4. 冷血皇帝は娘に褒められたい
「アレクサンダー皇帝陛下……!そ、それはしばしお待ちを」
そろそろこの婚約話も落ち着くだろうと思われた頃、私たちの話を聞きつけたアグリゼル国王――つまりクリステル様の父親である――が駆け付けてきた。
「なにか問題でも? 先程まさに、貴殿のご息女が彼に婚約破棄を申し渡したばかりではないか??」
「そ、それは……そうなのですが……」
大帝国の皇帝まで招いた婚約式の場。
本来なら、決して主催国の王女が婚約破棄など宣言して良い場ではなかった。
そこに付け入ることを決めたであろう父上が、すかさず口を開いたのだ。
「先ずは礼を言おう!面白いものを見せてもらった」
もう主導権はこちらに移った——と宣言するに等しい言葉だった。
心地よく落ち着いた、それでいて重厚感溢れる声。
むしろ上機嫌で、父上は話を続ける。
「それに、私にとっては実に好都合!!娘にいいところを見せられるからな……コホンッ」
小さな咳払いと共に頬を赤らめる姿は、なんとも可愛らしい。
一人娘を溺愛するあまり、一瞬にして『冷血皇帝』の仮面はずり落ちたのだ。
そう——鋭い目に薄く引き結ばれた唇——『冷血皇帝』で名の通る父上だが、娘に褒められたいと願ってしまったこの瞬間だけは、持ち前の威圧感も存在感も全く発揮することができなかったのである。ただの優しいパパ。
私の父、アレクサンダー陛下は、今年で41歳。若くして皇帝の座につき、わずか二年で大陸の三分の二を制した——史上稀に見る傑物だ。そして訳あって『血塗られた玉座』に座り、国が無くなるのではないか?と思われるほどの大粛清を冷酷非道な方法でやってのけた『暴君』でもある。
その事実は、悲しきかな——まだまだ近隣諸国の記憶には新しい。
内外問わず、今でも父上を恐れる者がほとんどだ。
そんな彼が唯一愛する存在、命に代えても守ると誓った存在、それが一人娘の私——マリソルだ。自分で言うのも恥ずかしいけれど、度を越した寵愛を受けて育った自覚がある。(父上の『心の一番』は母上だから、もちろん私は『生きている人間のなかの一番』だけれどね)
だからこそ、私は婿選びをしくじれない。
父上にも幸せな老後を過ごしてもらいたいから——。
そうねぇ、50歳くらいでリタイアさせてあげられたらいいなぁ。
漠然とではあるけれど、そう思っている。
そうなると夫は——『皇帝』も務まる人——私より優秀な人じゃなきゃ!!
ハードルはぐんぐんと上がるばかりなのである。
そんななか、運命を感じる一瞬が訪れた。それは先ほどの、アグリゼル王国王女クリステル様とフェルミゼル王国第三王子リカルド様による『婚約破棄』の瞬間だ。彼らにとっては悲劇の瞬間だろうが、私にとっては歓喜の一瞬だったのだ。
王女の愚かさを嘆きながらも一方で、リカルド王子を手に入れられるかもしれない——と、心中は浮き足立ち、喜びが全身を駆け巡ったのを思い出す。
皇位に相応しい相手を選ぶか、自分の気持ちに正直になるか?
両方でしょう!?と意気込むこと10回、今までは一度も叶わなかった——。
それがあの一瞬で『今までのことは全て、今日のためにあったこと』と思えるくらい、状況が一変したのだ。
「あぁ神様、ありがとうございます。……叶えてください」
「ん?何か言ったか?」
ニヤリと笑う父上の表情を見た瞬間、私は肯定されたと感じた。
思わず漏らした私の一言が全て肯定された——そんな気がしたのだ。
だってそれは、父上も彼を認めたということだから。
「父上、ありがとうございます。……いずれは」
「そう意気込むな、ポンコツよ」
「……ふざけないでくださいっ!」
この他愛もない『親子』の会話。
この幸せな会話にもう一人加わる日、他愛もない『家族』の会話を始める日が楽しみになった。
◇
父上には、心を許す側近がいる。
今この時にも陛下の後ろに控える、眉目秀麗かつ屈強な男だ。
彼の名は、アダム・タイラー。
タイラー侯爵家の次男で、現宰相の息子である。
彼は父上が皇太子の時から目をかけ育てた人物で、極めて有能。
その彼が今、肩を震わせながら見ているのは、娘のために奮闘する『冷血皇帝』の後ろ姿だ。
対外的な場において、他国から侮られるような発言、自らの弱みを匂わせるような発言は御法度。『娘にメロメロだ』などと広まっては、親子ともども危険に晒される可能性すら出てくる。
——のはずであるが、今まさに彼の主人は、そのどちらも躊躇うことなく公衆の面前で披露し、満足そうに笑っているのだ。
アダムにしてみたら『娘にいいところを見せられるから』とは、いったい何事か!?——といったところかしら?
微笑ましいを通り越して、笑ってしまったようね。
あまりにもあっさりと、父上が『冷血皇帝』の仮面を脱ぎ捨てたから。
アダムは、父上が皇位継承後すぐに始めた領地拡大の戦、父上が指揮を取った全ての戦に同行し、共に戦った同志でもある。
そして私の幼少期にも、深く関わってくれた。
国政や歴史、剣術などを指導する教育係、その一部を担ってくれたのだ。
——私たち親子にとって、家族と言っても過言ではない存在。
だからこそ、彼は吹き出したのだ。
皇帝皇女の真相、大袈裟に言えば『裏事情』を知っているだけにね。
そして後に聞いたところによると、己の主人『冷血皇帝』が、自らを『娘の切り札』として相手に差し出し——『パパ』を前面に押し出そうとする姿を見た瞬間、アダムは心からの純粋なエールを贈ったそうだ。
他でもない、フェルミゼル王国第三王子、リカルド・エリク・フェルミゼル殿下に。
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