別に汚らわしいものじゃないんだよ!?
「さあ、こっちに来な!」
おばあさんが腰をバキバキいわせながら指をさした。
「私の球を打ってみせな!! 打てなきゃ、そこのサッカー小僧は――一生、この箱の中だよ!」
「え、重っ!? 一生!? 刑罰のスケールでかくない!?」
俺が叫んでも、誰も取り合ってくれない。
気づけば、俺たちは近くの原っぱをグラウンド代わりにして整列させられていた。おばあさんは、どこから持ってきたのか分からないピッチャーマウンド(石ころ盛り上げただけ)に仁王立ちしている。
「……わかったわ」
リオーナが一歩前に出て、バットを握った。顔は蒼白、唇は震えている。
「り、リオーナ……!」
俺が呼びかけた瞬間、
「うっ……!」
彼女は口を押さえ、横に駆け出して――盛大に吐いた。
「ちょ、ちょっと待って!? 野球ってそんなに嫌!?」
俺は慌てて背中をさすった。
箱の中から、トマーティオの声が響く。
「リオーナ! やめてくれ! これ以上は……聞いてるだけで胸が張り裂けそうだ!」
箱の中でゴンゴンと音を立てて、苦しげに呻いている。
「もういいよ!」
俺はリオーナの手からバットを取り上げた。
「翔真……!?」
リオーナは膝をつき、涙を浮かべて俺を見上げる。
「そんな……あなたまで……」
泣き崩れるリオーナの横で、箱の中からトマーティオが絞り出すように声を響かせた。
「お前……俺のために……すまない……」
「いやいやいや! 野球するだけだから! 俺、命を捧げる儀式とかやろうとしてないから!!」
俺は両手でバットを掲げ、必死にツッコむ。
おばあさんは、その様子をニヤリと眺め、唇を歪めて笑った。
「ふふふ……さあ! これが私の球だ! 打てるもんなら、打ってみな!!!」
その目は、完全に“魔王がラスボス戦で必殺技を放つ”ときの輝きだった。
……おい、やばい。なんか普通の野球ボールじゃ済まない空気しかないぞ!?
おばあさんが片膝を曲げ、ぐっと腕を振りかぶった。
「――いくよッ!」
その瞬間、白球が炎に包まれた。
「うおおお!? 燃えてる!?」
リオーナが悲鳴をあげ、箱の中のトマーティオが「マジかよ!?」とガタガタ震える。
俺は冷や汗を垂らしながらも、わざと冷静を装った。
「……だと思ったよ。この世界の野球だ。まともなわけない!!」
――だったら、こっちもやるしかない!
俺は右手を突き出し、スキルを発動させた。
「【スティール】!!」
ゴウンッ!
炎のボールが不自然な軌道を描き、俺の胸元へ――
「よし、引き寄せた!」
……ボコッ!!!
「ぐはあああああ!!」
炎ごと直撃した。熱い、痛い、普通にめちゃくちゃ痛い!!
「ちょっ……引き寄せすぎたああああ!!!」
俺はその場で地面をゴロゴロ転がり、髪が焦げる匂いと共に悶絶する。
「翔真ーーっ!」
リオーナが泣きそうな声を上げ、箱の中からはトマーティオの叫び。
「お前っ! 何やってんだバカッ!!」
おばあさんは仁王立ちし、鼻で笑った。
「フン……やっぱりサッカー小僧は野球の炎球に勝てやしないねぇ」
俺は涙目で立ち上がり、バットを握り直す。
「うぅ……待ってろ……次こそちゃんと調整するから……!」
――俺の戦いは、始まったばかりだった。
おばあさんがニヤリと笑い、帽子をくいっと下げた。
「次は――“雷鳴カーブ”だよ」
……球種、宣言した!?
俺は思わず前のめりになる。
「球種を言っただと!? だったら……打てる!!」
胸の奥で熱が走る。集中力を極限まで高める。
「ここは確実に……【開眼!!L2】ッ!」
視界が一気に鮮明になり、空気の流れ、電気の粒子までくっきり見える。
「見える……見えるぞ!! これで当てるッ!」
ズガァン!!
雷を纏った白球が地を裂きながら飛んでくる。
「うわっ!? やばいやばい!!」
次の瞬間、冷静さが吹き飛んだ。
――そうだった! ここはこの世界!!
