サッカーを、本気でやりたい気持ちは同じ
新しい仲間――という名目でトマーティオを迎え入れたものの、チームの空気はお世辞にも和やかとは言えなかった。
その日の練習。翔真たちがいつも通りボールを回していると、すぐに鋭い声が飛ぶ。
「おい! 何をちんたら蹴ってる!」
長髪を風になびかせながら、トマーティオが苛立ちを隠さず叫んだ。
「パスが遅い! トラップが甘い! お前ら……こんなもんじゃ戦えねぇ!」
強烈な視線がチーム全員を射抜く。
「言っとくがな――俺からすれば、魔法を使わずとも余裕で勝てる。お前らの動きは、俺一人で十分止められるレベルだ」
その高圧的な物言いに、グラウンドの空気が一瞬でピリついた。
「てめぇ……なんだと!?」
坊主頭のザグが立ち上がり、目つきをさらに悪くして睨み返す。
「俺たちをバカにしてんのか!」
「下手くそ呼ばわりされて黙ってられるか!」
デコーズやスバースまでが声を荒げ、練習は完全にストップ。
「やめろ!」
ローナルドが酒臭い息を吐きながら割って入る。
「喧嘩しても意味ねぇだろ。……だったら簡単に決めりゃいいじゃねぇか」
彼はニヤリと笑い、手にしていたボールを軽く放った。
「トマーティオ一人と、お前ら十一人――どっちが強ぇか試してみろ」
「はぁ!?」
翔真は絶句した。
「十一対一って……それ、逆にこっちが恥かくパターンじゃ……」
しかし、トマーティオは挑発的に笑みを浮かべる。
「ふん、面白い。十一人まとめて相手してやる。俺の実力を思い知れ!」
こうして、前代未聞の “1対11の試合” が幕を開けた。
「……いいか、お前ら。俺は魔法を使わねえ」
トマーティオはコートの中央に立ち、胸を張って宣言した。
「ハンデだ! 魔法なしでやってやるよ!」
その言葉に、ザグが眉をひそめる。坊主頭のずんぐりした体を震わせ、悪い目つきでトマーティオを睨みつけた。
「……てめぇ、バカにしてんのか?」
「おい翔真! ぶっ飛ばしてやろうぜ!」
他の仲間も同じように顔を真っ赤にし、怒号が飛び交う。
「落ち着け!」
翔真が両手を広げ、必死にザグらをなだめた。
「挑発に乗ったら相手の思うツボだ! 俺たちで止めてやればいい!」
短い笛の音。即席の1対11の試合が幕を開けた。
ボールを持ったトマーティオは、余裕の笑みを浮かべて前に進む。次の瞬間――。
ドッ!
ザグが体当たり気味に突っ込む。しかしボールどころか、肩すら触れられない。トマーティオの足元のボールはまるで意思を持つかのようにスルリと抜け出し、ザグは空振り。
「なっ……!」
続けざまにキース、デコーズ、そして翔真が囲みにかかる。
だが、トマーティオは一歩踏み出すだけで三人の連携は空を切る。
「速ぇ……!」
「いや……違う、速さだけじゃねえ!」
翔真が読み切ってスキル【スティール】発動――ボールをスティールできるはずだった。
だが、その瞬間、トマーティオの身体はするりと一歩だけ範囲外に滑り込み、まるで先読みしていたかのように避けた。
シュルッ、とボールはまだ彼の足元にある。
「嘘だろ……俺の間合いを、外された……!」
翔真が愕然と呟いた。
魔法を使っていない――それでも彼は別格。
11人の必死の守備を、1人の力だけで切り裂いていくその姿に、全員の心臓が高鳴った。
コートの端。
仲間たちが翻弄される様子を、ただ一人、リオーネは静かに見つめていた。
額にかかる長い前髪の下、その瞳は氷のように冷たくも、どこか炎を宿している。
ボールを自在に操り、まるで舞うように11人をいなし続けるトマーティオの姿。
リオーネの胸の奥で、なにかがざわついていた。
「……ずいぶん真剣だな」
不意に隣から声がかかる。
ローマリオだった。酒を手にすることの多い彼にしては珍しく、今は真面目な表情をしている。
「……別に」
リオーネは短く返した。言葉こそ冷たいが、その視線は一瞬たりともトマーティオから外れない。
ローマリオは顎に手をやり、軽く笑う。
「もしお前があの中にいたら、どうする? ……トマーティオを、どう止める?」
問いかけに、リオーネは答えない。
ただ無言のまま、鋭い瞳でコートを射抜くように見据え続けた。
その目は――ただの観戦者のものではない。
獲物を狙う狩人の目。
燃え上がる挑戦者の目だった。
やがてローマリオは小さく息を吐く。
「……やれやれ。目が物語ってるじゃねえか」
リオーネの沈黙は、言葉以上に雄弁だった。
――ズドンッ!
