回廊も、今夜ばかりは教師たちの足音と、鎧の金具が擦れる音で落ち着きなく満たされていた。
消失事件。
学院都市アルグランの一部が、光柱に貫かれて“丸ごと消えた”あの出来事は、王都全体を震え上がらせるには十分すぎるものだった。
外出禁止。
消灯後の徹底した巡回。
生徒たちは寮から一歩も出ることを許されていない。
――少なくとも、建前では。
寮の一室。
ルーディアスはベッドの端に腰を下ろし、握った拳を膝の上で固く結んでいた。
窓の外には、揺れる魔術灯の光。
厚いカーテンの隙間から漏れるそれは、牢の縫い目のように見えた。
「……リーネ」
名前を呼ぶだけで、胸が痛む。
講堂で引き離されたときの感触が、まだ腕に残っていた。
伸ばした手の先で閉じられた扉。
震える声で「離れて」と言った彼女の瞳。
ザガルトは言った。禁域の民。封印の鍵。危険な存在。
だから隔離すると。
理屈は分かる。
あの老人の言うことは、世界全体を見れば正しいのかもしれない。
だが、ルーディアスの胸にあるのは、別の答えだった。
――彼女は、道具じゃない。
力を持って生まれただけで、閉じ込められていいはずがない。
前の世界で、逃げ続けて何も守れなかった自分。
あのときの後悔が、今もずっと背骨の奥に刺さっている。
だから決めたはずだ。
「今度は……逃げない」
低く呟いたとき、不意に扉が小さくノックされた。
「ルーディアス」
聞き慣れた落ち着いた声。
続いて、少し高くて元気な声と、ぶっきらぼうな声が混ざる。
「入るぞ」
ルーディアスが立ち上がり、扉を開けると、イリア、エラン、カナトの三人が立っていた。
イリアはいつもの黒いローブ姿。
銀髪をひとつにまとめ、その瞳はいつも以上に真剣だ。
エランは耳をぺたりと伏せ、落ち着きなく尻尾を揺らしている。
カナトは工具袋を腰に下げたまま、いつになく固い表情だった。
「……来てくれたんだ」
ルーディアスが言うと、イリアは短く頷いた。
「来ざるを得ない状況よね」
彼女は部屋の中に歩み入り、扉を閉めた。
エランとカナトも続く。
「ルーディアス」
イリアは真正面から彼を見る。
「あなた、リーネを助けに行くつもりでしょう」
隠す意図は、もともと持っていなかった。
ルーディアスは、小さく息を吸って頷いた。
「うん。あのままだと、リーネは“封印鍵”として扱われる。
研究対象とか、道具とか……そんなふうに」
喉の奥がひりつく。
「でも、リーネはリーネだ。僕の先生で、家族で……。あんなふうに連れて行かれていい理由なんて、ない」
その言葉に、エランがぎゅっと拳を握った。
「あたし……怖いよ」
獣耳が震えている。
それでも、エランの瞳はまっすぐだった。
「怖いけど……でも、リーネちゃんがあんな泣き方するの、見たくない。
ルーが助けに行くなら、あたしも行く!」
「俺もだ」
カナトが低く続ける。
「鍛冶屋の家に生まれてさ、危ない武具を作るたびに親父に言われてたんだ。
“道具は使い方次第だ。だが、人を道具扱いする奴は許すな”って」
彼はルーディアスを見据えた。
「さっきの連れ去り方は、どう見ても道具扱いだ。正直、頭にきてる。
だから……俺も行く」
イリアは、二人の言葉を聞きながら、少しだけ目を伏せた。
やがて、肩で小さくため息を吐く。
「……まったく。全員、立派な規則違反者ね」
再び顔を上げたとき、その瞳は決まっていた。
「でも、だからこそ私も行くわ。禁域の民の血を持つ少女……研究対象として興味はあるけれど、それ以上に、同じクラスメイトとして見捨てる気にはなれない」
「イリア……」
「勘違いしないで。
私が嫌いなのは愚かな権力であって、合理的な力の使い方よ。
あの老人の決定が“合理的”過ぎるから、腹が立ってるだけ」
