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転生したら村の落ちこぼれでしたが、本気で始めたら最強でした  作者: 妙原奇天


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第十三話「逃亡と覚醒」

 その夜の学院は、昼間とは別の顔をしていた。


 城壁の上には等間隔に魔術灯が灯り、青白い光が夜気を裂く。

 いつもなら静かな回廊も、今夜ばかりは教師たちの足音と、鎧の金具が擦れる音で落ち着きなく満たされていた。


 消失事件。

 学院都市アルグランの一部が、光柱に貫かれて“丸ごと消えた”あの出来事は、王都全体を震え上がらせるには十分すぎるものだった。


 外出禁止。

 消灯後の徹底した巡回。

 生徒たちは寮から一歩も出ることを許されていない。


 ――少なくとも、建前では。


 寮の一室。

 ルーディアスはベッドの端に腰を下ろし、握った拳を膝の上で固く結んでいた。


 窓の外には、揺れる魔術灯の光。

 厚いカーテンの隙間から漏れるそれは、牢の縫い目のように見えた。


「……リーネ」


 名前を呼ぶだけで、胸が痛む。


 講堂で引き離されたときの感触が、まだ腕に残っていた。

 伸ばした手の先で閉じられた扉。

 震える声で「離れて」と言った彼女の瞳。


 ザガルトは言った。禁域の民。封印の鍵。危険な存在。

 だから隔離すると。


 理屈は分かる。

 あの老人の言うことは、世界全体を見れば正しいのかもしれない。

 だが、ルーディアスの胸にあるのは、別の答えだった。


 ――彼女は、道具じゃない。


 力を持って生まれただけで、閉じ込められていいはずがない。


 前の世界で、逃げ続けて何も守れなかった自分。

 あのときの後悔が、今もずっと背骨の奥に刺さっている。


 だから決めたはずだ。


「今度は……逃げない」


 低く呟いたとき、不意に扉が小さくノックされた。


「ルーディアス」


 聞き慣れた落ち着いた声。

 続いて、少し高くて元気な声と、ぶっきらぼうな声が混ざる。


「入るぞ」


 ルーディアスが立ち上がり、扉を開けると、イリア、エラン、カナトの三人が立っていた。


 イリアはいつもの黒いローブ姿。

 銀髪をひとつにまとめ、その瞳はいつも以上に真剣だ。


 エランは耳をぺたりと伏せ、落ち着きなく尻尾を揺らしている。

 カナトは工具袋を腰に下げたまま、いつになく固い表情だった。


「……来てくれたんだ」


 ルーディアスが言うと、イリアは短く頷いた。


「来ざるを得ない状況よね」


 彼女は部屋の中に歩み入り、扉を閉めた。

 エランとカナトも続く。


「ルーディアス」


 イリアは真正面から彼を見る。


「あなた、リーネを助けに行くつもりでしょう」


 隠す意図は、もともと持っていなかった。


 ルーディアスは、小さく息を吸って頷いた。


「うん。あのままだと、リーネは“封印鍵”として扱われる。

 研究対象とか、道具とか……そんなふうに」


 喉の奥がひりつく。


「でも、リーネはリーネだ。僕の先生で、家族で……。あんなふうに連れて行かれていい理由なんて、ない」


 その言葉に、エランがぎゅっと拳を握った。


「あたし……怖いよ」


 獣耳が震えている。

 それでも、エランの瞳はまっすぐだった。


「怖いけど……でも、リーネちゃんがあんな泣き方するの、見たくない。

 ルーが助けに行くなら、あたしも行く!」


「俺もだ」


 カナトが低く続ける。


「鍛冶屋の家に生まれてさ、危ない武具を作るたびに親父に言われてたんだ。

 “道具は使い方次第だ。だが、人を道具扱いする奴は許すな”って」


 彼はルーディアスを見据えた。


「さっきの連れ去り方は、どう見ても道具扱いだ。正直、頭にきてる。

 だから……俺も行く」


 イリアは、二人の言葉を聞きながら、少しだけ目を伏せた。

 やがて、肩で小さくため息を吐く。


「……まったく。全員、立派な規則違反者ね」


 再び顔を上げたとき、その瞳は決まっていた。


