やっぱこの世界の人たち、感覚おかしい
グラウンドに夕陽が差し込むころ、部活が始まった。
笛の音と同時に、ボールが転がり出す。翔真は胸の奥にまだ昨日の余韻を抱えたまま、ピッチへと足を踏み出した。
「……よし。試してみるか」
ギルドで得た新たなスキル――《バックスタッフ》。
翔真は練習相手にトマーティオを指名した。豪快な笑みを浮かべたトマーティオは「望むところだ!」と胸を張る。
ボールが転がり、翔真が仕掛ける。瞬間――視界が一瞬きらめき、体が勝手に動いた。
気づけば、トマーティオの背後を取っていた。
「な、なにっ!? いつの間に!」
「……おお! すげぇ!」
周囲の部員がどよめく。
だが次の瞬間、翔真はすぐに異変に気づいた。
(……あれ? ボールが……ない?)
背後に回り込んだはいいが、ボールはしっかりとトマーティオの足元にあった。
いや、それどころか――翔真とボールの間には、必ずトマーティオの体が壁のように立ちはだかっている。
いくら背後を取っても、ボールに触れることすらできない。
まるで、スキルそのものが「ボールへのアクセス」を封じているかのようだった。
「ははっ! 背中取られてもボールは俺のもんだ!」
トマーティオが勝ち誇ったように笑う。
翔真は思わずその場に立ち尽くし、頭を抱えた。
「……意味ねぇじゃん、これ……」
せっかくの進化スキル。しかしサッカーにおいては、まるで役に立たない。
翔真の嘆きが、グラウンドに虚しくこだました。
練習が終わりかけのグラウンド。
翔真はベンチに腰を落とし、がっくりと肩を落としていた。
「……やっぱり、意味ねぇじゃん。《バックスタッフ》なんて……」
いくらトマーティオの背後を取れたとしても、ボールを奪えないのではサッカーで役に立つはずがない。
その姿を見かねたのか、ローナルドが近づいてきた。腕を組み、じろりと翔真を見下ろす。
「おい、坊主。落ち込んでる場合か」
「……ローナルドさん……」
ローナルドは低い声で続けた。
「《バックスタッフ》ってのは、そもそも相手の意表を突いて一撃で仕留めるためのスキルだ。
相手を倒すための武器も技も持ってないお前が使ったところで、そりゃ意味なんかねぇさ」
「……なるほど」翔真は思わず頷いた。
(確かに、背後を取って一撃で……って、理屈は通る……)
が、次の瞬間、顔をしかめる。
「……っていやいや! サッカーで“倒す”ってなんだよ! 相手をぶっ倒すために背後取ってどうすんだよ!」
ようやくツッコミを入れたが、ローナルドは意に介さず笑って去っていった。
翔真はしばらく唖然としていたが、やがてぽつりと呟く。
「……でも、確かに“武器”があれば……」
思考は妙な方向へと転がっていく。
そして気づけば、部活をそっと抜け出していた。
「よし……武器屋に行くしかない!」
――サッカー部員でありながら、なぜか武器を求めて街へと向かう翔真の背中は、どこか妙に晴れやかだった。
街の片隅にある、どこか薄暗い石造りの店。
看板には剣や槍のシルエットが描かれていて、一目で「武器屋」とわかる雰囲気を放っている。
「……うわ、マジで来ちゃった……」
翔真はごくりと唾を飲み込みながら、重い扉を押し開けた。
――カランカラン。
中に入った瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、壁一面に並んだ剣、槍、鎖、果ては巨大な斧まで。
どれも物騒そのもので、ただのサッカーボールしか触ったことのない翔真には異様すぎる光景だった。
「……サッカー部員が来る場所じゃねぇよな……」
そう呟いた直後、奥からガハハと豪快な笑い声が響いた。
「なんだァ? 誰かと思えば子供じゃねぇか!」
現れたのは、背筋の伸びた大柄な老人。髭をたくわえ、腕は鍛冶屋のように分厚い。声もまたやたらと大きい。
「悪いことは言わん、坊主。ガキはとっとと帰んな! ここは遊び場じゃねぇんだ!」
強い圧に、翔真は思わずたじろぐ。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「……俺は、本気なんです」