イリアらしい言い回しに、ルーディアスの胸が少しだけ軽くなる。
「……ありがとう」
素直に言葉が出た。
「でも、問題はここからね」
イリアは、部屋の机に手を伸ばし、そこにあった紙とペンを取ると、手早く図を描き始めた。
円と線がいくつも重なっていく。
それは学院の簡略図だった。
「リーネは今、“地下転移区画”に隔離されているはず。
あそこは緊急時に生徒を避難させるための転移陣や、危険な魔導具を保管するための隔離室が並んだ区域よ」
「行ったことがあるの?」
「実際にはない。でも、学院の設計図は一度だけ閲覧を許されている。
ほら、優等生だから」
軽く肩をすくめながらも、その筆は止まらない。
「問題はここ。隔離区画へのルートは三つ。
一つは学院長の部屋から。
一つは治癒棟からの緊急転移。
そしてもう一つが、私たちが使う“転移通路の逆流”」
「逆流?」
ルーディアスが首を傾げると、イリアは顎で図を示した。
「転移通路っていうのは一方通行が基本だけど、実際には“行き先と戻り先”がセットになってるの。
でも学院側は、学生用の転移陣を“行きだけ”に制限している」
「制限……ってことは、外せるの?」
「魔術的にはね。ただし――」
イリアはペン先で“×”を描いた。
「成功率は高くない。
魔力の流れを逆転させるから、少しでも制御を誤れば空間の歪みに飲まれて、身体ごと吹き飛ぶ可能性がある」
エランが震えた声を上げた。
「こ、こわいことサラッと言わないでよ……!」
「当然よ。だからこそ正面突破が選ばれないわけだし」
イリアは淡々と答える。
「正面から行けば、三重結界に教師クラスの魔術師。
ザガルトの補助魔術までかかっているとしたら、今の私たちではどうやっても破れない」
「つまり」
ルーディアスは、ペンで記された“細い線”に目を向けた。
「逆流転移で、隔離区画の“手前”まで飛ぶしかないってことか」
「そういうこと」
イリアはペンを置き、三人を見渡した。
「もう一度言うけれど、これは学院への反逆行為。
見つかれば最悪、退学。
それでもやるの?」
問いかけは四人全員に向けられている。
ルーディアスは迷わなかった。
「僕はやる」
エランも頷く。
「あたしも。リーネちゃん、あたしたちの仲間だもん」
カナトは短く一言。
「行く。後悔したくないからな」
イリアは、一瞬だけ目を閉じた後、薄く笑う。
「……よろしい。じゃあ作戦会議を始めましょうか、“反逆者”のみなさん」
◇
深夜。
寮の廊下は、いつもなら静寂だけが支配する時間帯だった。
だが、今夜は違う。
曲がり角ごとに魔術灯が灯り、青い光が石壁と床を照らしている。
その間を、教師たちが二人一組で巡回していた。
「時間は把握済みよ」
イリアが囁く。
「巡回は二十刻ごと。いま、ちょうど反対側の棟にいるはず。
動くなら今しかない」
ルーディアスたちは、寮の裏口からそっと外に出た。
夜の空気は冷たく、吐く息が白い。
遠くで、城壁の上を歩く警備兵の影が小さく動いているのが見えた。
四人は、建物の影を辿るように、学院本館へ向かう。
「……耳がぴくぴくする……」
エランが顔をしかめた。
「先生の足音が……近い……!」
獣人族の耳が捉えた気配に、イリアが素早く反応する。
「右の回廊に入って」
四人は走らず、小さく身を屈めながら回廊の陰へ滑り込む。
数秒後、反対側から教師二人が現れた。
「城壁側の結界、強度を上げた方がいいかもしれん」
「都市側からの通達は?」
「まだ何も。だが、今日の光柱の揺らぎからしても……」
世間話程度の声色で、物騒な話をしている。
ルーディアスは息を潜めながら、そっと掌を開いた。
微かな風魔法。
回廊の端にある魔術灯へ、ほんの少しだけ風を吹きかける。
ゆらり、と光が揺れた。
「……む?」
