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前編 修理の依頼

 新しい日時計を手に旅立つ若いダイバーの背を見送ったその後。

 ドアチャイムの音色が消える間もあらばこそ。するん、と、大型の柱時計の右肩から白い蛇が顔を覗かせた。


「まーたタダで付与をやったな、シノリア」

「クロノさん」

「しようのないやつだ」

「投資です。投資。そのうち彼きっとめちゃくちゃ稼ぐダイバーになって、ハイエンドモデルばんばん買ってくれちゃいますよ」

「お前なぁ」

「ナツメヤシ食べます?」

「くんたま希望」

「グルメサーペントめ……」


 長さで言えば、一メルテ(メートル)ほど。

 青白い鱗と艶やかな黒い両目が絹のように美しい蛇の精霊ジンはひょいひょい棚を渡ってシノの手元まで移動した。名前はクロノロス。命名者はシノ。クロノスとウロボロスが混濁した結果である。


「最近、洞窟ウズラの卵も肉も高いんですよ」

「家禽でもよろしい」

「もっとお高い!」

 戯れに悲鳴を上げて、おやつの籠から拳大の卵を取り出し、蛇の口へと与える。殻付きのまま燻製されていて表面は茶色く多少のひびが入っていた。

「味わかんないくせにー」

「食味は喉越し、香り、温度、魔素で構成されるものだ」

 そして卵の殻をくしゃくしゃするのも好きらしく、殻がないと怒る。シノが食べる分の燻製卵は殻を剥いて味付けしてから作るので非効率なことこの上ない。


「くんたまはお前の世界の叡智である」


 しかつめらしく蛇が言う。


「そこに集約されると泣けるんですけど、お蛇さま」

「何を言う。お前の記憶でこれほど役に立つ知識は他にあるまい」

「メートル原器でぶん殴りたい」


 ため息をこぼして二番煎じのお茶を淹れ、小さな干し柿といった風情のナツメヤシを茶請けにちびりとやる。


「燻製卵があっちの世界の叡智なら、お醤油込みで欲しかったなぁ」


 贅沢を言うなら既製品のめんつゆが欲しい。

 シノは煮たり漬け込んだりで味をつけたゆで卵が好きで、燻製卵はある種その派生として作るようになった。『あじたま』からの『くんたま』だ。

 味玉はめんつゆで作ると手早く美味しいという知識がある。しかし実現は遠かった。


 めんつゆ、ないしそれに類する甘じょっぱい焦げ茶色の調味液に、醤油は不可欠である。

 少なくともこの迷宮都市に醤油はない。シノは醤油の製法をよく知らないし、それに適した発酵を起こす菌をまぐれにでも見つけられる気がしない。仕方ないのでハーブと塩漬け肉をベースにした塩だれを料理の基軸にしている。悪くはないのだが、知っている味があると欲も出る。


「食べ物、似たようなの多いから、この世界のどこかにはお醤油があると信じたい」

「蛇は知らぬがな」

「夢くらい見させてくださいクロノさん」

「おかわりくんたまを所望する」

「一日二個までの約束ですよ。食べたら今日は終わりですよ。出しますか」

「むうっ」


 シノが自身の脳髄に息づく別の世界の記憶に気付いたのは、よわいにして五歳の頃である。科学という名の学問があり、ダンジョンも魔法も精霊も架空にしか存在しない世界。


 一方でシノが暮らすここアルケトは大陸でも有数の迷宮都市。ほとんどのことがダンジョンを中心に成り立っている。ダンジョンは冒険の場であり、資源と職を供給する産業の源だ。蛇のクロノがもしゃもしゃしていた卵もダンジョン産。

 鉱物も動植物もかなりの産出があって、ダンジョンは鉱床と狩場と漁場と採取地を兼ねている。自然とそこへ潜る労働者も数限りなく、そうなれば彼らは飲み食いし、服を着て靴を履き、宿や家で休むのだから関連の小売店は枚挙にいとまがない。この街でダンジョンに絡まない仕事を探す方が難しいだろう。