「でも、だからこそ私も行くわ。禁域の民の血を持つ少女……研究対象として興味はあるけれど、それ以上に、同じクラスメイトとして見捨てる気にはなれない」


「イリア……」


「勘違いしないで。

 私が嫌いなのは愚かな権力であって、合理的な力の使い方よ。

 あの老人の決定が“合理的”過ぎるから、腹が立ってるだけ」


 イリアらしい言い回しに、ルーディアスの胸が少しだけ軽くなる。


「……ありがとう」


 素直に言葉が出た。


「でも、問題はここからね」


 イリアは、部屋の机に手を伸ばし、そこにあった紙とペンを取ると、手早く図を描き始めた。


 円と線がいくつも重なっていく。

 それは学院の簡略図だった。


「リーネは今、“地下転移区画”に隔離されているはず。

 あそこは緊急時に生徒を避難させるための転移陣や、危険な魔導具を保管するための隔離室が並んだ区域よ」


「行ったことがあるの?」


「実際にはない。でも、学院の設計図は一度だけ閲覧を許されている。

 ほら、優等生だから」


 軽く肩をすくめながらも、その筆は止まらない。


「問題はここ。隔離区画へのルートは三つ。

 一つは学院長の部屋から。

 一つは治癒棟からの緊急転移。

 そしてもう一つが、私たちが使う“転移通路の逆流”」


「逆流?」


 ルーディアスが首を傾げると、イリアは顎で図を示した。


「転移通路っていうのは一方通行が基本だけど、実際には“行き先と戻り先”がセットになってるの。

 でも学院側は、学生用の転移陣を“行きだけ”に制限している」


「制限……ってことは、外せるの?」


「魔術的にはね。ただし――」


 イリアはペン先で“×”を描いた。


「成功率は高くない。

 魔力の流れを逆転させるから、少しでも制御を誤れば空間の歪みに飲まれて、身体ごと吹き飛ぶ可能性がある」


 エランが震えた声を上げた。


「こ、こわいことサラッと言わないでよ……!」


「当然よ。だからこそ正面突破が選ばれないわけだし」


 イリアは淡々と答える。


「正面から行けば、三重結界に教師クラスの魔術師。

 ザガルトの補助魔術までかかっているとしたら、今の私たちではどうやっても破れない」


「つまり」


 ルーディアスは、ペンで記された“細い線”に目を向けた。


「逆流転移で、隔離区画の“手前”まで飛ぶしかないってことか」


「そういうこと」


 イリアはペンを置き、三人を見渡した。


「もう一度言うけれど、これは学院への反逆行為。

 見つかれば最悪、退学。

 それでもやるの?」


 問いかけは四人全員に向けられている。


 ルーディアスは迷わなかった。


「僕はやる」


 エランも頷く。


「あたしも。リーネちゃん、あたしたちの仲間だもん」


 カナトは短く一言。


「行く。後悔したくないからな」


 イリアは、一瞬だけ目を閉じた後、薄く笑う。


「……よろしい。じゃあ作戦会議を始めましょうか、“反逆者”のみなさん」


     ◇


 深夜。


 寮の廊下は、いつもなら静寂だけが支配する時間帯だった。


 だが、今夜は違う。


 曲がり角ごとに魔術灯が灯り、青い光が石壁と床を照らしている。

 その間を、教師たちが二人一組で巡回していた。


「時間は把握済みよ」


 イリアが囁く。


「巡回は二十刻ごと。いま、ちょうど反対側の棟にいるはず。

 動くなら今しかない」


 ルーディアスたちは、寮の裏口からそっと外に出た。


 夜の空気は冷たく、吐く息が白い。

 遠くで、城壁の上を歩く警備兵の影が小さく動いているのが見えた。


 四人は、建物の影を辿るように、学院本館へ向かう。


「……耳がぴくぴくする……」


 エランが顔をしかめた。


「先生の足音が……近い……!」


 獣人族の耳が捉えた気配に、イリアが素早く反応する。


「右の回廊に入って」


 四人は走らず、小さく身を屈めながら回廊の陰へ滑り込む。


 数秒後、反対側から教師二人が現れた。


「城壁側の結界、強度を上げた方がいいかもしれん」


「都市側からの通達は?」


「まだ何も。だが、今日の光柱の揺らぎからしても……」


 世間話程度の声色で、物騒な話をしている。


