隠し事
「ベスが可哀想ですよ!養っていた婚約者を妹に取られたんですから!」
「前から怪しいって皆言ってたんだから」
「家族も養って大変だけど、結婚するならね、生活が楽になるわねって言ってたところだったのに。ねぇ?」
うんうんと頷くのはベス嬢の同僚たちである。
ずんずんと中へ通される判事たちの後ろを歩きながら、少しお手洗いへと向かったついでに同僚の方々へ本日の用向きを話したらこれである。
同僚たちはベス嬢のことだと知るとワラワラと集まってたくさんお話してくれた。
どうやらベズ嬢の話題はタブーにはなっていない様子に、ザイス文官の見立てがハズレたことに思い至った。
「……それに、子どもだって出来てたのに」
「やっぱり?」
「可哀想に……」
「こら!余計なことを言うんじゃない!!」
ピシャリと浴びせられた怒鳴り声に、また私もビクリとした。
従業員たちは慣れているのか、スーッと散り散りに去っていく。
取り残された私はビクビクしながら急いで判事たちの元へ向かった。
そういえばここで逃げればよかったのに、私は判事たちの後ろに隠れることしか頭になかった。悲しいかな弱者は強者の威を借りるしかないことを、私は今日一日で学んだのだ。
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「申し訳ございません!!!!」
何が、でしょうか。怒る声も大きければ、謝る声も大きいようです。
出会い頭に工場長に頭を下げられました。
下げられたのは誰よりも良い椅子に当然の顔で優雅に腰をかけている判事に、ですが。
「頭を上げろ。今日は手短に、用件だけ伝える」
「はい。どうか、どうか私の首だけでご勘弁ください。これ以上は全従業員、その家族まで首を吊るしか無くなってしまいます!どうか、どうか!!」
工房長は何を早合点したのか、頭を上げるどころか地面に伏して泣き始めた。
命乞いである。経験はあれど、見るのは初めてです。
はわわわ、と判事とザイス文官を見やれば。面倒そうに資料を見たり、首を揉んだりしている。
ダメだ。この人たちは命乞いに慣れすぎているわ……!
「おお落ち着いてください。本日は別件でお話しをお伺いしに来たのです。あなたたちを害することはございません」
「あぁ、あぁ……っっ!」
がばりと床に伏せる工房長の背をそっと撫でれば、おいおいと激しく泣き始めてしまった。怖がらせてごめんなさい。この二人が急に来たら怖いですよね。わかります。
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「──ベスのことについて、ですね」
「評判も良く、気立ての良いお嬢さんだったとか」
「はい。よい職人になれると見込んでいたのですが……」
残念で、悔しいですよ。そう肩を落とした工房長は、センショーという名前とのことだった。
ちょうどベス嬢の父親と同じ歳のようで、娘のように感じていたと彼はつづけた。
ちなみに判事やザイス文官が声をかけようとすると怯え始めるため、今回のお話し役は私だ。
「人に恨まれるような子じゃなかったですよ。息子の嫁にと声をかけたほどです。婚約者がいると断られましたがね。……苦労人で、放っておけない雰囲気がありましたね」
工房長は深く皺の刻まれた顔を覆い、深い溜息と共に顔を強く擦った。
「……あの最後の日も、吐き気が止まらないなんて言ってました。結婚間近という話でしたし、早い実りかと年配の従業員たちが今日は早く休めと彼女を帰したんですよ」
つまり先ほど同僚たちが言っていた件だろう。ベス嬢は妊娠の可能性があると言われていたのはこの件からかもしれない。
「事務所で休ませていれば、ベスは通り魔にも合わず助かったんじゃないかと思うと……」
どうやら工房には通り魔の犯行と伝わっているらしい。私が犯人だと誤情報が流れていないようで一安心である。
工房長は悲しそうに視線を伏せた。
従業員の一人といえども、家族のように胸を痛める工房長の姿に釣られて、私も目が熱くなった。
なんて素晴らしい人柄なのか。
ねえ、そう思いますよね?と視線を流せば、判事は薄ら笑みを貼り付け死んだ目をしている。
きっと、どうでもいいと思っているに違いない。
文官は工場の人員を数えて何やら計算をしている。きっと金勘定だろう。
この二人に人の心は無いのか。
私はどうやら工房内で彼女を害したわけではなさそうだと結論付け、忙しい時に邪魔してはいけないとお暇しようとしていたところだった。
部屋の扉を開けたセンショーはクワッとどこかに向かって怒鳴り始めた。
「おい、ここの通路を塞ぐな!片付けておけ!」
判事たちには怯え、私には好々爺のような顔を見せたセンショーは従業員には厳しい指導者のようだ。
……また一つ、人間不信になりそうです。
先ほどまで我々がいたのは、恐らく商談に使われる見栄えの良い部屋だったのだろう。
その部屋以外はいたるところに材料や資材が置かれている。
