己の魂を削られるような試練
俺とリオーナは、ローナルドに言われるまま山奥へ足を運んでいた。
木々が鬱蒼と茂り、獣道を抜けた先に――小さな小屋がぽつんと建っている。
「ここか……」
扉の隙間から差し込む光に導かれるように中へ進むと――思わず足を止めた。
小屋の奥には仕切りのない広いスペース。そこには、どこか見覚えのある――野球っぽいグラウンドが広がっていたのだ。
「な、なんだこれ……?」
俺は呆然と立ち尽くす。
「そうか……そうだった。最近はサッカーばかりで気付かなかったけど、この辺りはもともと野球のほうが盛んだったんだよな……」
隣でリオーナが顔をしかめる。
「……なるほどね。ローナルドが来たがらなかった理由がわかったわ」
腕を組み、露骨に不快そうな声を出す。
「知ってたら私だって来なかったのに……まさかこんなに野球感が漂う場所だなんて。きっと魔法使いもろくな人間じゃないに決まってるわ」
箱の中からトマーティオの声が響く。
『外が見えないからわからないが……そんなに酷いのか?』
「最悪よ」リオーナは即答した。
俺は口をパクパクさせながらリオーナを見やる。
「……いやいや、偏見がひどすぎるだろ……」
グラウンドに吹く風が、どこか不穏な匂いを運んでくる。
これから出会う魔法使いは、一体どんな人物なのか――胸の奥に、不安が膨らんでいった。
俺は小屋の前に立ち、深呼吸してから扉を叩いた。
「すいませーん!」
しばらく間があって、中からしわがれた声が返ってくる。
「……なんだい、こんな時間に」
俺は思わず突っ込んでしまった。
「こんなも何も……普通に昼間なんだけど」
ガラリと扉が開く。
そこに現れたのは――野球帽をかぶり、バットを杖のように持ったおばあさんだった。
「……野球だ」
俺は呟く。確実に、野球だ。見間違えようがない。
隣でリオーナがすぐさま顔をしかめる。
「……仲良く出来ないわね」
おばあさんは目を細め、リオーナをじろりと睨んだ。
「なんだい、いきなり訪ねてきて失礼な娘だね」
「あ、いや、すみません!ほんとすみません!」
俺は慌てて頭を下げる。平謝りだ。
こうして、野球感しかない魔法使いとの最悪の出会いが始まった。
「あの……ローナルドからの紹介で来たんですけど」
俺はおそるおそる切り出した。
おばあさんはバットを肩にかつぎ、目を細める。
「……あーあー、あのタマケリ坊主のね」
タマケリ……いや、それサッカーのことだよな。
「まったく、あの坊主もサッカーなんかやらずに野球をやってれば、この村の英雄だったのにねぇ」
横でリオーナがむっとした顔になる。
「いやいや、一応あのおじさん、世界的に有名よ? 今でこそあんなんだけど」
しかしおばあさんは鼻で笑った。
「有名? 恥じゃよ恥! サッカーなんかして……この村からサッカー属性が誕生したなんて、村のキングオブ恥じゃよ!」
バットを突き出し、勢いよく言い切る。
「いいかい、あんたらもサッカーなんか今すぐやめて、野球をおやり!」
俺は口をぽかんと開けたまま呟いた。
「……ひどい扱いだな、サッカー」
「あの……サッカーの話は一旦置いておいて。」
俺は慌てて箱を突き出した。
「この中に封印された仲間――トマーティオを出してもらいたいんですけど……?」
おばあさんはじろりと箱をにらみつけ、鼻で笑った。
「なんだい?こいつ……どうせこいつもサッカーなんだろ?なら一生その箱の中でミイラになっとった方が、この村のためじゃよ」
「なんだとこのババア!!」
箱の中からトマーティオが怒号を上げる。
「今すぐ出せ!!俺を誰だと思って――」
「ほら見なさい、やっぱり下品じゃろ。」
おばあさんは肩をすくめて首を振る。
「サッカーの連中は声のボリュームも脳みその使い方もおかしいんじゃ」
「ちょちょちょっ!違います違います!!」
俺は箱を両手で抱えながら土下座しそうな勢いで頭を下げた。
「こいつだけなんです!ほんとに!この世界にいるサッカー人材の中で唯一の例外ですから!“サッカー界のノイズ担当”みたいなもんなんで!」
リオーナも追い打ちをかけるように言った。
「そうそう。むしろサッカー全体の評判を落としてるのは、こいつひとりだけなのよ」
「おいコラァ!!俺を悪役にしてまとめるんじゃねぇ!!」
箱の中でトマーティオがガンガン暴れる音が響いた。
「ほら見ました?この通りです!」
俺は必死にアピールする。
「封印から出して“しつけ”して、もう一回ちゃんと教育するんで!どうかどうかお願いします!!」
「……まあ、タマケリ坊主の頼みってんなら、しょうがないねぇ」
おばあさんは渋々と腕を組み、ため息をついた。
「えっ!ほんとにやってくれるんですか!?」
俺は思わず身を乗り出す。
「ただし――条件があるよ」
「条件?」
おばあさんはニヤリと笑い、バットを地面にトンッと突き立てた。
「野球をしてもらうよ。わしと勝負して、勝てたら出してやる」
「――――――っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、リオーナは膝から崩れ落ちた。
「や、やきゅう……?野球するって……そ、そんな……!」
顔を覆い、ガタガタ震えながら泣き出す。
「なんでそんな酷いことを……!私、そんな屈辱……耐えられない……」
「リ、リオーナァァ!!」
箱の中からトマーティオの必死の叫びが響く。
「やめろ!お前が俺のためにそんなことをする必要はない!俺は……俺はいいんだ!このまま封印されたままで構わないッ!」
「え?……ええ?」
俺は完全に置いてけぼりだった。
「ちょ、ちょっと待って。野球することってそんなに屈辱なの?ていうか命を懸けるほどの話?」
おばあさんはドヤ顔で胸を張った。
「当然じゃよ。この村じゃ、野球こそが誇り。サッカーに染まった者にとっては、己の魂を削られるような試練なのさ」
「……大げさすぎるだろ!!」
俺は思わず総ツッコミを入れた。




