あいつに会いたくない!!
――……暗い。
意識の底から、ゆっくりと浮かび上がるような感覚。
ぼんやりとした天井が視界に映り、俺はようやく目を開いた。
「……ここは……?」
白い布団。木の梁。見慣れないはずなのに、どこか温かい。
「おう! 気が付いたか?」
酒臭い息を吹きかけながら、ローナルドの声が聞こえてきた。
その顔を見て、ようやく思い出す。ここは……ローマリオの家だ。
「……俺は……俺……そうだ! 試合!!」
慌てて起き上がろうとするが、全身に重りを括りつけられたみたいに動かない。
「落ち着けよ。まだ動けねぇって」
ローナルドは酒瓶を片手に、苦笑いしながら俺をベッドに押し戻した。
「お前、あんだけ無茶したんだ。体が動くわけねぇだろ」
「……でも、試合は……! 俺が行かなきゃ……!」
必死に腕を伸ばす。足に力を込める。だが指先ひとつ満足に動かない。
「落ち着けって。終わったんだよ」
ローナルドの声が、妙に静かに響いた。
「試合は……三日前に、もう終わってる」
「……三日……?」
俺は愕然として息を呑んだ。
三日も……俺は眠っていたのか。
「な……結果は……どうだったんだ……?」
掠れた声で、ようやく問いかける。胸の奥が焦燥で張り裂けそうだった。
ローナルドは一瞬だけ黙り、酒瓶を見つめ、ため息をついた。
「……いい試合だった。ほんと、いい試合だったよ」
「良いとか悪いとかじゃない!!」
声を荒げる。自分でも驚くくらいの怒鳴り声だった。
「結果を……教えろ!!」
重苦しい沈黙のあと、ローナルドは短く答えた。
「……負けたよ」
その言葉が、胸に鋭い刃のように突き刺さった。
息が詰まる。叫びたいのに、声が出ない。
ただ――悔しさが、涙よりも重く、俺の中でのしかかってきた。
翌朝。
まだ足取りは重く、ふらつく。頭の奥には鈍い痛みが残っていた。
それでも――学校へ向かった。
気になっていた。
あの試合のあと、みんなはどんな顔をしているのか。
そもそも……封じられたままのトマーティオはどうなったのか。
校門をくぐり、部室へ向かう。
「おーい」
声をかけると、ザグやリオーナが振り返った。
「おっ、翔真!」
ザグはいつもの調子で手を上げる。
「まあ負けちまったけどさ、いいところまで行ったよな!」
「そうそう、次よね次」
リオーナも笑顔で続ける。
「秋季大会では、もうちょっといいところまで行けそうだし」
……え?
思わず立ち尽くす。
俺の胸にまだ残っている“あの痛み”――敗北の重さと、仲間たちのあっさりした言葉との落差に愕然とした。
三日たったからか?
それとも……俺とみんなとで、何かが違うのか。
「なあ翔真」
ザグがこちらを見て、にっと笑った。
「負けたこと気にしてどうすんだよ! 次だろ次!!」
「……」
その言葉が正しいのはわかる。
でも――少しくらい、落ち込んでもいいんじゃないか。
悔しさを抱えているのは、自分だけなのか。
胸の奥で、どうにも腑に落ちない感情が渦巻いていた。
……みんなの“あっさりした前向きさ”は、俺には正直まだ理解できない。
けど――負けて立ち止まっていても仕方がないのも事実だ。
(この俺に足りなかったものは何だ? なぜ勝てなかった?)
悔しさはまだ胸に残っている。
だが、それを次に繋げるしかない。
秋の大会までに、その穴を必ず埋める。
そう、心に決意を刻んだ。
「……そういえば」
ふと頭に浮かぶ。
「トマーティオはどうなったんだ?」
その瞬間、ザグもリオーナも、なぜか視線を逸らした。
伏し目がちになって、明らかに言いにくそうにしている。
「……な、何?」
嫌な予感に駆られ問いかけると、リオーナが小さな声で答えた。
「実は……封印、解けなくて。どうしても暗号が解読できないのよ」
「え、ということは……?」
俺が言いかけた瞬間、箱の中からドスの効いた怒鳴り声が響いた。
『早く出せよ!! いい加減にしろ、この無能どもがぁぁ!!』
……生きてるのはわかった。だがその言葉は、相変わらずトマーティオらしい。
「はあ!? 無能って何よ!!」
リオーナがすぐさま噛みつく。
「そもそも“自分で出られる”って言い張ってたのはそっちじゃない! とっとと出てきたらいいんじゃないの!?」
……完全に揉めている。
というか、最悪の雰囲気だ。
しかもトマーティオは依然として箱の中。
(いやいやいや……これ、俺はどうしたらいいんだ?)
