第十話「三人の仲間」
翌朝の教室は、昨日までとは、少しだけ空気が違っていた。
ルーディアスが教室に入ると、すぐにいくつもの視線が集まる。
それは露骨な敵意ではない。けれど、純粋な好奇心だけでもない。
「昨日のデュエル、見たか?」
「見た見た。ヴァイス様の炎を、風でひょいって……」
「いや、ひょいどころじゃなかったぞ。あれ、本気でやられたら俺ら一瞬でやられる」
ひそひそ声が、教室のあちこちで飛び交う。
貴族生たちは、距離を取った場所から値踏みするような目でルーディアスを眺めていた。
平民の子たちは、畏れと尊敬を混ぜたような、どう近づけばいいか分からない顔をしている。
誰も「一緒に行こう」とは言わない。
でも、誰ももう「ただの辺境の子」とは見ていなかった。
唯一、変わらないものがひとつだけあった。
「ルー……きょうも、一緒に行こう……?」
横から、そっと袖を引く感触。
振り向けば、いつものように、青い髪の少女が立っている。
リーネは相変わらず人混みが苦手で、教室の入口から自分の席まで、ルーディアスを壁代わりにして歩きたいらしい。
「うん。行こう」
ルーディアスは微笑み、わざといつも通りの声で答えた。
――昨日のデュエルで、何かが変わった。
でも、全部が変わるわけじゃない。
袖を掴むリーネの手は、村にいた頃からと同じだ。
その小さな安心感が、ルーディアスの胸の中でふっと灯る。
◇
「よし、それじゃあ今日の実技は火属性の基礎応用だ」
炎の実技授業。
学院の訓練場には、炎を抑えるための魔法陣がいくつも刻まれていた。
講師は中年の男性で、腕組みをしながら生徒たちを一望する。
「課題は、腰の高さまでの炎壁を、半円状に展開すること。暴発したやつは後で私の説教だからな。順番にやってみろ」
生徒たちが列を作り、ひとりずつ前に出て魔法を放っていく。
「火よ、燃え上がれ!」
勢いよく炎を出し過ぎて、腰どころか頭上まで炎が吹き上がる貴族生。
「だ、だから言っただろう! 出し過ぎるなと!」
講師が慌てて防護結界を強める。
貴族生は顔を真っ赤にして、取り巻きと一緒に戻っていった。
「次」
淡々とした声が響く。
やがて、ルーディアスの番が回ってきた。
「ルー、無茶はしないでね」
「うん。任せて」
ルーディアスは少し前に出て、深呼吸をする。
――火は、暴れさせたら負け。
――大事なのは、どれだけ「出さないか」だ。
風魔法で空気の流れを読むことに慣れているルーディアスは、炎の扱いも比較的得意だった。
魔力の量をほんの少しだけ絞り、炎が広がるべき場所を先にイメージする。
「燃えろ、だけど……落ち着いて」
短い詠唱とともに、足元に小さな火の魔法陣が浮かんだ。
ぼっ、と静かな音を立てて、橙色の炎が生まれる。
炎はルーディアスの前方で半円を描くように伸び、規定通り、腰の高さでぴたりと止まった。
まるでガラス細工のように、均一な炎の壁。
「……お見事だ」
講師が感嘆の息を漏らした。
「高さ、距離、燃焼温度。どれも教本通りだ。いや、教本以上だな。余計な魔力を使っていない。完璧だ、ミナリオ君」
ざわっ、と周囲が騒がしくなる。
「まただよ……」
「昨日デュエルで勝っただけじゃなくて、火もこれか」
「最年少って、やっぱり化け物じゃない?」
褒め言葉とも悪口ともつかない声が、あちこちから飛ぶ。
ルーディアスは、なんとなく居心地が悪くなって、早めに列の外へ下がった。
その瞬間だった。
「わ、わああっ!!」
隣の列から、悲鳴のような声。
次の瞬間、視界の端で炎の球体がパンッと弾けた。
丸い火の塊が暴れ回り、制御を失って跳ねるように飛ぶ。
軌道の先には、生徒の一団――。
「危ない!」
身体が先に動いた。
ルーディアスは風の魔力を一気に練り上げ、右手を突き出す。
「《エア・シフト》!」
爆ぜるように空気が動き、炎の球体の進路がぐいっと横に逸れた。
炎は訓練場の中央で霧散し、魔法陣に吸い込まれて消える。
「ひ、ひえええ……!」
その場に尻もちをついていた生徒たちが、胸を撫で下ろした。
「誰だ、今暴発させたのは!」
講師の怒鳴り声が飛ぶ。
視線の先には――黒い耳がぴょこんと揺れていた。
「ご、ごめんなさい! ほんとごめんなさい!!」
ぺこぺこと頭を下げているのは、黒い獣耳と、ふわふわした尻尾を持った少女だった。
髪は短めで、瞳は琥珀色。
どこか小動物を思わせる、元気で落ち着きのない印象を受ける。
「エラン。お前なぁ……」
