第3話 「死んだら、どこへ行く?」
このお話は、「死んだら人はどこへ行くのか?」という、子どもも大人もふと立ち止まりたくなる問いから始まります。
ぼくらは、もう会えない人のことを、忘れたくないと思うことがあります。
けれど、それは“記憶”の問題だけじゃないのかもしれません。
この物語で、タケルとアスが見たもの、感じたものが、読む人それぞれの「心の中の誰か」へ、そっと手を伸ばすきっかけになれば嬉しいです。
1.「見えない先生」
「それじゃあ、社会の教科書三十四ページを開いて──」
先生の声が、どこか遠くに聞こえていた。
黒板の文字の横で、アスがじっと窓の外を見ていた。教室のざわめきの中で、彼だけが静かだった。
「……アス?」
授業のあと、タケルがそっと声をかけた。
「さっき、なに見てたの?」
アスはしばらく考えてから、ぽつりとつぶやいた。
「学校の前に、誰かが来てた」
「え?」
「死んだ人だよ。たぶん……先生」
「先生って……誰の?」
アスは答えなかった。
だけどタケルの胸の奥に、ひゅっと冷たい風が吹いた気がした。
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2.お寺のろうそく
その夜。お寺の本堂で、兄がロウソクに火を灯していた。
「兄ちゃん……死んだ人って、見えることある?」
「どうした?」
「もしさ、亡くなった人が、学校に来てたら……それって、変?」
兄は手を止めて、静かに言った。
「ぜんぜん変じゃないよ。思い残したことがあったら、人の心の中にちゃんと残るんだ。気配になって、姿になって。ときには、“伝えたかったこと”の形になることもある」
「じゃあ……ぼくたちが“気づいたら”、どうなるの?」
「それはね、死んだ人にとって、“ほんとうに存在できた”ってことになる」
タケルは黙ってうなずいた。
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3.旧職員室の足音
次の日。アスが放課後にぽつりと言った。
「今日、旧校舎に行こう」
「え?」
「たぶん、先生が待ってる」
タケルは少し戸惑ったけど、アスと一緒に夕暮れの校舎の裏へ回った。旧校舎は今は使われていない。板張りの廊下にほこりが積もり、時間が止まっているようだった。
ふたりはゆっくりと歩いた。
ギシ……ギシ……と、廊下が鳴く。
「ここ……誰も使ってないよね?」
「でも、今朝、足音がしたんだって。誰もいないはずなのに」
アスは旧職員室の前で立ち止まった。
「開けてみて」
タケルはドキドキしながら、ドアをそっと開けた。
そこに、いた。
――うすい光の中、机のそばに立つ女の人。黒いスーツ、まとめた髪。どこか懐かしい、でも声が出ない。
「……あれって……先生?」
タケルの声が震えた。
「去年……春に急に倒れて、亡くなった……理科の先生……!」
女の先生は、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
そして、優しく微笑んだ。
まるで、「よく来たね」と言っているようだった。
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4.風の中の言葉
帰り道。
夕暮れの風が、ゆっくりと吹いていた。
タケルは言った。
「先生、なんでここにいたのかな」
「伝えたかったんだよ。ほんとうは、もっと教えたかったのかもしれない」
「……でも、もういないんだよね?」
アスは静かにうなずいた。
「でも、僕たちが“ちゃんと見た”ってことが、大事なんだ。“いた”って、証明することになるから」
タケルは、風の音のなかで、かすかに先生の声を聞いた気がした。
「ありがとう。よく見つけてくれたね」
そんな言葉だった気がした。
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5.うちゅうかんさつノート
夜。タケルはノートを開いた。
> 《うちゅうかんさつノート3》 「死んだ人は、いなくなるんじゃない。 “ちゃんと見つけてもらえないと”、さびしく残る。 でも、気づいたとき、その人は“ここにいた”って証明される」
ページのすみに、アスの小さな字が添えられていた。
「“いま”を観るってことは、その人の人生を、ちゃんと“完結させる”ことなんだよ」
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その日から、旧校舎の窓に差す夕焼けが、どこかあたたかく感じられた。
タケルには、窓の向こうで先生が小さく頷いているように見えた。
“見つけてもらう”ということは、きっと死んだあとにも意味がある――この物語を書きながら、そんなことを思いました。
存在するとは、「ここにいた」と誰かにちゃんと見つけてもらうこと。
それは、科学で言えば「観測」、仏教で言えば「供養」、そして日常で言えば「想うこと」なのかもしれません。
タケルたちの観察ノートは、宇宙のことだけじゃなく、“心の宇宙”も観ているのです。
静かだけど確かな優しさを、この物語のなかに見つけてもらえたら嬉しいです。