 ルーディアスは息を潜めながら、そっと掌を開いた。


 微かな風魔法。

 回廊の端にある魔術灯へ、ほんの少しだけ風を吹きかける。


 ゆらり、と光が揺れた。


「……む?」


 一人の教師がそちらを振り向く。


 ルーディアスは風の流れを変え、反対側の窓へと抜けさせた。

 冷たい風がカーテンを膨らませる。


「窓か。今夜は風が強いな」


「全くだ。嫌な予感しかしない」


 二人は足を止めることなく、そのまま通り過ぎていく。


 教師たちの姿が見えなくなってから、エランが小さく息を吐いた。


「……心臓止まるかと思った……」


「ルーディアス」


 イリアが囁く。


「今の判断、良かったわ。無駄に怪しまれることなく、自然な形で注意を逸らせた」


「前にさ」


 ルーディアスは苦笑を浮かべる。


「こういうとき、何もできなくて隠れてることしかできなかったから。

 今は……少しでも動ける方が、気が楽なんだ」


 イリアは、ちらりと彼を横目で見た。


「そう。なら、しっかり動きましょう。ここからが本番よ」


     ◇


 学院本館の奥、通常は生徒の立ち入りが禁止されている区域。


「ここから先が、転移通路よ」


 イリアが立ち止まった先には、半円形のホールがあった。


 床には巨大な魔法陣が刻まれている。

 淡い光の線が複雑に絡み合い、まるで流れる水路のように中央へと収束していた。


「きれい……」


 エランが思わず呟く。


 魔力の糸が、螺旋を描きながら空中へと立ち上る。

 天井には星空のような紋様が広がり、転移の行き先を示す符号が瞬いていた。


「本来は、上級生の実習や、緊急避難用に使われる通路よ」


 イリアが説明する。


「でも今は、転移陣のほとんどが封鎖されているはず。

 教師が持つ“鍵呪文”がないと起動しない」


「鍵呪文、ね」


 カナトが唸る。


「そんなの、俺たちが知ってるわけが――」


「だから、そこを迂回するの」


 イリアは、魔法陣の端にしゃがみ込み、指で床に新たな線を描き始めた。


「転移陣の基本は、“入口”と“出口”を繋ぐ回路。

 今の状態は、“入口から出口へ”一方通行。

 なら、回路の一部を書き換えれば、“出口側から入口へ”流れを引き寄せられる」


「それが、逆流転移……」


 ルーディアスは、魔法陣の線の流れをじっと見つめた。


 何重にも組まれた回路の中、イリアの通す一本の線が、全体の流れを少しずつ変えていく。


「転移の負荷を分散するために、四人で魔力を流すわ。

 ルーディアスは全体の制御。

 カナトは陣の固定。

 エランは感覚で“揺れ”を教えて。

 私は誘導を担当する」


「……分かった」


「了解」


「が、頑張る……!」


 四人は魔法陣の四つの端に立ち、それぞれ掌を床に当てた。


 静かに、魔力を流し込む。


 足元の陣が光を帯び、線が一つずつ浮かび上がる。

 やがて、中央に向かって流れていた魔力の流れが、逆方向へぐっとねじ曲がった。


「……くっ」


 カナトが眉をしかめる。


「床が……鳴ってるぞ……!」


「空間がきしんでるのよ」


 イリアも額に汗を滲ませながら、指先で術式を補強する。


「ルーディアス、魔力の圧を少し下げて。

 このままだと、転移先じゃなくて空間の狭間に飛ばされる」


「分かった!」


 ルーディアスは、胸の中で暴れようとする魔力を意識して押さえ込んだ。


 暴走しそうになる力。

 リーネを助けたいという焦りが、それを煽る。


 だが今ここで制御を失えば、彼女の元へたどり着く前に終わってしまう。


「……落ち着け」


 自分に言い聞かせるように呟き、呼吸を整えた。


 前世の自分は、怖くなったらすぐに逃げた。

 画面を閉じて、布団を被って、何も見ないふりをした。


 ――でも、今は違う。


 逃げたい気持ちを、そのまま押し込めるのではなく、別の形に変える。

 “誰かを守るために使う力”へと。


「……もうすぐよ!」


 イリアの声が響く。


「転移回路が反転しきる! 全員、意識を集中して!」


 足元の光が、ひときわ強く輝いた。


 次の瞬間、視界が白く弾ける。