野球だってまともじゃない!!
あんなの当たったら死ぬッ!!
「殺される!!!」
俺は慌てて身を引き、腰を抜かしそうになる。
その瞬間――
ゴロロロッ……ビシャァァァ!!
雷鳴の弧を描き、ボールは俺の目の前でぐにゃりと曲がった。
信じられない軌道でストライクゾーンへズバァンッ!!
審判もいないのに、まるで天地が「ストライーク!」と告げるような音が響いた。
「……しまった……」
俺はバットを握りしめたまま固まり、額から汗が流れる。
おばあさんは口の端を吊り上げ、冷酷な笑みを浮かべた。
「甘いねぇ……そんな腰抜けじゃ、私のボールは一生打てないよ」
リオーナは地面に崩れ落ち、トマーティオは箱の中で「どんな魔球だよ!!」と絶叫していた。
三球目。
――これで打てなければ、トマーティオは一生箱の中だ。
「……もういい。開き直るしかない」
俺は深呼吸をして、バットを握り直す。
「スキルなんかにはもう頼らない……!」
視線をまっすぐマウンドへ。
「俺の実力で打ってやる!!」
思い出す。小学生の頃、俺は野球をしていた。
エースで、4番。チームの中心だったんだ。
……ただ、坊主頭が嫌でサッカーに転向しただけで。
「俺は……野球もできる男なんだ!」
腰を落とし、バットを構える。
おばあさんが唇を吊り上げた。
「ほう……良い目だ...やる気が出たようだね。いいだろう」
彼女の目が燃える。
「私の魂の一球……打ち砕けるものならやってみな!!」
ゴウッ――!!
放たれたボールは、さっきよりも遅く見えた。
スピードは……速くない!
「これなら――いける!!」
そう思った瞬間だった。
ボールが……分裂した。
「なっ……!?」
視界いっぱいに散らばる白球。右に、左に、前に、三つ、四つ……!
「分身魔球……!? 漫画でしか見たことないやつじゃん!!」
――これは無理だろ。
心の中で弱気がよぎる。だが、次の瞬間には振り払った。
「……ええいっ! もうこうなったら感だ!!」
俺は全力でバットを振り抜いた。
「狙うは……一番右ッ!!」
ガキィィィィンッ!!!
渾身のスイングが白球を捉える。
確かに、手に感触があった。
「……当たった!?」
打球は鋭い弾道を描き、場外へと消えていく。
静寂。
おばあさんは口をぽかんと開け、リオーナは地面に崩れ落ち、
箱の中のトマーティオが叫んだ。
「か、勝ったのか!? 俺、出られるのか!? サッカーの未来は救われたのか!?」
俺はバットを肩に担ぎ、胸を張った。
「……これが、俺の“野球力”だ」
「リオーナ!」
俺は真っ先に駆け寄った。
「やったぞ! 打ったんだ! ちゃんと打ったよ! これで……これでトマーティオも出られるんだ!」
声が弾む。胸もまだドキドキしていた。
だが、リオーナは膝を抱えて地面に崩れ落ちていた。
「うう……もう……無理……野球、見すぎて気持ち悪くなったわ……」
「えええ!? そんな理由!?」
俺は全力でずっこけた。
すると――箱の中から、トマーティオの嗚咽混じりの声が響いた。
「……リオーナ……本当に……すまない……。
俺のせいで……お前にこんな……拷問を……」
「いやいやいやいや!」
俺は思わず叫んだ。
「お前らさあ! 野球を拷問みたいに言うな! 別に汚らわしいものじゃないんだよ!?