そう言いながら、翔真は背中をぐっと見せた。
制服の下からはっきりと浮かぶ――《盗賊》の文字。
老人の目が見開かれる。
「……ほぉ。背中の銘が“盗賊”だと?」
先ほどまでの追い返すような態度が一変し、老人の視線が翔真を鋭く値踏みするものに変わる。
やがて、口元に笑みを浮かべて言った。
「いいだろう。背中にその銘を持つなら、この店で武器を手にする資格はある。
坊主……いや、盗賊の若造よ。お前に合う武器を探してやる」
その言葉に、翔真の胸は高鳴っていた。
サッカーとはあまりにかけ離れた世界――だが、ここから新しい何かが始まる予感がしていた。
石畳の路地を抜けた先、どこか錆びた鉄の匂いが漂う建物があった。
入り口の看板には、剣や斧の模様が無骨に刻まれている。
「……ここが、武器屋か」
翔真は緊張を押し殺し、扉を押し開けた。
――ギィィ。
中に広がるのは、壁も天井も埋め尽くすように並べられた武器の数々。
剣、槍、鎖、盾、そして見るからに危険そうな暗器までもが並んでいる。
サッカーボールしか蹴ってこなかった翔真には、まさに異世界の光景だった。
「おい!」
奥から怒鳴るような声が響く。
現れたのは、大柄で背筋の伸びた老人。声がやたらと大きく、眼光は鋭い。
「ガキが遊び半分で来るとこじゃねぇ! さっさと帰れ!」
ビリビリと威圧感が走る。翔真は一瞬気圧されるが、すぐに決意を固めた。
「……俺は、本気です」
そう言って制服の上着を脱ぎ、背中をさらけ出した。
そこには、鮮やかに刻まれた《盗賊》の文字。
老人の目が一瞬大きく開かれる。
「……ほう。背中に銘を持つとはな。しかも“盗賊”か」
声のトーンが先ほどとは違う。威圧ではなく、どこか試すような響き。
「なるほど……子供ではなく、“背負う者”だったか。
ならば、ここで武器を持つ資格はある」
老人は腕を組み、にやりと笑った。
「見せてもらおうじゃねぇか。盗賊の若造……お前にふさわしい武器をな」
翔真の胸が高鳴る。
サッカーとはまるで別世界の扉――だが、その一歩を確かに踏み出したのだった。
老人は奥の棚をゴトゴトと漁ると、やがて小さな木箱を抱えて戻ってきた。
重々しい雰囲気で箱を置き、カチリと蓋を開ける。
「さあ……お前に渡すべきはこれだ」
箱の中に収められていたのは、銀色の刃を持つ一本の短剣だった。
光を反射して鈍く輝くが、装飾もなく、見た目はやけに地味。
「……短剣?」
翔真は拍子抜けしたように呟く。
もっとこう、大剣とか、炎を噴くような派手な武器を想像していたのに――。
「弱そうだし……これ、ほんとに強いんですか?」
老人は鼻で笑った。
「小僧、剣の大きさで戦うんじゃねぇ。
盗賊は影を駆け、隙を突き、背を討つ……短剣こそがお前にとって最高の武器だ」
その言葉に、翔真は一瞬だけ黙り込む。
“背を討つ”という言葉に、先日手に入れたスキル《バックスタッフ》が脳裏をよぎった。
「……そっか」
完全には納得していない。けれど何か、胸の奥でピタリと繋がる感覚もある。
翔真は短剣を手に取り、握ってみた。
驚くほど軽く、手に吸い付くように馴染んだ。
「……とりあえず、これをください」
「フン、ようやくわかったか」
代金を払い、短剣を腰に下げた翔真は、足早に武器屋を後にした。
――そして、夕陽が差し込む校舎へ。
部活の時間に遅れてでも、今すぐ試したい。
盗賊の新しい力と、この地味な短剣が、何をもたらすのか。
翔真の胸は、不安と期待でいっぱいだった。
夕暮れのグラウンド。部活を終えた仲間たちの声が遠ざかる中、翔真はこそこそと戻ってきた。
しかし――その背後から、重々しい声が飛ぶ。
「……おい、翔真」
振り返れば、腕を組んだローナルドが仁王立ちしていた。
額には青筋。完全に“説教モード”である。
「昨日も無断欠勤、今日は練習時間に姿をくらまし……貴様、部をなんだと思っている!」
「い、いや違うんだよ! 俺はその、武器を――」
必死に弁明しようとする翔真。だがローナルドの耳には届かない。
「言い訳無用! 努力を怠る者に未来はない! 戦士であれ盗賊であれ、日々の鍛錬を欠かしては――」