 身体が浮き上がるような感覚。

 上下左右の感覚が消え、時間すら曖昧になる。


 それでも、ルーディアスは掌を床から離さなかった。

 離せばどこかへ飛ばされる――そんな直感があった。


「――っ!」


 光が収束する。


 足元に、石の感触が戻ってきた。


     ◇


 視界がはっきりすると同時に、鼻を突く湿った空気に気づいた。


 そこは、暗い石造りの通路だった。


 壁に沿って、魔術灯が一定間隔で並んでいる。

 だが、ところどころ光が消えており、陰影が深い。


「……成功、みたいね」


 イリアが、ゆっくりと息を吐いた。


「ここが、隔離区画の外周通路。

 本来なら教師だけが通れる場所よ」


「気持ち悪い空気だな」


 カナトが周囲を見回す。


 石壁には、封印術式の紋様が刻まれていた。

 禍々しいというより、ただひたすら重い。


「リーネは、この奥……?」


 ルーディアスの問いに、イリアは頷く。


「禁域の民という話が本当なら、一番奥の“封鎖室”に閉じ込められているはず。

 行きましょう。時間はあまりない」


 一行は、通路を奥へと進む。


 足音が石に反響し、妙に大きく聞こえた。

 それが不安を煽る。


「……なんか、嫌な匂いがする」


 エランが鼻をひくつかせた。


「金属と……獣と……血の匂い」


「血?」


 カナトが顔をしかめた瞬間――


 低く唸る声が、暗闇の奥から響いてきた。


「今の……」


「構えて!」


 イリアが叫ぶと同時に、闇の中から巨大な影が飛び出してきた。


 鋭い牙。

 光を反射する赤い眼。

 瘴気をまとった黒い体毛。


「守護獣……!」


 イリアが目を見開く。


「封鎖区画の扉を守るための魔獣よ! 本来なら檻の中にいるはずなのに……!」


 光柱の余波で、封印が破れたのだろうか。

 一体どころではない。

 その後ろから、さらに二体、三体と影が続く。


「まずい……!」


 カナトが杖を構える。


 エランは、震える足でなんとか一歩前へ出た。


「あ、あたしもやる……! こんなとこで、ビビってられない!」


「ルーディアス」


 イリアが短く呼ぶ。


「あなたが前。私が補助。

 エランは嗅覚で動きを察知して、カナトは防御を」


「了解!」


「お、おう!」


 獣たちが低く喉を鳴らし、四つ足で床を蹴った。


 一体が、まっすぐルーディアス目掛けて飛びかかる。


「――風よ!」


 ルーディアスは咄嗟に風魔法を展開し、獣の軌道を横へ滑らせた。

 巨体が壁にぶつかり、石片が飛び散る。


「くっ……!」


 すぐさま二体目が横から突進してくる。

 その足元に、土の隆起を走らせて体勢を崩す。


「エラン!」


「分かってる!」


 エランが素早く飛び出し、獣の鼻先に火の玉を投げつけた。


 爆ぜる炎。

 獣の悲鳴。


 だが、後ろから三体目が迫る。


「カナト!」


「任せろ!」


 カナトが杖で床を叩いた。


 ルーディアスの杖を調整したときと同じ、確かな手つき。

 土属性の魔法陣が瞬時に展開し、獣の前に石の壁が隆起する。


 しかし――


「っ、おい、思ったより重いぞ……!」


 壁に突進した獣の力が予想以上に強く、土の壁がひび割れた。


 ルーディアスは歯を食いしばる。


「やっぱり、ただの守護獣じゃない……!」


 光柱の影響で、こいつらも魔力が高まっているのだろう。

 一体一体が、中級魔物並みの圧力を持っていた。


「ルー!」


 エランの警告が飛ぶ。


「右、もう一匹来る!」


 ルーディアスは身体を捻り、風の刃を展開する。


 だが、その瞬間――胸の中の魔力が、妙なうねり方をした。


「……っ!」


 視界の端が、ぐにゃりと歪む。


 体の中心から、熱い何かが溢れ出そうとしていた。


「ルーディアス?」


 イリアが鋭く声をかける。


「魔力が荒れてる! さっきの逆流転移の負荷が残ってるのよ!」


「大丈夫……まだ、抑えられる!」


 そう言いながらも、ルーディアスは自分の魔力が今まで以上に“言うことを聞かない”感覚に気づいていた。


