雷鎚(ライトニングハンマー)!!
真夏の陽射しが、グラウンドに容赦なく降り注いでいた。白線は熱気に揺らぎ、芝の上に立つだけで汗が噴き出す。
その中央で、新澤翔真は立ち尽くしていた。北栄東中学のエースストライカー――のはずだった。
だが、スコアボードに刻まれた数字は無情だ。
「0 - 13」。
後半も残りわずか、完全な惨敗。サッカーであり得ない点差に、翔真は笑う気力すらなくしていた。
「……ふざけんなよ、こんな試合」
あまりに現実離れしたスコアに、絶望と虚脱感が胸を支配する。
そのとき、脳裏にかすかに蘇った言葉があった。
――諦めたら、試合はそこで終わりだ。
ベンチから聞こえた監督の叱咤か、あるいは過去に誰かが言ってくれた言葉か。記憶は曖昧だ。けれど、翔真の心をもう一度燃やすには十分だった。
「……まだ、終わらせねえ」
彼は足を前に踏み出した。相手の華麗なパスワークに割って入り、無理やり身体をぶつける。倒れてもいい、反則ぎりぎりでもいい。ただ、もう一度だけボールを奪ってゴールを目指すんだ。
その瞬間だった。
ガツッ――!
強引に割り込んだ翔真の顔面に、相手選手の肘が鋭く入った。視界がぐらりと揺れる。
「あ、……」
喉から声が漏れたかどうかもわからない。
世界が一瞬で暗転していく。耳鳴り、熱気、歓声、すべてが遠のく。
――そして、翔真の意識はブラックアウトした。
――耳をつんざくような歓声で、翔真は意識を取り戻した。
「……う、うあ……?」
まぶたを開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。
観客席が――延々と天を覆うほど広がっている。
数万人どころではない。十万? いや、それ以上か。
スタジアムを揺らす轟音のような大歓声。
「……は? 地区予選、だよな? これ」
さっきまで炎天下の片田舎グラウンドで、惨敗中のスコアを見ていたはずだ。だが、掲示板に目をやると―― 「1 - 0」。
接戦? さっきまで13点差じゃなかったのか?
「……え? ワールドカップ? いやいやいや、待て待て。俺、中学の地区予選で……」
意味不明すぎて頭が追いつかない。
そんな翔真に、背後からドスの効いた声が飛ぶ。
「おい! 立て! 取り返すぞ!」
振り向けば、筋肉の塊みたいな男が仁王立ちしていた。肩幅がドア二枚分、首は太い丸太のよう。全身から“プロどころじゃない迫力”がにじみ出ている。しかも、周囲を見渡せば――ピッチに立っているのは全員、大人の男。誰も彼もが屈強で、場違い感が半端ない。
「え、ちょ……!」
翔真が言葉を発する間もなく、その巨漢が首根っこをわしづかみにする。
「ぐえっ!」
抵抗する間もなく、軽々と持ち上げられ、次の瞬間にはピッチの前線に“配置”されていた。
……そこは 3-6-1のフォーメーションのワントップ。
「おいおいおい……嘘だろ? この猛獣みたいな連中の中で、俺が……ワントップ?」
困惑は限界突破。頭の中が真っ白になる。
だが、審判の笛が甲高く鳴り響いた瞬間、問答無用で試合は再開されてしまった。
「――は、はじまっちゃったぁ!?」
心臓がバクバクと暴れていた。
頭は状況を理解できていない。けれど――試合は待ってくれない。
「……くそっ、やるしかねぇだろ!」
叫ぶように自分を奮い立たせる。
地区予選でも、ワールドカップでも、どこだろうと。ピッチに立った以上、サッカーをやるしかない。
――その瞬間だった。
味方の中盤が相手を吹き飛ばすようにボールを奪い取った。
スタジアムがどよめく。次の刹那、鋭い縦パスが前線へと放たれた。
「えっ、俺っ!?」
気づけば、目の前のスペースがぽっかりと空いている。
身体が勝手に反応し、足が地面を蹴った。
スパイクが芝を切り裂き、疾風のように駆け抜ける。
ボールが――自分の走り込みにぴたりと合って転がってきた。
「……よし!」
新澤翔真。中学の地区予選では何度も繰り返した動作。
それでも、この巨大スタジアムの空気の中では、初めて踏み出す一歩のように震えた。
彼は、確かにパスを受け取ったのだ。
ボールを足元に収め、前へ駆け抜ける。
その行く手を阻むように、一人のディフェンダーが立ちはだかった。
「来いよ……!」
新澤翔真は息を整え、心の中で呟く。
――大丈夫。ドリブルは得意だ。何人抜かれても、何度倒されても、それだけは誇れる。
相手が誰であろうと、抜き去ってみせる。
そう決意して踏み込んだ、その瞬間。
「――雷鎚!!」
轟音と共に、観客席から地鳴りのようなどよめきが沸き起こる。
敵DFの腕が振り下ろされると同時に、その手から――眩い稲光が解き放たれた!