一人の教師がそちらを振り向く。
ルーディアスは風の流れを変え、反対側の窓へと抜けさせた。
冷たい風がカーテンを膨らませる。
「窓か。今夜は風が強いな」
「全くだ。嫌な予感しかしない」
二人は足を止めることなく、そのまま通り過ぎていく。
教師たちの姿が見えなくなってから、エランが小さく息を吐いた。
「……心臓止まるかと思った……」
「ルーディアス」
イリアが囁く。
「今の判断、良かったわ。無駄に怪しまれることなく、自然な形で注意を逸らせた」
「前にさ」
ルーディアスは苦笑を浮かべる。
「こういうとき、何もできなくて隠れてることしかできなかったから。
今は……少しでも動ける方が、気が楽なんだ」
イリアは、ちらりと彼を横目で見た。
「そう。なら、しっかり動きましょう。ここからが本番よ」
◇
学院本館の奥、通常は生徒の立ち入りが禁止されている区域。
「ここから先が、転移通路よ」
イリアが立ち止まった先には、半円形のホールがあった。
床には巨大な魔法陣が刻まれている。
淡い光の線が複雑に絡み合い、まるで流れる水路のように中央へと収束していた。
「きれい……」
エランが思わず呟く。
魔力の糸が、螺旋を描きながら空中へと立ち上る。
天井には星空のような紋様が広がり、転移の行き先を示す符号が瞬いていた。
「本来は、上級生の実習や、緊急避難用に使われる通路よ」
イリアが説明する。
「でも今は、転移陣のほとんどが封鎖されているはず。
教師が持つ“鍵呪文”がないと起動しない」
「鍵呪文、ね」
カナトが唸る。
「そんなの、俺たちが知ってるわけが――」
「だから、そこを迂回するの」
イリアは、魔法陣の端にしゃがみ込み、指で床に新たな線を描き始めた。
「転移陣の基本は、“入口”と“出口”を繋ぐ回路。
今の状態は、“入口から出口へ”一方通行。
なら、回路の一部を書き換えれば、“出口側から入口へ”流れを引き寄せられる」
「それが、逆流転移……」
ルーディアスは、魔法陣の線の流れをじっと見つめた。
何重にも組まれた回路の中、イリアの通す一本の線が、全体の流れを少しずつ変えていく。
「転移の負荷を分散するために、四人で魔力を流すわ。
ルーディアスは全体の制御。
カナトは陣の固定。
エランは感覚で“揺れ”を教えて。
私は誘導を担当する」
「……分かった」
「了解」
「が、頑張る……!」
四人は魔法陣の四つの端に立ち、それぞれ掌を床に当てた。
静かに、魔力を流し込む。
足元の陣が光を帯び、線が一つずつ浮かび上がる。
やがて、中央に向かって流れていた魔力の流れが、逆方向へぐっとねじ曲がった。
「……くっ」
カナトが眉をしかめる。
「床が……鳴ってるぞ……!」
「空間がきしんでるのよ」
イリアも額に汗を滲ませながら、指先で術式を補強する。
「ルーディアス、魔力の圧を少し下げて。
このままだと、転移先じゃなくて空間の狭間に飛ばされる」
「分かった!」
ルーディアスは、胸の中で暴れようとする魔力を意識して押さえ込んだ。
暴走しそうになる力。
リーネを助けたいという焦りが、それを煽る。
だが今ここで制御を失えば、彼女の元へたどり着く前に終わってしまう。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせるように呟き、呼吸を整えた。
前世の自分は、怖くなったらすぐに逃げた。
画面を閉じて、布団を被って、何も見ないふりをした。
――でも、今は違う。
逃げたい気持ちを、そのまま押し込めるのではなく、別の形に変える。
“誰かを守るために使う力”へと。
「……もうすぐよ!」
イリアの声が響く。
「転移回路が反転しきる! 全員、意識を集中して!」
足元の光が、ひときわ強く輝いた。
次の瞬間、視界が白く弾ける。