 胸の奥で、何かがじくじくと疼いている。

 怒りか、恐怖か、それとも――。


 リーネが連れ去られる間際の表情が、脳裏に浮かんだ。


 伸ばした手。

 涙に濡れた青い瞳。

 「離れて」と震える声。


「……離れるわけ、ないだろ」


 自分の喉から零れた声が、思ったよりも低く響いた。


 獣の一体が再び飛びかかる。

 ルーディアスはそれを正面から受け、風と土で軌道をそらし、雷で痺れさせる。


「があああっ!」


 獣が壁に叩きつけられ、石が崩れ落ちた。


「ルー! 落ち着いて!」


 エランが叫ぶ。


「魔力、さっきより……ずっと怖い匂いがする!」


 イリアも額に汗を浮かべながら叫ぶ。


「このままじゃ、本当に暴走するわよ! リーネを助ける前にあなたが壊れる!」


「今さら……」


 ルーディアスは、獣の群れの向こうを睨んだ。


 通路の奥。

 重々しい扉がうっすらと見える。


 きっと、あの先にリーネがいる。


「今さら、引き返せない」


 獣の爪が迫る。

 それを紙一重で避け、風の刃を叩き込む。


 だが、その刃は予想以上に大きく、強かった。


「おい!」


 カナトが驚きの声を上げる。


「通路まで削ってるぞ! このままだと崩落する!」


「分かってる……けど……!」


 魔力が止まらない。


 胸の奥の熱はさらに増し、血の一滴一滴が沸騰しているような感覚すらあった。


 視界の端が白く光る。


 耳鳴り。

 鼓動の音。

 自分の呼吸が遠く聞こえる。


 その中で――かすかな声が、確かに響いた。


『ルー……』


「……リーネ?」


 誰も呼んでいないのに、名前が浮かぶ。


『助けて……』


 耳ではない場所で、彼女の声が聞こえた。


 隔離室の中で震えている姿が想像できる。

 冷たい石の床。

 重い扉。

 独りきりの暗闇。


 あの部屋で、彼女はまた思っているかもしれない。


 ――自分は鍵でしかない、と。

 ――世界のためには、犠牲になるべきだ、と。

 ――誰かと一緒にいる資格なんてない、と。


 そんなのは、間違っている。


「……離さない」


 ルーディアスは、ぎゅっと杖を握りしめた。


「もう、誰も見捨てないって決めたんだ。

 たとえ世界中が“鍵”だって言っても、僕にとってはリーネはリーネだ」


 胸の奥の熱が、一気に弾ける。


「うわっ……!」


 カナトが思わず後ずさる。


「おい、これ……!」


 ルーディアスの身体から、四つの色の光が溢れ出した。


 青。

 黄。

 茶。

 透明な水色。


 風、雷、土、水。

 四つの属性が同時に渦を巻き、彼の周囲に複雑な螺旋を描く。


 イリアが息を呑んだ。


「四属性同時展開……? そんなの、理論上は可能でも――」


「普通の人間がやっていい領域じゃない……!」


 エランは耳を伏せ、押し寄せる圧力に身を縮めた。


 守護獣たちでさえ、その圧力に怯えたように足を止める。

 低く唸り声を上げながら、じり、と後ずさった。


「……リーネ……!」


 ルーディアスの声が、静かに、しかし確かに通路に響く。


「僕は……君を助けに来たんだ。

 だから――」


 彼は、前方の獣の群れへと右手を向けた。


「邪魔するなら、退いてもらう」


 風が唸りを上げる。

 土が隆起し、雷が踊り、水が空中で刃と化す。


 四つの属性が、ひとつの“流れ”として繋がった。


「……行けぇッ!」


 叫ぶと同時に、四重属性の奔流が前方へ解き放たれた。


 爆発音が、地下通路を揺らす。


 風が獣の体を切り裂き、

 土がその足を絡め取り、

 雷が神経を焼き、

 水が刃となって瘴気を払い落とす。


 守護獣たちが、悲鳴を上げて吹き飛んだ。


 その衝撃は、通路の壁にまで及ぶ。


 石壁がひび割れ、天井から砂や小石が降ってきた。


「ルーディアス!」


 イリアが叫ぶ。


「やり過ぎ! 通路が崩れる!」


「か、壁が……!」


 カナトが頭上を見上げた瞬間、大きな石が落ちてきた。


 エランが反射的に飛び出し、ルーディアスの腕を引く。


「危ない!」