講師は額を押さえた。
「お前は毎回、魔力の出力が跳ね上がるんだ。何度言えば分かる」
「だ、だって、力を抑えてるつもりなんですけど……つもりだけなんですよね……!」
エランと呼ばれた獣人の少女は、涙目になりながら耳をぺたんと伏せる。
「すぐドカンってなっちゃって……」
「なら、なおさら感覚を覚えろ。……まったく」
講師はため息をつき、周囲を見回した。
「被害は出てないな。ミナリオ君が風で逸らしたおかげだ。感謝しておけ、エラン」
「え……」
エランがきょとんとした顔でルーディアスを見た。
ルーディアスは少し照れながらも、肩をすくめる。
「気にしてないよ。誰だって、魔法をミスることくらいあるし」
「で、でも……あたし、迷惑ばっかりかけてて……」
エランは耳をぱたぱたさせながら、あたふたと両手を振る。
「それに、あんた、昨日のデュエルでヴァイス様に勝った子でしょ!? そ、そんな人に、迷惑なんて……」
「まぁ、勝ったのは事実だけど……」
「すごかったんだからっ!」
エランは突然、ぐいっとルーディアスの前に身を乗り出した。
「炎がこう、ドーンって行ったのを、シュッて風で逸らして! あれ、めちゃくちゃかっこよかったんだからね!?」
「ちょ、近い近い」
勢いに押されて、ルーディアスは少しのけぞる。
その瞬間、後ろからひそかな溜め息が聞こえた。
「……ルー。この子、うるさい」
袖が、くい、と引かれる。
振り向けば、リーネがじっとエランを見つめていた。
表情はいつも通りに見えるが、どこかむくれているようにも感じる。
「ご、ごめんなさいっ!?」
エランはびくっとして、ぺこぺこと頭を下げる。
「うるさかった、ごめん! 静かにする! たぶん! 努力はする!」
「……努力するって言う人は、だいたい静かにならない」
「ぐはぁっ!? ぐさっと来た!」
エランは胸を押さえて、わざとらしくその場に崩れ落ちた。
講師が頭を抱えている。
「エラン、騒ぐな。お前は座学では優秀なんだから、実技も何とかしろ」
「は、はいぃ!」
バタバタと立ち上がりながら、エランは改めてルーディアスに向き直った。
「えっと、あたし、エラン! エラン・グレイス! 獣人族だけど、怖くないよ! よろしくね!」
「僕はルーディアス・ミナリオ。よろしく、エラン」
「リーネ・アルステリアです。……よろしく」
リーネが小さな声で名乗ると、エランの耳がぴょこんと跳ねた。
「アルステリア……? あっ、ごめん、なんでもない!」
何かを言いかけてごまかすように笑い、エランは耳を伏せた。
その笑顔は、騒がしくて、でも不思議と嫌いになれない明るさだった。
◇
昼休み。
学院の中庭は、木陰と噴水のおかげで、涼しい風が通り抜けている。
ルーディアスとリーネは、人気の少ない木の下に腰をおろし、持参した弁当を広げていた。
「ルーのところのスープ……やっぱりおいしい」
「母さんが持たせてくれたからね。冷めても飲みやすいように、とろみ付けてあるんだって」
「ミナリスさん、すごい」
リーネは小さな口で少しずつスープを飲みながら、ぽつりぽつりと感想を漏らす。
辺境村の味が、王都の学院でも妙に安心させてくれた。
そのとき、影がひとつ、二人の前に落ちる。
「それ、少し見せてくれないか」
「……え?」
見上げると、そこには短く整えた黒髪の少年が立っていた。
年齢はルーディアスより二つほど上に見える。
背は高くはないが,がっしりとした体格をしており、腰には小さな工具袋を下げている。
制服は少し煤けていて、ところどころに金属粉のようなものが付いていた。
「その杖」
少年は無言でルーディアスの手元を指差した。
「先端の魔力孔、少し歪んでる」
「えっ」
ルーディアスは思わず、自分の木製杖を見下ろした。
特におかしなところは見えないが――少年はじっと見つめている。
「……触っていいか?」
「あ、うん。どうぞ」
少年は丁寧な手つきで杖を受け取り、工具袋から細い金属棒と、小さな金槌を取り出した。
カン、カン、と心地よい音が響く。
魔力孔の縁をほんの少し削り、角をなめらかに整える。
先端の金属部分を微妙にひねって、魔力の流れをまっすぐ通るよう調整していく。
その動きは、迷いがなく、まるで魔術の詠唱のように滑らかだった。
「……よし」
少年は杖を返し、短く言った。
「これで、魔力の抜けが減った。発動が、少しだけ安定するはずだ」
「すごい……」
ルーディアスは杖を握り直し、魔力を軽く流してみた。
