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転生したら村の落ちこぼれでしたが、本気で始めたら最強でした  作者: 妙原奇天


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第1話「転生、そして泣いた」

 アパートの薄い壁越しに聞こえるのは、隣室のテレビの笑い声と、雨が屋根を叩く音だけだった。

 沢木昴は、布団の上に座り込み、ぼんやりとスマホの画面を眺めていた。二十歳の誕生日から気づけば十年以上が過ぎ、三十路に到達してしまった。時間の流れは残酷だ。自分だけ取り残されたまま、周囲だけが動いていく。そんな錯覚に縛られていた。


 部屋の前でノックが鳴ったのは、昼過ぎだった。

 静かなノック。だが、その音だけで昴の心臓は強く跳ねた。

 出たら終わる。けれど、出なくても終わる。

 そんな袋小路に追い込まれた気分だった。


「沢木さん。すまない。少し話があるんだ」


 低く、申し訳なさそうな声。大家の中年男性だ。

 昴は深く息を吸った。逃げ場はない。


 扉を開くと、大家は困ったような笑みを浮かべて頭をかいた。


「二ヶ月滞納は、どうしても……俺も上から言われる立場でさ。ほんと悪いんだけど、今日で……」


 言わなくても分かっていた。ついに来たか、という感覚だけだった。


「はい。すみません」


 声が掠れて、やっとの思いで応じた。

 その一言に、十年分の心の重さが宿っていた。


 部屋に戻ると、急に息が苦しくなった。条件反射のようにスマホを取り出し、写真フォルダを開く。

 まだ両親が生きていた頃の写真がそこには残っている。父が笑いながら鍋をつついている写真。母が台所で料理を作っている写真。家族というものが確かに存在した頃の記憶が画面に映っていた。


「ごめん。ほんと、ごめん」


 写真に向かって呟く声は震えていた。

 あの日、親に何もできなかった。

 引きこもりを続けた自分を変えようと手を伸ばしてくれた家族に、結局、何も返せなかった。


 荷物をまとめ、部屋を出る。廊下の電灯は薄暗く、建物全体によどんだ空気が漂っている。

 鍵を返すとき、昴は最後に部屋の中を振り返った。


 狭いワンルーム。散らかった机。使われなかった参考書。

 思い出はない。けれど、苦しさだけは溜まっていた。

 扉が閉まる音がした瞬間、何かが胸の中で音を立てて崩れた。


 昴は夜の街へ歩き出した。

 雨は強くなり、街灯の光を滲ませていた。

 リュックには最低限の荷物しか入っていない。それでも肩が重かった。重荷は荷物ではなく、自分が背負ってきた十年分の無為そのものだった。


 どこを歩いているのかも分からないまま、昴はふと立ち止まり、スマホを再び開いた。

 両親の写真は、雨に濡れた画面の上でも変わらず温かかった。


「やり直せるなら……こんな生き方、しなかったのに」


 夜風が吹き、昴の髪を揺らした。

 目の前の信号が赤から青に変わる。渡ろうかどうか迷ったそのときだった。


 眩しい光が横から射し込んだ。


 昴は条件反射で振り向いたが、身体が遅れた。

 トラックのヘッドライトが、雨を跳ね散らしながら迫ってくる。

 急ブレーキのけたたましい音。

 視界の端で誰かの悲鳴。

 それでも昴の身体は一歩も動けなかった。


 衝撃が全身を引き裂くように襲い、地面に叩きつけられた。

 雨が混じった血が路上へ広がる。

 その温度だけが、やけに鮮明だった。


 昴は痛みよりも、悔しさに喉を震わせながら呟いた。


「もし……もう一度やり直せるなら……今度こそ、本気で……生きるのに……」


 闇が迫り、意識がスッと薄れていく。

 何かが遠ざかる。

 世界が静かに、まるでテレビの電源を切るように暗転した。


 次に感じたのは、温かい光だった。


 眩くはない。暖炉の火のように優しい光が、意識の深い場所を照らしている。

 耳元で、柔らかな女性の声がした。


「大丈夫よ……泣かないで……ルーディアス」


 昴は混乱しながらも、ゆっくりと目を開けた。

 視界はぼやけ、光がにじんでいる。だが、すぐそばに銀色の長い髪がふわりと揺れた。

 その女性は、慈しむような瞳で昴を抱いていた。


「かわいい子。あなたは私たちの宝なのよ」


 抱かれている。

 しかも、自分の身体は小さく、柔らかく、動かない。


 手を動かしてみても、短い指がふにゃりと空を切るだけだ。

 昴はようやく悟った。


 赤ん坊に……転生している。


 心臓が強く脈打ち、呼吸が詰まる。

 前世の記憶が鮮明すぎて、今の状況が夢には思えなかった。


 そのとき、部屋の扉が開き、大柄な男が豪快に入ってきた。

 赤銅色の髪。鋼のような腕。

 男は赤ん坊の昴を見ると、破顔して声を上げた。


「おお、元気に泣いとるな。いいぞ、ルーディアス!」


 その手は大きく、温かく、力強かった。

 昴はその温度に触れた瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。


 前世で、自分は誰かにこうして抱きしめられたことなど、いつ以来なかっただろう。

 いつからか、他人の温度を避けるようになっていた。

 気づけば孤独だけが日常だった。


 だからこそ、ミナリスの腕に戻された瞬間、昴の目からは勝手に涙が溢れた。

 彼女は驚くでもなく、優しく微笑んで囁く。


「泣いてもいいのよ。あなたは私の子だから」


 その言葉が、昴の胸を深く貫いた。

 あの孤独な十年が、少しだけ溶けていく。

 誰かに必要とされたかった。

 誰かに認められたかった。

 自分の存在を、誰かに喜んでほしかった。


 その願いが、今、ようやく叶えられた気がした。


 昴は赤ん坊の身体のまま、静かに決意した。


 逃げない。

 投げ出さない。

 今度の人生は、必ず、本気で生きる。


 言葉にはできないが、涙と小さな呼吸にその誓いを込めた。


 ミナリスの腕に包まれながら、昴はゆっくりと瞼を閉じる。

 眠りに落ちるその瞬間、ふと感じた。

 前世で感じ続けていた痛みが、ほんのわずかに薄れていることを。


 こうして、ルーディアスとしての新しい人生が、静かに幕を開けた。

 小さな村で、彼が何者として生きるのか。

 まだ誰も知らない。


 ただ一つだけ確信できるのは、彼はもう二度と、前世のようにはならないということだった。

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