やるじゃん。“ゴミ”のくせに
小屋の前は開けた空間だった。草地の奥に、ぽつんと立つ大きな木が一本。
ローナルドは無精ひげを撫でながら、そこを顎でしゃくる。
「いいか。……あの木までドリブルしてみせろ」
たったそれだけ。
だけど、その視線には「これができねぇなら、話す価値もない」と言外に告げる重さがあった。
翔真は唇を引き結び、ゆっくりとうなずいた。
「……わかりました」
両手でボールを抱え、地面に置く。
草を踏む音と、自分の心臓の鼓動だけが響く。
──見せてやる。俺が“ハズレ”じゃないことを。
翔真は深呼吸を一つ。
──大丈夫、ドリブルなら得意分野だ。
「いきます!」
ボールを足にセットし、軽快に蹴り出す。草を切り裂く音がリズムになり、スピードに乗った。
つま先からかかとへ、ボールが吸い付くように転がっていく。
心地よい。体が自然に動く。
「よし、このままなら――!」
その瞬間だった。
――ドンッ!
凄まじい衝撃が体を襲う。
視界がぐらりと揺れ、意識が一瞬飛びかける。
「な、なんだっ!?」
倒れ込みながら必死に目をこらすと、目の前を茶色い巨体が突進していった。
硬い毛並み、突き出た牙。
「……イ、イノシシぃ!?」
衝撃に吹っ飛ばされ、翔真は地面を転がった。ボールは無情にもあらぬ方向へ弾んでいく。
草に顔をこすりつけながら、必死で体を起こす翔真。
「ぐっ……っ!」
ローナルドは腕を組んだまま、鼻で笑った。
「その程度もかわせねぇなら……この世界じゃサッカーはできねぇぞ」
冷たい声が山に響く。
サッキーは「ドンマイ!」と笑っているが、翔真には慰めにもならなかった。
(な、なんだよこれ……ただドリブルしてただけで、イノシシにぶつかられるなんて……!)
汗と土でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
心臓の鼓動がうるさい。
改めて、翔真は理解した。
――異世界サッカーは、常識なんて通用しない。
「嘘だろ……サッカーって、俺が知ってるサッカーと……全然違うじゃないか!」
翔真はふらつきながらも、必死に立ち上がった。
足は震えている。呼吸は乱れている。けれど――諦めるわけにはいかなかった。
(俺は……ここで終わりたくない!)
拳を握り、気持ちを叩き込む。
そして再び、ボールを足元へセットした。
「……もう一度だ!」
力強く蹴り出す。
ドリブルは俺の武器だ。何度倒されても、立ち上がる。
今度こそ、あの木まで――!
だが、次の瞬間。
――ボフッ!
地面が盛り上がり、茶色い影が勢いよく飛び出した。
「えっ――!?」
次の刹那、その小さな塊が翔真の鳩尾に直撃した。
「ぐはっっっっ!?」
衝撃で息が止まり、体が「く」の字に折れる。
足元のボールはあっさり転がり、翔真は膝から崩れ落ちた。
……飛び出してきたのは、モグラだった。
ちんまりした前足をばたつかせ、また土の中へ潜り込んでいく。
「は……はは……そんな、馬鹿な……」
悶絶しながら地面に崩れ落ちる翔真。
そして――。
「ガッハッハッハッハッ!!!」
ローナルドが腹を抱えて爆笑していた。
その豪快な笑い声が、山奥に響き渡る。
「イノシシの次はモグラかよ! あーっはっはっはっ! お前、サッカーの才能以前に“生き延びる才能”がねぇんじゃねぇか!?」
サッキーも「さすが異能サッカー!」とヘラヘラしている。
翔真は地面に転がりながら、涙目で天を仰いだ。
(……なんだよこの世界のサッカー……俺、ほんとにやっていけるのか……?)
呼吸は荒く、喉が焼けるように痛い。
全身が土と汗と涙でぐしゃぐしゃになりながらも、翔真は歯を食いしばった。
(……まだ……まだ終わってない……!)
地面に転がったボールを抱き寄せ、震える足で立ち上がる。
視界は霞み、身体は鉛のように重い。
けれど、その先にある一本の木だけを見据え、足を動かした。
転びそうになりながらも、必死にボールを前へ押し出す。
一歩、また一歩。
イノシシの衝撃、モグラの一撃、全身の痛み――全部背負って、ただ前へ。
そして。
「……っ!」
翔真は最後の力を振り絞り、木の根元にボールを蹴り込んだ。
乾いた音が響き、ボールはぴたりと止まる。
その瞬間、翔真の足は力尽き、膝から崩れ落ちた。
荒い息を吐きながら、木の根元に突っ伏す。
ローナルドはしばし沈黙した。
腕を組み、無精ひげをいじりながら、翔真をじっと見下ろす。
「……なるほどな」
その声は、先ほどまでの嘲笑ではなく、低く唸るような響きだった。
「死にかけても、投げ出さなかったか。イノシシに吹っ飛ばされても、モグラにやられても、最後までボールを運んだ。……それだけは認めてやる」
翔真は顔を上げる力もなく、ただ荒い呼吸を繰り返す。
サッキーが横で口笛を吹いた。
「へぇ、やるじゃん。“ゴミ”のくせに」
ローナルドは肩をすくめ、ため息を吐いた。
「……よし。今日はもう終わりだ。これ以上やったら本当に死ぬぞ」
そう言って翔真の腕を乱暴に引っ張り、立ち上がらせる。
「休ませてやる。うちに戻るぞ」
翔真の視界はもう霞んでいた。
それでも――。
(……やっと、認めてもらえた……)
その小さな実感だけが、彼を支えていた。