トマーティオの足から放たれたシュートは、誰も反応できぬほどの速度でネットを突き破る勢いで突き刺さった。
試合終了の笛が鳴る前に、翔真たちの心は折れていた。
「……これが、力の差か」
膝に手をつき、息を荒げながら翔真が呟く。
ザグもデコーズも、誰もが言葉を失っていた。魔法なしでこの圧倒的な差――思い知るしかなかった。
その沈黙を破ったのは、静かな声。
「……次は、私だ」
リオーネだった。
涼しい顔のまま、しかしその瞳は鋭く燃えている。彼女は一歩、トマーティオに歩み寄ると真正面から告げた。
「トマーティオ。私と勝負しろ」
ざわり、と空気が揺れる。
予想外の言葉に、翔真もザグも思わず顔を上げた。
「はぁ? 女子がサッカー? 冗談だろ」
真っ先に笑ったのはザグだった。
腕を組み、肩を揺らしながら鼻で笑う。
「男の俺たちですら歯が立たなかったんだ。リオーネ、無理に決まってんだろ」
だがリオーネは動じない。
長い髪を払い、まっすぐにトマーティオを見据える。
「私なら――止められる」
その声音に、冗談も虚勢もなかった。
ただ一つ、燃える決意だけがあった。
「女子がサッカー? 馬鹿げてるぜ」――ザグの嘲笑にかぶせるように、低く落ち着いた声が響いた。
「……お前、時代遅れもいいとこだな」
トマーティオが鼻で笑い、腕を組む。
「この世界じゃ、女がサッカーするのは普通だ。国によっちゃ女子代表のほうが強ぇところだってあるんだぜ」
思わぬ言葉に一同はどよめく。
ザグは口を開けたまま絶句し、翔真は目を瞬かせた。
リオーネはただ静かに頷き、その瞳に自信を宿す。
「……ふむ、そういうことだな」
口を開いたのはローマリオだった。
いつの間にか片手にジョッキを握り、酒をぐびりとあおっている。
「世界は広い。俺が旅をした国々では、女も男も関係なくボールを追ってた。南の大陸じゃ女のゴールキーパーが“鉄壁の女王”なんて呼ばれてたしな」
語るその顔は、酒気を帯びながらも妙に真剣で、どこか懐かしさを帯びていた。
「……つまりだ」
ローマリオはジョッキを置き、リオーネへと視線を投げる。
「やってみる価値はあるってことだ」
リオーネは深く息を吸い込み、力強く答えた。
「――お願いします。勝負、受けてください」
その瞬間、トマーティオがにやりと笑った。
「いいだろう。逃げはしねぇ。お前の力、見せてもらうぜ」
重く、張りつめた空気がグラウンドを包んでいく。
リオーネとトマーティオ――二人の勝負が、ついに始まろうとしていた。
フィールドに二人だけが立った。翔真たちも、ザグたちも、誰ひとり声を出せない。
空気は張りつめ、視線はただ一点――リオーネとトマーティオに注がれていた。
「……いいだろう」
トマーティオは長い金髪を払って笑った。
「ハンデだ。さっきと同じく――魔法なしでやってやる」
その言葉に、場がざわつく。
「ちょっ、またかよ! 俺らですら魔法ありで完敗したのに!」
翔真が叫ぶ。
だが、リオーネは目を細め、冷たい声で返した。
「舐めすぎよ。……女だからって手加減されるのは、一番腹が立つわ」
ピッチに立つその姿は、普段の穏やかさを失い、まるで別人のようだった。
「いくわよ」
リオーネが右手を掲げる。瞬間、無数の光の玉が宙に生まれ、雨のようにトマーティオへと降り注いだ。
「――光玉連撃豪雨!」
眩い閃光がフィールドを埋め尽くす。
観客のように見守る翔真たちの目にも焼きつき、思わず腕で顔を覆うほどの光。
しかし――
「……軽いな」
その中から歩み出てきたのは、平然としたトマーティオだった。
光の玉が身体に当たるたびに小さな爆ぜる音がするが、彼は片手で払いのけるように進んでくる。
「な、なんで……!?」
翔真が絶句する。
リオーネは必死に魔法を撃ち続ける。
だが、トマーティオの歩みは止まらない。
「そんな程度で俺を止められると思ったのか?」
金髪が光を反射しながら、トマーティオは彼女へ迫っていった。
フィールドに、光の雨が絶え間なく降り注いでいた。
リオーネの両手から迸る魔力は尽きることなく、無数の光玉が空を覆い尽くし、嵐のようにトマーティオへと叩きつけられる。
「……っ、まだ撃つのか!」
翔真は呆然とした。