身体が浮き上がるような感覚。
上下左右の感覚が消え、時間すら曖昧になる。
それでも、ルーディアスは掌を床から離さなかった。
離せばどこかへ飛ばされる――そんな直感があった。
「――っ!」
光が収束する。
足元に、石の感触が戻ってきた。
◇
視界がはっきりすると同時に、鼻を突く湿った空気に気づいた。
そこは、暗い石造りの通路だった。
壁に沿って、魔術灯が一定間隔で並んでいる。
だが、ところどころ光が消えており、陰影が深い。
「……成功、みたいね」
イリアが、ゆっくりと息を吐いた。
「ここが、隔離区画の外周通路。
本来なら教師だけが通れる場所よ」
「気持ち悪い空気だな」
カナトが周囲を見回す。
石壁には、封印術式の紋様が刻まれていた。
禍々しいというより、ただひたすら重い。
「リーネは、この奥……?」
ルーディアスの問いに、イリアは頷く。
「禁域の民という話が本当なら、一番奥の“封鎖室”に閉じ込められているはず。
行きましょう。時間はあまりない」
一行は、通路を奥へと進む。
足音が石に反響し、妙に大きく聞こえた。
それが不安を煽る。
「……なんか、嫌な匂いがする」
エランが鼻をひくつかせた。
「金属と……獣と……血の匂い」
「血?」
カナトが顔をしかめた瞬間――
低く唸る声が、暗闇の奥から響いてきた。
「今の……」
「構えて!」
イリアが叫ぶと同時に、闇の中から巨大な影が飛び出してきた。
鋭い牙。
光を反射する赤い眼。
瘴気をまとった黒い体毛。
「守護獣……!」
イリアが目を見開く。
「封鎖区画の扉を守るための魔獣よ! 本来なら檻の中にいるはずなのに……!」
光柱の余波で、封印が破れたのだろうか。
一体どころではない。
その後ろから、さらに二体、三体と影が続く。
「まずい……!」
カナトが杖を構える。
エランは、震える足でなんとか一歩前へ出た。
「あ、あたしもやる……! こんなとこで、ビビってられない!」
「ルーディアス」
イリアが短く呼ぶ。
「あなたが前。私が補助。
エランは嗅覚で動きを察知して、カナトは防御を」
「了解!」
「お、おう!」
獣たちが低く喉を鳴らし、四つ足で床を蹴った。
一体が、まっすぐルーディアス目掛けて飛びかかる。
「――風よ!」
ルーディアスは咄嗟に風魔法を展開し、獣の軌道を横へ滑らせた。
巨体が壁にぶつかり、石片が飛び散る。
「くっ……!」
すぐさま二体目が横から突進してくる。
その足元に、土の隆起を走らせて体勢を崩す。
「エラン!」
「分かってる!」
エランが素早く飛び出し、獣の鼻先に火の玉を投げつけた。
爆ぜる炎。
獣の悲鳴。
だが、後ろから三体目が迫る。
「カナト!」
「任せろ!」
カナトが杖で床を叩いた。
ルーディアスの杖を調整したときと同じ、確かな手つき。
土属性の魔法陣が瞬時に展開し、獣の前に石の壁が隆起する。
しかし――
「っ、おい、思ったより重いぞ……!」
壁に突進した獣の力が予想以上に強く、土の壁がひび割れた。
ルーディアスは歯を食いしばる。
「やっぱり、ただの守護獣じゃない……!」
光柱の影響で、こいつらも魔力が高まっているのだろう。
一体一体が、中級魔物並みの圧力を持っていた。
「ルー!」
エランの警告が飛ぶ。
「右、もう一匹来る!」
ルーディアスは身体を捻り、風の刃を展開する。
だが、その瞬間――胸の中の魔力が、妙なうねり方をした。
「……っ!」
視界の端が、ぐにゃりと歪む。
体の中心から、熱い何かが溢れ出そうとしていた。
「ルーディアス?」
イリアが鋭く声をかける。
「魔力が荒れてる! さっきの逆流転移の負荷が残ってるのよ!」
「大丈夫……まだ、抑えられる!」
そう言いながらも、ルーディアスは自分の魔力が今まで以上に“言うことを聞かない”感覚に気づいていた。