確かに、さっきまでよりも先端に集まる感覚がはっきりしている。
わずかな違いだが、魔法を撃ち続ければ、この差は大きくなるだろう。
「どうやって分かったの?」
「見れば分かる」
少年はそう言って、少しだけうつむいた。
「……いや、鍛冶屋の息子だから。金属の歪みには、うるさい」
「鍛冶屋……」
「俺、カナト。カナト・ブレース。鍛冶師志望。魔導具とか、武器とか、そういうのを作りたい」
言葉はぶっきらぼうだが、目だけは真剣だった。
「僕はルーディアス。ルーディアス・ミナリオ。ありがとう、カナト。僕の杖、ここまでちゃんと見てくれた人、いなかったから」
「べつに……気になっただけだし」
カナトはそっぽを向く。
だが、その耳がほんのり赤くなっているのを、ルーディアスは見逃さなかった。
「ありがとう……カナトさん」
隣で様子を見ていたリーネも、そっと頭を下げる。
「ルーの杖、大事だから」
「……ああ」
短く答えたカナトは、ぼりぼりと頬を掻いた。
「お前ら、辺境の村から来たんだろ。道具の手入れ、できるやつが側にいた方がいい。王都は、物価も修理代も高いからな」
「それ、すごく実感してる」
ルーディアスが苦笑すると、カナトはわずかに口元を緩めた。
「……昼、ここで食うのか?」
「うん。人が少ないし」
「そうか。俺も、ここでいいか?」
「もちろん」
ルーディアスが頷くと、カナトは少しぎこちなく木にもたれかかった。
ぶっきらぼうで、口数が少ない。
だけど、不思議と居心地が悪くない。
エランとは真逆のタイプだが、どちらもどこか、ルーディアスには「近い」と感じられた。
◇
放課後。
ルーディアスは一人、学院の書庫へ向かっていた。
重い扉を開けると、紙とインクの匂いがふわりと鼻をくすぐる。
高い本棚が何列も並び、その間を光の糸が縫うように差し込んでいる。
静かで、落ち着いていて、魔法の勉強には最適な場所。
ここなら、誰かの視線に怯える必要もない。
魔力の性質について、もっと深く知りたい。
「来る頃だと思った」
ふいに、そんな声がした。
「うわっ」
思わず変な声が出る。
本棚の影から現れたのは、銀色の髪を一つに束ねた少女。
琥珀色の瞳をした、落ち着いた雰囲気の同級生――イリア・フェルストだった。
「イリアさん」
「あなたの魔力の流れ方なら、座学だけじゃ足りない。必ず文献を探しに来ると思った」
イリアは当然のようにそう言い、手に持っていた数冊の本を差し出した。
「これを読むといいわ」
表紙には、「変質型魔力の理論」「風属性魔法の応用」「複合属性の基礎」といった文字が並んでいる。
「あなたの魔力は、ただの風属性じゃない。外側の属性を、自分の中の“核”で変質させるタイプ。制御を誤れば暴走しやすいけれど、使いこなせば誰よりも柔軟に戦える」
「……そんなところまで分かるの?」
「魔力の匂いで分かるわ」
イリアは少しだけ口元を緩める。
「学院の中で、あなたみたいな魔力を持つ生徒は他にいない。興味を持つのは、当然でしょう?」
「そ、そうなんだ」
ルーディアスは本を受け取りながら、素直に頭を下げた。
「ありがとう。ほんとに、助かるよ」
「事実を言っているだけ」
イリアはさらりと言って、棚から別の本を引き抜いた。
「あなたが強くなればなるほど、ヴァイスや他の連中は黙っていないわ。……だから、今のうちに土台を固めておきなさい」
「はい」
そのとき。
「ルー……」
背中から、いつもの小さな声がした。
振り向くと、そこにはリーネがいた。
心なしか、頬がふくらんでいる気がする。
「リーネ?」
「……イリアさん、ルーに近い」
「事実を言っているだけよ」
イリアが全く同じトーンで返す。
「勉強の話しかしてないわ。嫉妬するようなことでも?」
「べ、べつに嫉妬なんて……」
リーネは顔を赤くして、ルーディアスの背中に半分隠れた。
「ただ、ルーは、すぐ無茶するから。距離、詰め過ぎると、危ない」
「それは同意するけれど」
イリアは、昨日のデュエルを思い出したのか、少しだけ表情を曇らせた。
「……でも、自分で選んで戦った。それは評価している」
どこか噛み合っているようで噛み合っていない二人の会話に、ルーディアスは苦笑した。
「じゃあ、みんなで勉強しようよ。リーネは教えるの得意だし、イリアさんは本を選ぶのが上手いし」
「……それもそうね」
イリアはあっさりと頷いた。
「アルステリア。あなたの魔力制御のノウハウも、私の知らない部分がある。教えてもらえるなら、悪くない話だわ」