入った時も感じたが、通路を迂回しているのか迷いそうなほど入り組んでいた。
先導するセンショーの後ろを歩いていると、グイッと後ろからベールを引かれ振り返る。
「おい、あの荷は王都へ納品するものか聞け」
判事が指す方向に目を向ければ、工房内の通路や中庭のいたるところを塞ぐ荷があった。揃いの箱であることから、大量注文の荷なのだろう。
「センショー様。えっと、こちらの荷はずいぶんと大量にありますが王都へお納めするものでしょうか?」
また好々爺のような顔で振り向いたセンショーは、私の質問を聞くと焦ったように視線をウロウロとさせた。
「あれは返品の品でして。はは。いえね、染め直せば使えるんです」
返品の品といえば。
先ほど出会った商人が言っていた返品はここに置かれていたのか。こんなにも大量に。
「そういえば、先ほど商人の方に事情を伺いました。わたくしたちに何かお力になれることはございまして?」
「いえいえ、まあ何も、ええ」
センショーは落ち着かない様子でソワソワと腕を組んだり開いたりし始めた。
「センショー、この女は占い師なんだ。悩み事を解決してくれるかもしれない。話してみたらどうだ」
「ヒッ! あ、そうなんですね、占い師様でしたか」
「は、はい。今回は特別に、力を入れて占います」
ムンッと手のひらを前に出して、見えない力で占っているポーズを見せる。
はぁ、と鈍い反応だったがまあいい。恥ずかしくなんてない。
実は、と話し始めたのは先ほどの商人の話を裏付けるものだった。
この工房は王都で有名な大店の直営染物工房で、今回の隣国の姫の輿入れに際し上等な生地を用意するという大役を任されていた。
しかし、先の姫から不評を買い布地類は返品となったそうだ。
姫に返品された布は上等なものだが、ケチのついた生地は懇意の貴族には忌避され、上等な質ということで一般に卸すことも難しい。どうしたものかと在庫だけが積みあがっている。
そんな中、挽回の機会をもらった工場は、朝から晩まで職人総出で手を動かしている。
ところが一世一代をかけた大忙しの最中に職人が一人抜けた。納期を遅れることは出来ないと葬式にも出れず、それが心残りだと言う。
そして、貴族が直接工場に来て己の死を悟ったと。
「それは大変なことが重なりますね……」
「こうして挽回の機会をいただけただけで、助かっていますので」
「返品の在庫はここにあるだけか?王家に納品されるものがこれだけのはずがない」
ビクリと工場長は体を固くした。やはり貴族は怖いらしい。
「は、はい。在庫の荷はここにあるものと、あとは貸倉庫に……」
「在庫を持つことに加え、貸倉庫の維持費もかかるとは大変だな」
文官は工房に入ってから初めて心を痛めた表情をして、何やら計算を始めた。
ザイス文官との共通言語はお金以外にあるのだろうか。
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「──怪しいな」
「ええ、怪しいですね」
工房を後にした瞬間の一言である。
二人は何か通じ合っているようだ。
「あの反応は何かを隠している。これは占いじゃなく、経験則で導き出した勘だ」
「貴族に怯えていただけなのではないですか?」
「怯えていたのは、罪がばれることでしょうね」
こてりと頭を傾げたが、ザイス文官は馬鹿にしたようにハンッと鼻で笑った。やはり普段から人の罪を暴いていると違いがわかるようになるらしい。
「それに、あの工房の状況では貸倉庫をわざわざ借りるような余裕があるようには見えません。どこかを不法占拠しているのでしょう」
返品され抱えることになった品の量や、貸倉庫の金額など私には見当もつかないがピンと来ることは確かにあった。
一人でコクリと何度か頷いていると視線を感じ、サッと手を掲げる。
「……ムムム。出ました。そこに手がかりがあると占いで」
「勘と金と占いが裏付けとは心もとない」
はあ、と嫌味っぽい溜息をつかれたが今更である。
「ザイス、地図を」
机仕事が主なはずの判事の手は意外と大きい。
その指が地図をトンと突き、工房前の道を指でなぞる。
「おそらく、こことここの道が塞がっているんだ。だから交通が滞る」
「判事、もう地理を覚えたのですか。意外と勤勉ですね」
「覚えないと出歩けないだろう」
トントンと判事がどこか指を指していたが、それを確認したザイス文官は呆れたような顔になったのできっと不真面目な場所だったのだろう。
「では、今度はこの場所を調べに行きますか?全く、朝から働きづめですよ」
ぶつぶつと言いながら地図をくるくると丸めようとするザイス文官の手から、地図を引き出す。
そろそろと指をあちらこちらに動かし、反応があったところにチョコンと指を下した。
「いえ、ここを調べに行きます」
遅れて私も自分の手元に視線を落とす。
指は工房の裏手にある森林を指差していた。
「ここに何があります」
そう、占いに出ました。