長い。長すぎる。
雷鳴のごとく響く説教が、永遠に続くかのように感じられる。
翔真はぐっと奥歯を噛みしめ、そして――。
「……だったら見せてやるよ」
腰の短剣を握りしめた瞬間、背中に刻まれた文字が光を放つ。
《バックスタッフ》発動。翔真の姿が揺らめき、次の瞬間にはローナルドの背後に立っていた。
「――ッ!?」
ローナルドが振り向く間もなく、翔真は喉元すれすれに短剣を突きつける。
刃がかすめ、一瞬にして鮮血が吹き出した。
沈黙。緊張。空気が凍りつく。
しかし――。
「……フッ。見事だ、翔真」
ローナルドは豪快に笑った。
首筋を押さえながらも、その瞳には怒りではなく、むしろ称賛が宿っている。
「それだ……! 盗賊の真髄は、敵の背を穿つこと。
お前、ようやく自分のスキルを戦いに活かしたな」
翔真は思わず短剣を下ろす。
説教どころか褒められるとは思っていなかった。
「……いや、褒められてもうれしくないんだけど」
内心でそうぼやきながらも、翔真はほんの少しだけ誇らしい気持ちになっていた。
グラウンドに、どぷっ……と生々しい音が響いた。
ローナルドの首筋から、鮮血が勢いよく吹き出す。
「ローナルドさんっ!?」
最初に声を上げたのはリオーネだった。
その悲鳴に反応するように、ザグ、トマーティオ、そして他の部員たちも駆け寄ってくる。
「おい、血がっ……やべぇぞ!」
「誰だ、やったのは!?」
混乱する声が飛び交い、部員たちがローナルドを取り囲む。
その中心で、首筋を押さえながら苦笑いを浮かべるローナルド。
「……落ち着け。これは……翔真の技だ」
その一言に、空気が凍りついた。
「翔真の……技?」
「盗賊のスキルって、マジで人を刺すやつなのかよ!?」
「練習中に監督を刺すって、正気か!?」
ざわつく部員たちの視線が、一斉に翔真に突き刺さる。
非難と恐怖と興味が入り混じった眼差しに、翔真は背筋がぞわりとした。
(や、やばい……! いくら練習とはいえ、血吹き出させたのは……マズすぎるだろこれ!)
額に冷や汗がにじむ。
ローナルドが「見事だ」と笑ってくれなければ、完全に犯罪者扱いだ。
翔真は必死に短剣を腰に戻し、目を逸らした。
(……俺、本当にこの部でやっていけるのか?)
グラウンドのざわめきの中、翔真の心臓は嫌な汗をかくほど早鐘を打っていた。
グラウンドに緊張と興奮が入り混じった空気が漂っていた。
ローナルドへの一撃で騒然となった空気は、次第に別の方向へ熱を帯びていく。
「……今の、やっぱりバックスタッフだよな?」
ザグが口を開いた。その目はギラギラと輝き、恐怖どころか羨望に満ちている。
「翔真、お前……すげぇじゃねえか!」
力強い笑みと共に親指を立て、ザグは心の底から称賛を送ってきた。
続いて、トマーティオが大げさに両腕を広げる。
「まさか、ここまでの技をやるとはな! 痺れたぜ!」
リオーナも小さく頷き、頬を紅潮させて言う。
「わたしも……やってほしい。あの感覚を、この身で知りたい……!」
気づけば、他の部員たちも口々に同じことを言い出す。
「オレにも試してくれ!」
「いや、次は俺だ!」
「頼む、今の一撃を体感させてくれ!」
翔真は思わず一歩引いた。
「え、いや、あれは……」
だが勢いに押されるように、翔真は短剣を握り、ザグの背後へ。
次の瞬間――再び“影”から滲み出るようにして現れ、喉元へ鋭く一閃。
ザグの口から鮮血が吹き出した。
それでも彼は、両腕を広げて笑う。
「ぐっ……! すげぇ! 本当に何もわからなかった……! かわせるはずがねぇ!」
その反応に、部員たちの興奮はさらに高まった。
「オレも! 次はオレの番だ!」
「早くやってくれ!」
「これほどの技、体で学ばなきゃ損だ!」
翔真は額から冷や汗を垂らしながら、次々と迫りくる仲間たちに短剣を突き立てていく。
そしてそのたび、喉から血を吹き出しながら笑い、賞賛を浴びせてくる部員たち。
――誉めてくれるのはありがたい。
でも。
(……やばい。やっぱこの世界の人たち、感覚おかしい……!)
歓声と血飛沫に囲まれながら、翔真の背筋を恐怖がひやりと撫でていった。