「う、うん……分かった」
リーネは少し驚いたように瞬きし、それから小さく笑った。
書庫の片隅の机に、三人分の本が積まれていく。
昨日までは想像もしなかった光景。
◇
夕暮れ。
学院から寮へと続く道の途中で、ルーディアスたちは思わぬ再会を果たした。
「あ、いた! ルー!」
元気な声とともに、黒い耳が飛び出してくる。
「エラン?」
「今日の実技、いっしょに練習してくれてありがとう! あの後、一回も爆発しなかったんだからね!」
「それはすごいね」
ルーディアスが笑うと、エランは胸を張った。
「でしょ! だから、明日の実技も一緒にやろうよ! ルーの風で、あたしの火、ちゃんと方向変えてくれたら、たぶん死人は出ない!」
「死人は元から出さないで」
リーネの冷静なツッコミが飛ぶ。
そこへ、少し離れた場所からカナトの声がした。
「おい、ミナリオ」
「カナト?」
振り向くと、工具袋を下げたカナトが、少し息を切らせながら歩いてきた。
「さっき調整した杖……使い勝手はどうだ」
「すごくいいよ。魔法撃つとき、指先までスッと通ってく感じ」
「そうか」
カナトは短く言って、わずかに口元を緩めた。
「明日の鍛錬、また見てやる。魔導具の実験も兼ねる」
「頼りになるね、カナト」
「……まあな」
そのとき、後ろから静かな足音。
「随分と賑やかね」
銀の髪が夕日を受けて光る。
イリアが腕に数冊の本を抱えたまま、ゆっくりと近づいてきた。
「ミナリオ君。さっき貸した本、もう半分は読んだ?」
「まだ一割くらいです」
「遅い」
「えっ」
「まあいいわ。一緒に歩きながら、どこが分からなかったか聞く」
イリアが当然のように輪に加わる。
気づけば、ルーディアスの周りにエラン、カナト、イリア、そしてリーネが集まっていた。
「ルー、明日の実技、ほんとに一緒だからね!」とエラン。
「杖の握り方、少し変えろ。炎のコントロールが楽になる」とカナト。
「明日の座学の予習もしておきなさい。あなたならトップを狙える」とイリア。
好き勝手に口を挟む三人を見て、ルーディアスは思わず笑ってしまった。
ふと、胸の中に浮かんだ疑問を、そのまま口にする。
「……あのさ」
「なに?」とエラン。
「どうした」とカナト。
「何かしら」とイリア。
ルーディアスは少しだけ照れながら言った。
「みんなって……僕の、友達?」
その言葉に、三人とも動きを止める。
ほんの一瞬の沈黙。
次の瞬間――
「もちろんだよっ!」
エランが真っ先に手を挙げた。
「昨日のデュエル、マジですごかったし! 今日助けてもらったし! 一緒に実技やってくれるし! 友達じゃなかったら何なの!?」
「……まあ、悪くはない」
イリアは少しだけ視線を逸らしながら呟く。
「有能な同級生は、近くにいた方が効率的だし。それに、あなたの魔力は観察しがいがある」
「え、それ褒めてる?」
「褒めてる」
そして、カナト。
「別に、いいけど」
いつものぶっきらぼうな調子で言いながらも、その耳ははっきりと赤くなっていた。
「道具の面倒見てやるの、友達くらいだしな」
「そっか……」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
前の世界で、一度も手に入らなかったもの。
逃げて、諦めて、ひとりで閉じこもっていた過去の自分が、決して触れられなかった言葉。
友達。
その単語が、今、目の前で、こんなにも自然に使われるなんて。
「……友達。ルーの、初めての……」
隣で、リーネが小さく呟いた。
その瞳は、ほんのりと潤んでいる。
安心と、少しの寂しさと、嬉しさが全部混ざったような、複雑な色。
「リーネも、だよ」
ルーディアスは笑って言った。
「リーネがいたから、ここまで来られた。リーネも、僕の友達」
「……うん」
リーネは目を伏せて、ほんの少しだけ笑った。
「わたしも。ずっと、ルーの……友達でいる」
夕暮れの風が吹き抜ける。
学院の石畳を照らす光が、長く細い影を伸ばした。
辺境の村からやってきた元引きこもりの青年は――
今、初めて「仲間」と呼べる存在を手に入れた。
エラン。
カナト。
イリア。
そして、リーネ。
この四人と一人の関係が、やがて学院全体を巻き込む大事件へと繋がっていくことを、
このときまだ誰も知らない。
それでも今はただ、新しく生まれた「三人の仲間」との時間が、何よりもまぶしく感じられていた。




