本当に、見捨てられたんだ
翔真の拳は震えていた。
それは恐怖からではない。
怒りと、何よりも――サッカー選手として踏みにじられた誇りからくる震えだった。
「入れ」
兵士に乱暴に押し込まれ、翔真の体は木箱の中へと閉じ込められた。
蓋が打ち付けられる音――そして、馬車に積まれる衝撃。
視界は完全に暗く、ただ自分の荒い呼吸と、木の匂いが漂う空間に閉じ込められる。
――ゴトン、ゴトン。
――ガラガラ……。
箱ごと揺さぶられるたびに身体は壁に叩きつけられ、痛みが走る。
「……なんだよこれ……人間扱いじゃねえ……」
不安が胸を締め付け、時間の感覚はすぐに狂った。
外が昼なのか夜なのかすらわからない。
ただ、馬車の車輪が石を噛む音と、馬の蹄の響きだけが続いていく。
何時間経ったのだろう。
ようやく馬車が止まり、外から怒鳴る声が聞こえた。
「ここでいい。捨てろ」
次の瞬間――。
「うわっ!」
木箱ごと翔真の体は宙に浮き、そのまま地面へと叩きつけられた。
ゴンッ! と鈍い音が響き、身体中に衝撃が走る。
「いってぇ……!」
呻いても、誰も耳を貸さない。
馬車の車輪が再び動き出し、砂煙を巻き上げながら遠ざかっていく。
取り残されたのは、見知らぬ土地に放置された木箱一つ――。
中に押し込まれたままの翔真は、痛みと不安と怒りを抱えながら、暗闇の中で身動きできずにいた。
――俺、これからどうなんだよ……。
――静かだ。
箱に閉じ込められたまま、どれくらい経ったのか。
耳を澄ませても、馬車の音はもう遠く、鳥の声すら聞こえない。
ただ、自分の鼓動と、木のきしむ音だけが響いている。
「……マジで、置いてかれた?」
しばらく大人しくしていたが、何も起きない。
助けが来る気配も、誰かが近くを通る気配もない。
やがて、息苦しさと不安に耐えきれず、翔真は手探りで木箱の蓋に触れた。
ギィ……ときしむ音を立てながら、釘が甘かったのか、思ったより簡単に持ち上がる。
眩しい光が差し込んだ。
「……!」
目を細めながら、恐る恐る外に身を乗り出す。
そこに広がっていたのは――想像とはまるで違う光景だった。
青々とした草原。
遠くにはのんびりと草を食む羊の群れ。
古びた木柵、煙を上げる小さな農家、そして土の道を子どもが駆けていく。
「……のどかすぎるだろ……」
昨日までいた街の喧騒や、巨大スタジアムの轟音が嘘のように、空気は澄み切って静かだった。
豪華絢爛な王宮から一転、今目の前にあるのは――拍子抜けするほどの田舎の風景だった。
「……俺、マジで異世界に捨てられたのか?」
サッカーシューズのまま、場違いなユニフォーム姿で草原に立つ翔真。
ただ呆然と、どこまでも続く田舎道を見つめていた――。
「……どこに行けばいいんだよ、これ……」
見渡す限り草原と畑。道らしい道は一本あるが、どちらに向かえばいいのか全くわからない。
王様に召喚されて、サッカーさせられて、負けて、捨てられて――。
頭が混乱しすぎて、現実感すらなくなっていた。
そのときだった。
ブン……ブン……。
耳元で羽音が響く。小さな羽虫のようなものが、翔真の顔の周りをうろついていた。
「うわ、やめろって……!」
思わず手で追い払う。
すると――。
「おい!! なにしやがんだ!!」
甲高い声が空気を切り裂いた。
「は?」
翔真は思わず固まる。
「俺は虫じゃねぇぞ!! 誰に向かって手を振ってんだコラァ!!」
その羽虫は――なんと、口を動かして喋っていた。
豆粒みたいな体に、小さな腕、ぎょろっとした目。
そしてその小さな口から飛び出すのは、信じられないほど威勢のいい言葉。
「な……な……なんだこれぇぇぇ!?」
腰が抜け、翔真はその場に尻もちをついた。
目の前でぶんぶん飛びながら罵声を浴びせてくる“虫じゃない何か”を、ただ呆然と見上げるしかなかった。
ぶんぶん飛び回っていた「羽虫」は、翔真の目の前でピタリと静止した。
よく見れば……いや、見れば見るほどおかしい。
小柄でピンク色の体。
小太り気味で、お腹がぷよっと突き出ている。
背中には安っぽい羽が二枚はえていて、必死にバタバタ動かしている。
そして何より異様なのは――。
着ているのが、サッカーのユニフォームだった。
背番号まで入っていて、ストッキングまで履いている。
妖精らしい神秘性ゼロ、むしろ運動場に迷い込んだマスコットキャラの失敗作のようだ。
「な、なんだお前……」
翔真が呆然と呟くと、そいつは胸を張って言い放った。
「俺様の名は――サッキー! サッカーの妖精だ!」
「サッカー……の、妖精?」
あまりに似合わない名乗りに、翔真は思わず二度聞きする。
サッキーと名乗った妖精(?)は、翔真の顔を指差し、毒づき始めた。
「おまえ、ハズレだな!」
「国王様に呼ばれたくせに、速攻で負けて捨てられたんだろ?」
「ぷぷっ、マジでポンコツじゃねえか!」
「……っ!」
図星すぎる言葉に、翔真は思わず唇を噛んだ。
さらにサッキーは畳みかける。
「期待の召喚勇者かと思いきや、ただの落ちこぼれ。しかもサッカー以外なんも出来ないって? いや~キツいわ~」
翔真は立ち上がる力もなく、ただ呆然と、ピンク色の妖精に罵倒され続けていた――。
「……好きで来たわけじゃねぇし!」
ようやく声を絞り出した翔真は、サッキーに反論した。
「誰が好き好んで、いきなり呼ばれてサッカーして……負けたら捨てられるとかあるかよ! しかもハズレってなんだよ!」
その叫びに、サッキーはケラケラと腹を揺らして笑った。
「ハズレはハズレだろ? だっておまえ、全然サッカーできてなかったじゃん」
「っ……!」
言葉を詰まらせる翔真。
「そもそもな、この世界じゃ“召喚されたストライカー”は、化け物じみた技を使ってチームを勝利に導くのが当たり前なんだよ」
サッキーはひょうひょうとした調子で続ける。
「雷も炎も影縫いも、全部“異能サッカー”の基本スキル。なのにおまえ、ただのドリブルだろ? あれじゃカモられて当然。……ゴミ以下だな!」
ぷかぷかと宙に浮かびながら、悪びれもせず毒を吐く。
翔真の胸は、怒りと悔しさでいっぱいになった。
――やっぱり、俺は捨てられたんだ。
国王の前で言い渡された判決は「国外追放」。
箱詰めにされ、馬車で運ばれ、ゴミみたいに捨てられた。
サッキーの言葉が、それを完全に裏付ける。
「……マジかよ……本当に、見捨てられたんだ……」
翔真はうなだれ、拳を握りしめた。
その拳は震えていたが、悔しさか、怒りか、恐怖か、自分でも分からなかった。