ていうか俺、勝ったんだから! まずは俺の勝利を喜べよ!!」
……なのに、リオーナはげっそりした顔でうめき続け、トマーティオは箱の中で泣き声をあげるばかり。
俺だけ、全然報われてない気がする。
「……やれやれ、約束じゃからな。」
おばあさんは、ものすごく嫌そうな顔をしてため息をついた。
「ほんとは嫌なんじゃが……仕方ない。箱から出してやるよ。」
そして吐き捨てるように続けた。
「まったく……サッカー小僧なんか永遠に封印されときゃ良いのに。」
「おい、それはひどすぎるだろ!」
俺がツッコむ間もなく、おばあさんは手を差し出してきた。
「ほれ、こっちに箱をよこしな。」
「……はい。」
リオーナは渋い顔をしながら箱を差し出す。
だが、おばあさんは受け取ると、まるでゴミのように乱雑に地面へドンと置いた。
「うわっ!? もっと丁寧に扱えよ!」
箱の中からトマーティオの怒鳴り声が響く。
おばあさんは鼻で笑った。
「何言ってんだい。丁寧に触ったらサッカーがうつるだろ。サッカーが。」
「いや、サッカーは病気じゃないからな!?」
俺の全力のツッコミが、山奥の空気に虚しく響いた。
おばあさんが、どこからともなくゴツいバットを取り出した。
「……え、ちょ、ちょっと待って? まさかそのバットで――」
俺の制止も聞かず、ばあさんは大きく振りかぶる。そしてなぜか呪文を唱え始めた。
「くらえええっ、《ばっとすいんぐ・おぶ・じごくぅぅ!!》」
――ドゴォォォン!!
バットが箱に直撃。とんでもない轟音が辺りに響き渡った。
「ぎゃああっ!? なにしやがるんだこのばばぁ!! いてぇじゃねぇか!!」
中からトマーティオの情けない悲鳴が聞こえてくる。
いやいや、そりゃそうだろ。あんな全力フルスイングくらったら、中身は無事じゃすまねぇよ!
「これだから野球なんかやってる野蛮人は! 暴力的で嫌なんだ!」
箱の中からトマーティオの罵声が飛んでくる。
……いや、そういう問題か?
「(野球とかサッカーとかの争いじゃなくて……この世界の住人全員、総じて暴力的じゃね?)」
俺がぼそっと呟いた瞬間、横からじとっとした視線が突き刺さる。
「……今、なんか言った?」
リオーナが目を細めて俺を見る。
「い、いや! 何も! 俺は平和主義だから!」
しかしばあさんはそんなやり取りを完全に無視し、魔力を込めたバットをさらに振り下ろし続ける。
「ほれぇぇっ! バキィィッ! ゴガァァン!!」
完全にボーナスステージみたいな連打だ。
その瞬間――箱全体が眩い光を放ち、バキンッと音を立てて真っ二つに割れた。
そして、中からずぶ濡れの子犬みたいな顔のトマーティオが、よろよろと姿を現す。
「……生まれたての小鹿かよ」
俺は思わずツッコミを入れた。
箱から出てきたばかりのトマーティオが、よろよろ立ち上がった。
その顔は青筋だらけで、今にも血管が爆発しそうだ。
「このクソばばあ……雑に扱いやがって……サッカーなめんな!! 思い知れぇぇ!!」
トマーティオが高々と手を掲げ、詠唱を叫ぶ。
「爆光雷撃弾――《神の怒り(ゴッド・レイジ)》ッ!」
うおおおおっ!? よりによって一撃必殺の大技!?
ま、待て待て待て! このままじゃおばあさんが消し飛ぶ! 塵も残らんぞ!?
「おい! やめろってトマーティオ!!」
俺が叫ぶも遅し――白銀の雷が弾丸のように放たれる。
……が。
「――ふっ」
おばあさんは悠然とバットを構え、まるで待ってましたと言わんばかりにスイング。
ドカァァァン!!!
神の怒りが、完璧なフォームで打ち返された。しかも確信歩きまでしてやがる。
「ホームランじゃよ」
その余裕の声に、俺の膝も笑った。
「ぐふっ……!」
トマーティオは光に焼かれたみたいに崩れ落ちる。まるで二軍落ち確定の選手みたいな顔だ。
おばあさんはふぅっと息を吐き、バットを肩に担ぐ。
「野球なめんじゃないわよ」
そして、俺を指差した。
「それよりあんた。野球、やらないかい? 私の球を打ったあのバッティング……才能あるよ。世界を狙えるさ」
え、ここでスカウト!? こんな魔境で!?
俺は一瞬、真剣に悩んだ。いや、だって確かに当たりは良かったし……。
でも――俺は首を横に振った。
「いや……俺、サッカーが好きだから」
おばあさんはちょっと残念そうに肩をすくめる。
「そうかい。そりゃ残念だよ」
そして俺たち三人は、ボロボロになりながらも学校へ帰ることにした。
……振り返ると、まだグラウンドに立って確信歩きしてるおばあさんの姿が小さく見えていた。