胸の奥で、何かがじくじくと疼いている。
怒りか、恐怖か、それとも――。
リーネが連れ去られる間際の表情が、脳裏に浮かんだ。
伸ばした手。
涙に濡れた青い瞳。
「離れて」と震える声。
「……離れるわけ、ないだろ」
自分の喉から零れた声が、思ったよりも低く響いた。
獣の一体が再び飛びかかる。
ルーディアスはそれを正面から受け、風と土で軌道をそらし、雷で痺れさせる。
「があああっ!」
獣が壁に叩きつけられ、石が崩れ落ちた。
「ルー! 落ち着いて!」
エランが叫ぶ。
「魔力、さっきより……ずっと怖い匂いがする!」
イリアも額に汗を浮かべながら叫ぶ。
「このままじゃ、本当に暴走するわよ! リーネを助ける前にあなたが壊れる!」
「今さら……」
ルーディアスは、獣の群れの向こうを睨んだ。
通路の奥。
重々しい扉がうっすらと見える。
きっと、あの先にリーネがいる。
「今さら、引き返せない」
獣の爪が迫る。
それを紙一重で避け、風の刃を叩き込む。
だが、その刃は予想以上に大きく、強かった。
「おい!」
カナトが驚きの声を上げる。
「通路まで削ってるぞ! このままだと崩落する!」
「分かってる……けど……!」
魔力が止まらない。
胸の奥の熱はさらに増し、血の一滴一滴が沸騰しているような感覚すらあった。
視界の端が白く光る。
耳鳴り。
鼓動の音。
自分の呼吸が遠く聞こえる。
その中で――かすかな声が、確かに響いた。
『ルー……』
「……リーネ?」
誰も呼んでいないのに、名前が浮かぶ。
『助けて……』
耳ではない場所で、彼女の声が聞こえた。
隔離室の中で震えている姿が想像できる。
冷たい石の床。
重い扉。
独りきりの暗闇。
あの部屋で、彼女はまた思っているかもしれない。
――自分は鍵でしかない、と。
――世界のためには、犠牲になるべきだ、と。
――誰かと一緒にいる資格なんてない、と。
そんなのは、間違っている。
「……離さない」
ルーディアスは、ぎゅっと杖を握りしめた。
「もう、誰も見捨てないって決めたんだ。
たとえ世界中が“鍵”だって言っても、僕にとってはリーネはリーネだ」
胸の奥の熱が、一気に弾ける。
「うわっ……!」
カナトが思わず後ずさる。
「おい、これ……!」
ルーディアスの身体から、四つの色の光が溢れ出した。
青。
黄。
茶。
透明な水色。
風、雷、土、水。
四つの属性が同時に渦を巻き、彼の周囲に複雑な螺旋を描く。
イリアが息を呑んだ。
「四属性同時展開……? そんなの、理論上は可能でも――」
「普通の人間がやっていい領域じゃない……!」
エランは耳を伏せ、押し寄せる圧力に身を縮めた。
守護獣たちでさえ、その圧力に怯えたように足を止める。
低く唸り声を上げながら、じり、と後ずさった。
「……リーネ……!」
ルーディアスの声が、静かに、しかし確かに通路に響く。
「僕は……君を助けに来たんだ。
だから――」
彼は、前方の獣の群れへと右手を向けた。
「邪魔するなら、退いてもらう」
風が唸りを上げる。
土が隆起し、雷が踊り、水が空中で刃と化す。
四つの属性が、ひとつの“流れ”として繋がった。
「……行けぇッ!」
叫ぶと同時に、四重属性の奔流が前方へ解き放たれた。
爆発音が、地下通路を揺らす。
風が獣の体を切り裂き、
土がその足を絡め取り、
雷が神経を焼き、
水が刃となって瘴気を払い落とす。
守護獣たちが、悲鳴を上げて吹き飛んだ。
その衝撃は、通路の壁にまで及ぶ。
石壁がひび割れ、天井から砂や小石が降ってきた。
「ルーディアス!」
イリアが叫ぶ。
「やり過ぎ! 通路が崩れる!」
「か、壁が……!」
カナトが頭上を見上げた瞬間、大きな石が落ちてきた。
エランが反射的に飛び出し、ルーディアスの腕を引く。