「こっちにしときなさいね」


 ナツメヤシ(デーツ)を一粒、蛇の口に噛ませてやる。

 この世界での名前は多少異なるが、多くの動植物はシノの頭の中の別世界のものと品種のバリエーション程度しか違いがない。シノにとってはポテトと呼ぶかじゃがいもと呼ぶかぐらいの差だ。

 もにょもにょ口を動かしていたクロノがふと止まる。ばくんとナツメヤシを呑み込んで、稲妻のように時計の隙間へ消えていった。

 シノは席を立ち、クロノのためのおやつ籠を棚へ戻した。


「シノ、いる?」


 しゃららんとドアチャイムを揺らして誰か入ってきた。

 日が上がってきたようで、天窓から降り注ぐ日差しが朝より明るくなっている。

 直射日光が商品を傷めることがないように天窓にはすりガラス状に加工された薄い水晶のカバーが設置されており、そこを通った優しい白い光はふんわり来訪者の姿を照らす。


「あれ、サリアン?」

「お疲れすー」


 ボリュームのある赤毛をポニーテールに結い上げた、鼻周りのそばかすが魅力的なその女性はシノも顔見知りのサリアンという調剤師だ。

 シノと同じホモサピエンス系の人間で、この世界の言葉では、はだか耳(エララヴ)と呼ばれることもある。

 エルフや獣人の耳には体毛や鱗の特徴が見られることが多いための名称だ。


「シノお茶飲んでる。休憩中?」

「大丈夫だよ。どうしたの、今日は」


 サリアンとシノは仕事を通じて知り合ったが、彼女が時計屋の客なのではなく、シノがサリアンの勤める大きなポーション工房の客なのだ。薬剤を手広く扱うその工房で、時計屋のシノは潤滑剤グリスや洗浄液などを定期的に購入していた。


「これ。壊れちゃったんだけどさ、直る?」


 取り出されたものにシノの瞳孔が大きくなる。

 まさに先ほど新人ダイバーがきらきらした目で見つめていた多機能腕時計。スタンダードモデルより機能の多いタイプのダイバーズウォッチだ。

 迷宮都市の職人は自分でダンジョンに潜って素材を手に入れる者も多い。そうでなくても頑強で性能の良い潜航者用の時計はダイバー以外にも広く人気があった。


「見せて」


 カウンターの内側に腰掛け、ぱちりと照明をつけて拡大鏡を片手に取る。布で表面を軽く拭いてざっと全体に視線を走らせた。基準に使っている柱時計と見比べても時刻に差異はない。時間は合っているようだ。


「動いてはいるんだね?」

「ストップウォッチが効かないんだよ」


 サリアンの訴えにシノはぱちくりと瞬きした。

 ストップウォッチは、こう言ってはなんだが、最初は面白がって購入したユーザーでもいつの間にか使わなくなっていることの多い機能である。色々と便利ではあるのだが、ことにダンジョン探索中などの慌ただしい環境ではボタンを押して待つようなのんびりした作業は煩わしく思われがちだ。どちらかというとデザイン面とステータスから選ばれやすい見栄え寄りの機能だった。


「ストップウォッチ使ってるの?」

「使うよー。ないと困るんだぁ」

「何に?」

「なんにでも使うよ。調剤って時間を計る作業多くって」

「はあ!?」


 シノは客商売にあるまじき大きな声を出した。


「工房に計時器とかないの?」

「けーじき?」

「ストップウォッチだけの時計みたいなやつ。調合なんて時間が肝心なことだって多いでしょ? まさか皆、自分の時計で抽出時間とかそういうの計ってるとか言わないよね?」

「備品に赤砂時計はたくさんあるから、使ってる人もいるよ。でもあたしはこっちのが便利でさー」

「砂、時、計!」


 オーマイゴッドの詠嘆リズムで時計屋のシノは頭を抱える。


「ふ、ふふふ……」

「し…、シノ?」

「いいでしょう、分かりました」


 キュッと口元を引き締めてシノは袖をまくる。


「まずはこの時計をやっつけます。最低三日のお預かりになる見込みです。が」

「が?」

「故障状況の確認の後に、少々、お時間、いただきます」

「なんか怖いんだけど!?」


 産業用タイマーを、買え。


 幸いなことに、呟いたシノの声は地獄から響くかのように低すぎて、サリアンの耳には届かなかったようだった。




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