「なっ……!?」
空気が弾ける。
雷撃は槌のような重みを帯び、真っ直ぐ翔真めがけて落ちてくる。
「うおおおっ!?」
反射的に横へ飛んだ。身体を投げ出し、芝に転がる。
間一髪――その稲妻は翔真の身体を掠めることなく通り抜けた。
だが次の瞬間。
ズガァァンッ!!
雷撃は、翔真が必死に守ろうとしていたボールを直撃した。
爆ぜる光。焦げ付く芝。ボールは黒煙を上げながら、地面に沈み込むように焼けただれた。
「……う、嘘だろ……サッカーで……雷!?」
呆然とする翔真の耳に、なおも響き渡るのは観客の熱狂。
まるで、それが当たり前のルールだとでも言わんばかりに――。
焦げ付いた芝の匂いが鼻をつく。
視界の端で、黒く炭化したボールがまだ煙を上げていた。
――雷。サッカーで、雷。
あり得ない。常識で考えれば絶対に。
けれど、今目の前で起こったのは紛れもない現実だ。
「……ここは……違う……」
頭の奥底で、冷たい理解が芽生えていく。
――ここは、俺が知っている世界じゃない。
これは“異世界”。そして、ここで行われているのは“異世界のサッカー”。
「翔真! まだだ、立て!!」
低く響く声にハッとする。
顔を上げれば、焦げたボールからこぼれた球を味方が拾い上げていた。巨漢のミッドフィルダー、その足元でボールが力強く転がる。
「……!」
迷っている暇はなかった。
声に従うように、翔真は芝を蹴って立ち上がる。
次の瞬間、鋭いパスが一直線に自分へ飛んできた。
「――っ!」
反射的に足を伸ばす。
確かにボールが、再び翔真の足元に収まった。
観客の歓声がさらに膨れ上がる。
異世界のスタジアムのど真ん中で、翔真は再び勝負を託されたのだ。
再びボールを足に乗せ、翔真は前へと突き進む。
ドリブルのリズムが戻ってくる。――そうだ、サッカーは俺の領域だ。
相手が大人でも、異世界でも、抜いてやる。
「いける……!」
だが――次の一歩で、異変が起こった。
「……え?」
右足が、前に出ない。
力を込めても、まるで地面に縫い付けられたように動かない。
左足も同じだ。身体はまだ動くのに、足だけがまるで鉛のように重い。
「な、なんだこれ……!?」
その瞬間、目の前に迫る敵DFが不気味に笑った。
「――影縫い」
低く呟かれた声に背筋が凍る。
慌てて視線を落とすと――足元の芝に伸びる自分の影。そこに、黒光りするクナイのような刃が深々と突き立てられていた。
影が、杭で打ち抜かれたみたいにピクリとも動かない。
それに合わせて、自分の足も動かせなくなっているのだ。
「……っ! まさか……影を縛られてる!?」
眼前には、じりじりと距離を詰めてくる敵DF。
雷に続いて今度は“影”。
――これが異世界のサッカー。ルール無用の、異能の戦場なのか。
「……なら、抜けるしかねぇ!」
翔真は足元の影に刺さったクナイへと手を伸ばした。
ぐっと力を込め――
「ぬおおおっ!!」
金属が軋む感触と共に、影ごと地面からクナイを引き抜く。
束縛が解けた瞬間、足が自由を取り戻す。
「っしゃあああ!」
ボールを前に押し出し、再び走り出す。
――反則だろうが、異能だろうが関係ない。
こんなサッカーに負けてたまるか!
翔真は必死に食らいついた。
けれど――それは始まりに過ぎなかった。
「炎槍!」
「氷刃!」
「風裂!」
次々と襲い掛かるのは、剣、槍、そして魔法。
剛腕のディフェンスは鋼の壁のように立ちはだかり、魔法の弾幕がピッチを覆い尽くす。
「くっ……!」
ドリブルはことごとく止められ、パスも寸断される。
ただの中学生ストライカーに、どうこうできる相手じゃなかった。
反撃の糸口すら掴めないまま、時間は過ぎていく。
そして――
ピイイイイイイイイッ!!
無情なホイッスルが、スタジアムに響き渡った。
試合終了。
「……俺……何も、出来なかった……」
息を切らし、膝から崩れ落ちる翔真。
異世界のサッカーは、あまりにも理不尽で、絶望的だった。