「危ない!」
四人は、崩れ落ちる石の雨から身をかわした。
轟音。
土煙。
やがて、音が止む。
咳き込みながらも、ルーディアスは前方を見据えた。
煙が晴れていく。
そこには――さっきまで獣がいたはずの場所に、崩れた石の山と、ぐったりと横たわる守護獣たちの姿があった。
全身が傷だらけで、瘴気は消えている。
まだ息はあるが、戦闘不能なのは明らかだった。
「……や、やったの……?」
エランが呆然と呟く。
イリアは、ルーディアスの方を振り向いた。
「あなた……本当に人間?」
「ひでえ言い方だな」
カナトが半ば本気でぼやく。
「魔王か何かだろ、これ……」
「違うよ」
ルーディアスは、苦笑ともつかない笑みを浮かべた。
「僕は……ただの、村育ちの転生者だよ」
そう軽く言ってみせたものの、手足の感覚は既に限界を訴えていた。
筋肉が震え、膝が笑う。
視界の端はまだ光の残像でちらついている。
「ルーディアス」
イリアが真剣な声で言う。
「これ以上、魔力を使えば本当に危険よ。
さっきの一撃、学院長クラスでもそう簡単には撃てないレベルだった。
反動がいつ来てもおかしくない」
「……分かってる」
ルーディアスは荒い息を整えながら、前を見る。
崩れた石の向こう――
薄暗い中に、重々しい鉄扉がぼんやりと浮かび上がっていた。
分厚い鉄。
幾重にも刻まれた封印術式。
その中央には、古い紋章が輝いている。
禁域の民を閉じ込めるための扉。
「リーネは……あの向こうだ」
ルーディアスは、ふらつく足で一歩を踏み出した。
「まだ……行ける。ここまで来て、諦めるわけにはいかない」
「本当に大丈夫なの?」
エランが不安そうに袖を掴む。
「顔、真っ青だよ……!」
「ルーディアス」
イリアも、その瞳で彼を射抜く。
「これ以上の無茶は、本当に取り返しがつかなくなるわ。
あなたが倒れたら、リーネを助けられる人はいなくなる」
「……だから、倒れないようにする」
冗談のように聞こえる言葉を、彼は真剣な目で言った。
「僕は……前の世界で、死ぬまで逃げ続けた。
あのときの自分が大嫌いだった。
だから今の僕は、あのときの僕とは違うって、証明したいんだ」
その目に、迷いはなかった。
イリアは、短く息を吐く。
「……ほんと、面倒な性格ね。
でも、嫌いじゃないわ。そういう無茶」
微かに口元だけ笑い、肩をすくめる。
「分かったわ。行きましょう。
ここまで来て引き返すくらいなら、最初から付き合ってないもの」
「俺も、行くって言ったからな」
カナトが杖を握り直す。
「最後まで付き合う」
「あたしだって、ここまで来たんだもん!」
エランも、涙を拭って笑う。
「リーネちゃんのところまで、一緒に行く!」
四人は、崩れた石の山を慎重に乗り越え、扉の前へと進む。
扉の前に立った瞬間――
「……ルー……?」
聞き慣れた、震える声が、確かに届いた。
扉の向こうから。
石と鉄と封印術式の壁を隔てた先から。
「ルー、なの……?」
ルーディアスの喉が詰まる。
答えたいのに、声が出ない。
代わりに、胸が軋むように痛んだ。
「……ああ」
やっと搾り出した声は、かすれていた。
「僕だよ、リーネ」
扉に額を押し当てる。
「迎えに来た。
ちょっと遅れたけど……今度は、ちゃんと君のところまで行くから」
扉の向こうで、何かが動く気配がした。
鎖の擦れる音。
膝が床に当たる鈍い音。
「……ルー……」
嗚咽と一緒に、名前が呼ばれる。
その瞬間、ルーディアスの足は自然と動き出していた。
まだ体は震えている。
魔力の反動もいつ来るか分からない。
それでも――
「リーネ!」
ルーディアスは叫び、封印だらけの扉へ両手を伸ばした。
「今、行くから――!」
その声が、静まり返った地下通路に響き渡った。