胸の中で思わず天を仰いだ。
酒瓶を片手に、よろよろとローナルドがやってきた。
「なんだお前ら、盛り上がってんじゃねえか」
……盛り上がってる? これが?
俺は即座に否定した。
「いや違う!揉めてんだよ!」
思わず声が裏返る。
「っていうか、どうすんだよ。トマーティオ封印されたままじゃん!」
するとローナルドは妙に自慢げな顔で、胸を張った。
「大丈夫だ、安心しろ。ちゃんとトナリーナジュニアには正式にクレーム入れといたからよ」
……クレーム?
俺は一瞬言葉を失ってから問い返す。
「で、それで何か解決方法は?」
「無い」
間髪入れずに返されたその一言に、俺は思わずずっこけそうになった。
「意味ないじゃん!!」
胸を張るだけ張って、それで終わりかよ……。
ローナルドは酒瓶を傾けながら、どこか得意げにひとりごちた。
「翔真…お前、わかってないな」
俺は腕組みして、呆れ顔で返す。
「いや、わかってるって。問題はトマーティオを箱の中から出すことだろ?」
ローナルドはにやりと笑って続けた。
「こういうのは“言うこと”が大事なんだぞ。ほら、しっかりクレームはつけた。だがダメだった。これでな、俺の責任は果たした。つまり俺は悪くないってことだ」
――はあ?
頭が痛くなる理屈だ。
「いやいや、クレームとか責任の押し付けよりもさ、現実問題としてトマーティオを出さないと、秋季大会どころの話じゃないんだけど!」
すると、箱の中から怒鳴りが返ってきた。
『おいおい、何言ってんだ! 翔真の言う通りだ。俺抜きで秋季大会勝てると思うなよ、無能どもが!!』
即座にリオーナが反撃する。
「箱から出られもしない無能が、何を偉そうに言ってるのよ。あんた、自分で出るって豪語してたでしょ? とっとと出てきたらいいじゃない」
封印の中から、ますますヒートアップする声が返る。
『なんだとこの野郎!! 俺の炎で全員皆殺しにしてやるぞ!!』
その喧騒に、俺は両の手を振り上げて割り込んだ。
「待て待て! もうお前ら喋るな! やかましい! って言うかローナルド、マジでなんとかしてくれよ!」
ローナルドは肩をすくめて、だらしなく笑った。
「おう、任せとけ……たぶんな」
俺はため息を一つ。
箱の中で暴れるトマーティオの声、周囲の罵倒と罵倒の応酬、ローナルドの頼りなさ――全部が渦になって胸のなかで回る。
結論は見えている。やるしかない。
口論を止めて、策を考えなきゃ――俺たちに残された時間は少ないのだから。
ローナルドが腕を組み、妙に落ち着いた顔で言った。
「お前らさ、結局のところ――トマーティオが出せりゃいいんだよな?」
俺は肩をすくめて、曖昧に返す。
「とりあえずは……そうだけど」
横でリオーナがすぐさま反論した。
「出せなくていいわよ。二度と出てこなければ最高だわ」
箱の中から、怒声が轟く。
『なんだと! この糞女!! お前が封印されろ!!』
……お決まりの口喧嘩だ。俺は思わず頭を抱える。
「いや……頼むから黙ってくれ。話が全然進まないから!」
ローナルドは顎をさすりながら、ぽんと手を打った。
「じゃああれだな。俺の知り合いでな、結構有名な魔法使いがいる。そいつに開けてもらうか。翔真、ちょっと箱持って行ってくれるか」
俺はすごく困った顔をして、思わず声を荒げた。
「えっ? ローナルドの知り合い? ろくな人じゃなさそうだし嫌なんだけど。ていうか、ローナルドが直接行けばいいじゃん」
ローナルドはぶんぶんと手を振った。
「無理だ! 絶対無理!! 行きたくないし、あいつに会いたくない!!」
――おいおい、なんてわがままな……。
俺は深々とため息を吐きながら天井を仰ぐ。
「……結局、俺とリオーナで行くしかないのか」
リオーナも肩を落としつつも、諦めたように頷いた。
「仕方ないわね。もう付き合ってあげるわ」
こうして俺とリオーナは、封印されたトマーティオを抱えてローナルドの“知り合い”の魔法使いのもとへ向かうことになった。
嫌な予感しかしない――まったく、面倒なことになった。