 四人は、崩れ落ちる石の雨から身をかわした。


 轟音。

 土煙。


 やがて、音が止む。


 咳き込みながらも、ルーディアスは前方を見据えた。


 煙が晴れていく。


 そこには――さっきまで獣がいたはずの場所に、崩れた石の山と、ぐったりと横たわる守護獣たちの姿があった。


 全身が傷だらけで、瘴気は消えている。

 まだ息はあるが、戦闘不能なのは明らかだった。


「……や、やったの……?」


 エランが呆然と呟く。


 イリアは、ルーディアスの方を振り向いた。


「あなた……本当に人間?」


「ひでえ言い方だな」


 カナトが半ば本気でぼやく。


「魔王か何かだろ、これ……」


「違うよ」


 ルーディアスは、苦笑ともつかない笑みを浮かべた。


「僕は……ただの、村育ちの転生者だよ」


 そう軽く言ってみせたものの、手足の感覚は既に限界を訴えていた。


 筋肉が震え、膝が笑う。

 視界の端はまだ光の残像でちらついている。


「ルーディアス」


 イリアが真剣な声で言う。


「これ以上、魔力を使えば本当に危険よ。

 さっきの一撃、学院長クラスでもそう簡単には撃てないレベルだった。

 反動がいつ来てもおかしくない」


「……分かってる」


 ルーディアスは荒い息を整えながら、前を見る。


 崩れた石の向こう――

 薄暗い中に、重々しい鉄扉がぼんやりと浮かび上がっていた。


 分厚い鉄。

 幾重にも刻まれた封印術式。

 その中央には、古い紋章が輝いている。


 禁域の民を閉じ込めるための扉。


「リーネは……あの向こうだ」


 ルーディアスは、ふらつく足で一歩を踏み出した。


「まだ……行ける。ここまで来て、諦めるわけにはいかない」


「本当に大丈夫なの?」


 エランが不安そうに袖を掴む。


「顔、真っ青だよ……!」


「ルーディアス」


 イリアも、その瞳で彼を射抜く。


「これ以上の無茶は、本当に取り返しがつかなくなるわ。

 あなたが倒れたら、リーネを助けられる人はいなくなる」


「……だから、倒れないようにする」


 冗談のように聞こえる言葉を、彼は真剣な目で言った。


「僕は……前の世界で、死ぬまで逃げ続けた。

 あのときの自分が大嫌いだった。

 だから今の僕は、あのときの僕とは違うって、証明したいんだ」


 その目に、迷いはなかった。


 イリアは、短く息を吐く。


「……ほんと、面倒な性格ね。

 でも、嫌いじゃないわ。そういう無茶」


 微かに口元だけ笑い、肩をすくめる。


「分かったわ。行きましょう。

 ここまで来て引き返すくらいなら、最初から付き合ってないもの」


「俺も、行くって言ったからな」


 カナトが杖を握り直す。


「最後まで付き合う」


「あたしだって、ここまで来たんだもん!」


 エランも、涙を拭って笑う。


「リーネちゃんのところまで、一緒に行く!」


 四人は、崩れた石の山を慎重に乗り越え、扉の前へと進む。


 扉の前に立った瞬間――


「……ルー……?」


 聞き慣れた、震える声が、確かに届いた。


 扉の向こうから。

 石と鉄と封印術式の壁を隔てた先から。


「ルー、なの……?」


 ルーディアスの喉が詰まる。


 答えたいのに、声が出ない。

 代わりに、胸が軋むように痛んだ。


「……ああ」


 やっと搾り出した声は、かすれていた。


「僕だよ、リーネ」


 扉に額を押し当てる。


「迎えに来た。

 ちょっと遅れたけど……今度は、ちゃんと君のところまで行くから」


 扉の向こうで、何かが動く気配がした。


 鎖の擦れる音。

 膝が床に当たる鈍い音。


「……ルー……」


 嗚咽と一緒に、名前が呼ばれる。


 その瞬間、ルーディアスの足は自然と動き出していた。


 まだ体は震えている。

 魔力の反動もいつ来るか分からない。


 それでも――


「リーネ!」


 ルーディアスは叫び、封印だらけの扉へ両手を伸ばした。


「今、行くから――!」


 その声が、静まり返った地下通路に響き渡った。

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