魔法を使うたびに体力も精神も削られると聞いていた。普通なら数発で息が切れるはずだ。
だがリオーネの瞳は爛々と輝き、止まる気配がない。
トマーティオは眩い光の中を歩きながら、わずかに眉をひそめた。
「チッ……しつこいな」
苛立ちがその声に滲む。
リオーネはさらに魔力を込める。
「まだよ……まだ足りない!」
今度は光の弾が嵐のように密度を増し、連撃はまるで豪雨から暴風雨へと変わった。
地面に大穴が穿たれ、フィールドが白く輝き続ける。
さすがのトマーティオも立ち止まり、鋭く息を吐いた。
「――仕方ない」
彼が低く呟いた瞬間、黄金の魔力が全身を包み込む。
「《魔法防壁幕》!」
轟音と共に、透明な幕のような結界が彼の周囲を覆った。
降り注ぐ光玉は次々と弾かれ、空気を震わせて消えていく。
「なっ……!」
リオーネは目を見開いた。
どれだけ重ねても、彼の防壁はびくともしない。
「お前の魔法――確かに鬱陶しい。だが、俺の前では通じない」
トマーティオは結界越しに笑みを浮かべ、リオーネをまっすぐ見据えた。
翔真たちはただその場で息を呑み、二人の戦いを見守るしかなかった――。
フィールドを照らす夕日の赤が、二人の姿を燃え上がらせるように染めていた。
魔法の豪雨を跳ね返したトマーティオは、結界を解き、リオーネをじっと見据える。
「悪くない……お前の執念、そして魔力。中途半端な奴らよりよほど強い。だからこそ――認めてやる」
その声音は、いつもの尊大さではなく、真剣な戦士のそれだった。
場に漂う緊張感が一気に増す。
リオーネは唇を噛み、そして笑みを浮かべた。
「なら――遠慮はいらないわね!」
次の瞬間、彼女の身体が風を切った。
「《疾風閃光ドリブル》!」
足元のボールが稲妻のように地を走り、リオーネ自身の身体が光の残像を引いて疾駆する。
そのスピードは翔真のスティールすら霞むほど。
観客同然の翔真たちは息を呑んだ。
「は、速ぇ……!」
だがトマーティオの目は冷静だった。
「ふん、直線勝負か――なら俺の方が上だ!」
彼は一歩踏み込み、地面をえぐるようなスライディングを放つ。
「《炎焔踏襲撃》!」
地面が燃え上がり、炎を纏ったタックルがリオーネに襲いかかる。
「きゃっ――!」
凄まじい衝撃。リオーネの身体は宙を舞い、鮮やかなドリブルは無残に断ち切られた。
ボールは鮮やかにトマーティオの足元に収まる。
「勝負ありだ!」
彼はそのまま立ち上がり、炎の勢いをまとった足でゴールに蹴り込む。
轟音。ネットが揺れ、ゴールが決まった。
「……!」
リオーネは地面に膝をつき、悔しさで歯を食いしばる。
翔真たちは声を失い、ただその圧倒的な差を目の当たりにするしかなかった――。
グラウンドに、リオーネの荒い息づかいだけが響いていた。
膝をついたまま、悔しそうに拳を握り締める彼女。
だが、やがてその拳をゆっくりと開き、顔を上げた。
「……負けよ。完敗だったわ、トマーティオ」
その言葉には悔しさだけでなく、どこか晴れやかな潔さがあった。
トマーティオはしばし無言で彼女を見下ろし――ふっと笑みを浮かべる。
「そうだな。だが、認めてやる。少なくとも――あのザグたちよりは、ずっと強い」
「なっ……!」
横で聞いていたザグの顔が一気に真っ赤に染まる。
だが、すぐに悔しさに飲み込まれた。
自分たちが試合でなにもできず、リオーネがここまで抗ったのは事実なのだ。
「……悪かった」
「ごめん」
「リオーネ、見くびってた」
ぎこちなく、だが真剣にザグたちは頭を下げる。
リオーネは一瞬驚いたが、やがて微笑んだ。
「いいわ。サッカーを、本気でやりたい気持ちは同じでしょ? 一緒にやりましょう」
その言葉に、チーム全体の空気が少し柔らぐ。
彼女の加入を、誰もが自然と受け入れていた。
「よし……これでまたひとつ、形になったな……」
フィールド脇でローナルド――いや、ローマリオは満足そうにグビリと酒をあおる。
相変わらず酔っぱらいの笑顔。だが、どこか監督らしい誇らしさも漂っていた。
翔真はそんな光景を、少し離れたところから黙って見守っていた。
胸の中に渦巻く不安と期待。
(……これで、本当にチームになれるのか?)
彼の心の声だけが、まだ風に溶けて消えていった――。




